その4
次の日の朝のことである。
外では、小鳥とひぐらしの鳴き声が響き渡っている。その鳴き声は、布団で寝ている次郎兵衛の耳にも入ってきた。
「う~ん……。もう朝になったのか」
野宿することも多い次郎兵衛にとって、部屋の中で寝たのは久しぶりのことである。それ故に、次郎兵衛は何か落ち着かない様子である。
土間のほうを見ると、おうめが朝ご飯の準備を始めている。
「父親を失った今、おうめは1人で切り盛りしないといけないとは……」
次郎兵衛は布団から起き上がると、おうめがいる土間へ降りた。
「1人じゃいろいろと大変だろう。薪割りと火おこしはわしがやるから」
「次郎兵衛さん、長旅で疲れているでしょ。そこまでやらなくても」
「これくらいのこと、わしは手慣れているから」
おうめは、気配りと優しさを持っている次郎兵衛を見ながら父親の面影を重ね合わせた。
「この人がいっしょにいてくれたら……」
薪割りをしている次郎兵衛を見ながら、そう願わずにいられないおうめである。
「おっ、そろそろご飯が炊けてきたぞ」
「次郎兵衛さん、ここまでしてくれて本当にありがとう」
次郎兵衛が手伝ったおかげで、朝ご飯を作るおうめも大助かりである。朝ご飯を運ぶ前に、次郎兵衛は自分の布団を整理しようと板の間へ上がった。
次郎兵衛が布団をたたんでいると、隣で寝ているはずの並之助の姿が見えないことに気づいた。よく見ると、掛け布団はそのまま敷いたままである。
「もしかして、布団の中に潜り込んでいるのでは……」
並之助ぐらいの子供だったら、布団に潜り込んで寝てしまうこともあり得るからである。並之助の掛け布団をめくろうとする次郎兵衛だが、何回引っ張ってもなかなかめくれない。
どうやら、並之助は布団の中でめくらないように抵抗を続けているようである。
「こうなったら、強引にめくらないといけないなあ」
次郎兵衛は掛け布団を無理やり引っ張ろうとしたが、そのはずみで後ろに倒れ込んでしまった。しかし、並之助の掛け布団は次郎兵衛によってめくることができた。
次郎兵衛は上半身を起こすと、そこには顔を赤らめた並之助が布団の上で座っている姿があった。その姿は、恥ずかしそうな顔つきでモジモジしている様子であった。
「またおねしょしちゃった……」
並之助は次郎兵衛に目を合わすことなく、しょんぼりした声で力なく言った。
布団を見ると、そこには大きなおねしょの地図が描かれていた。あまりの恥ずかしさに、並之助はおねしょでぬれた腹掛けの下を両手で隠すしぐさを見せている。
これを一部始終見ていた次郎兵衛は、並之助にやさしく言葉をかけた。
「おねしょぐらい、子供なら誰だってするものさ。そんなにしょんぼりしないの」
その言葉に、並之助は今までのことを次郎兵衛に打ち明けることにした。
「ぼくは、小さい時から毎日のようにおねしょしちゃうの……」
並之助は、いまだにおねしょの癖が治らないことを悩んでいた。すると、次郎兵衛は並之助の頭をやさしくさすった。
「なんだ、そんなことで悩んでいたのか。おねしょしたことぐらいで気にしなくても」
次郎兵衛はこの家へ来たときの並之助の行動を思い出した。
「お庭のほうを必死に遮ろうとしたのも、夜中になってもずっと寝ようとしなかったのも……」
おねしょしたところを見せたくないという並之助の気持ちを、次郎兵衛は改めて感じることになった。
そこへ、おうめが朝ご飯の準備をしようと板の間へやってきた。
「ふふふ、今日もまたやっちゃったね」
「おっかあ、ごめんなさい……」
「しょんぼりしなくても大丈夫だって! おねしょだって、そのうち治るんだから」
おうめも並之助のおねしょ癖を知っているからこそ励まそうとするが、並之助は相変わらずしょんぼりしたままである。
「わあっ、ここに干さないでよ!」
「ちゃんと干せば早く乾くのだし、ここにはあたしたち以外いないのだから」
並之助のおねしょ布団は、おうめによって庭の物干しに干されることになった。自分がやってしまった恥ずかしい証拠を前に、並之助は顔を赤らめながら再びモジモジしている。
次郎兵衛が庭の物干しのところへきたのを見て、並之助は自分のおねしょ布団を隠そうと必死である。
「おじちゃ! こっちを見ちゃダメ!」
「そんなに隠さなくても……。もしかして、夜中になんか夢でも見たとか」
並之助は、次郎兵衛に夜中に見た夢を話し出した。その夢は、いつも遊んでいるため池で泳いでいるというものだった。
「ぼくはカナヅチなのに、どうして泳げるのだろうと思ったら……。目が覚めたときには、お布団へこんなに大失敗しちゃったの……」
次郎兵衛は、水遊びが大好きな並之助が全く泳げないということを初めて知った。大きなトラウマを抱える並之助の表情に、次郎兵衛は腕を組んで考え込んでいる。
そのとき、次郎兵衛は何やら殺気らしきものをを感じた。
「左利きの次郎兵衛め、ここがおめえの墓場だぜ!」
「そこか!」
次郎兵衛はすぐさま右腰から左手で刀を抜くと、即座に縦横無尽の刀さばきを見せた。すると、いきなり襲撃してきたならず者3人は次々とその場で倒れて息絶えた。
「ならず者め、ここまでやってくるとは……。どういう意図なんだ」
ならず者が執拗に迫ってくる様子に、次郎兵衛は一瞬たりとも気が休めない状態である。
一方、偵察にやってきたならず者たちは、次郎兵衛に一蹴された仲間の屍に苦虫を噛み続けている。
「これが、左利きの次郎兵衛による刀さばきというものか……」
「おのれ、次郎兵衛め……」
ならず者たちは、権蔵たちにこの状況をすぐ伝えようとその場を後にした。
次郎兵衛にとって、最も心配しているのが並之助である。
先程のような突然の襲撃が、今後も起こらないとは言い切れないからである。
「今後も、いつならず者が現れるか分からないし……」
「いつもお手伝いとかを一生懸命やっているけど……。でも、このままだと並之助がいつ襲われても……」
並之助を心配しているのは、おうめもまた同様である。父親を失ったおうめは、並之助が同じような悲劇に遭わせたくないと願わずにはいられなかった。