その4
刀の稽古に精を出す次郎兵衛であるが、自分を助けてくれた岸兵衛とその家族への感謝の気持ちは計り知れないものがある。
「あのとき、岸兵衛が助けてくれなかったら、わしはとっくにあの世に行っていたかも……」
自分の命を救ってくれた岸兵衛たちに恩返ししようと、次郎兵衛はその場で着物を脱ぎ捨てることにした。
次郎兵衛はふんどし姿になると、岸兵衛と岩太郎がいる砂浜へ向かった。岸兵衛たちは、これから漁に行く前の準備をしているところである。
「おまえさん、どうしてここに……」
「これから漁へ行くのであれば、わしも力になりたい」
次郎兵衛にとって、自分を救ってくれた人たちに対して何らかの形で恩返しをしなければならないと考えている。そうは言っても、岸兵衛たちは次郎兵衛に無理をさせたくないという思いがあるのもまた事実である。
「気持ちはよく分かるけど、まだケガが治ったばかりだし……」
「わしは沖合での漁がどんなものか体で覚えている。足手まといにならぬように仕事に精進するつもりだ」
次郎兵衛の言葉に込められた内容は、片手間で行うほど漁の仕事は甘くないということを身に染みて感じているからである。
「おまえさんがそんなに言うのなら、わしが断わるわけにはいかないな」
岸兵衛からの許しを得ると、次郎兵衛は岩五郎とともに木舟を出すことにした。
「おじちゃん、魚を取るのは上手なの?」
「わしがどうやって取るのか、よく見ておいたほうがいいぞ」
次郎兵衛は、岩五郎とともに波打ち際から沖合に向かって木舟を漕ぎ続けている。すぐ近くには、もう1つの木舟に乗っている岸兵衛が網を使った漁を行っているところである。
「岩太郎、わしが短い網を投げ入れるからな」
次郎兵衛は、走島で太吉から教わった通りに投げ漁を行うことにした。短い網を投げ入れてからしばらくすると、岩太郎と協力して網を上げることにした。
「おっ! 魚がたくさん獲れているみたいだぞ。わしも引っ張るから、岩太郎もいっしょに網を強く引っ張ってくれよ」
「よいしょ、よいっしょ!」
「その調子だ! もう少しだから、最後までがんばろう!」
こうして2人が協力して網を上げると、そこには真鯛やカレイといった魚が多くかかっていた。
近くで漁をしている岸兵衛のほうも、数多くの魚が網で獲ることができた。海の恵みは自分たちで食するだけでなく、長期間保存が可能な干物作りの材料でもある。岩場に生えているワカメは、必要な分だけを取っては味噌汁や澄まし汁の具として重宝している。
もちろん、次郎兵衛が行う仕事はこれだけではない。その仕事は、太陽が東から昇ったばかりの朝に行うものである。
「おねしょしちゃった……」
「おねしょしちゃってごめんなさい……」
力ない言葉でしょんぼりしているのは、仁助と海吉の2人である。次郎兵衛は、お布団に大きなおねしょを描いた2人にやさしい眼差しで見つめている。
「おねしょしたぐらいで気にしなくても大丈夫だぞ! お布団はこちらでちゃんと干しておくから」
次郎兵衛の励ましを受けて、仁助と海吉は次第に笑顔を取り戻すことになった。
次郎兵衛は庭へ出ると、仁助と海吉のお布団を次々と物干しに干している。2枚のお布団には、見事なまでのおねしょが大きく描かれている。
「こんなに立派なおねしょを描くとは……。小さい子供だからできる芸当といえそうだ」
子供たちのおねしょ布団を眺めている次郎兵衛だが、そのとき何やら殺気らしきものを感じた。
「誰かがわしを狙っているような気が……」
次郎兵衛は、庭の近くにある木へ警戒しながら近づくことにした。すると、いきなり弓矢が次郎兵衛に向かって次々と放たれた。
そんな状況の中、次郎兵衛は右腰に際している刀を引き抜くと素早い刀さばきで弓矢を斬り落としていった。
しかし、ここで一息つくわけにはいかない。次郎兵衛の前には、高い木から着地した海賊2人が現れた。海賊たちは、間髪入れずに短刀で次郎兵衛に襲いかかってきた。
これを見た次郎兵衛は、左利きによる刀さばきで敵を一刀両断に斬り倒した。海賊たちを倒した次郎兵衛だが、その表情は厳しいままである。
「やはり、海賊がこの島へきていたとは……」
海賊たちの屍は、次郎兵衛が置かれている現実を改めて突きつけられた。それは、魚島にも海賊が迫っているという事実を示すものである。
砂浜のほうを見ると、海賊連中が木舟で去っていく様子を次郎兵衛が目撃した。
「もしかして、わしの居場所が海賊たちに知られてしまったのでは……」
次郎兵衛は、これ以上島の住民を巻き込みたくないという気持ちからある決意を固めた。
「2人には申し訳ないけど……」
「おまえさんが突然言い出すなんて……。どうしたんだ?」
「わしはこれから海賊連中の本拠へ出向かなければならない」
いきなりの次郎兵衛の言葉に、岸兵衛とおさちは戸惑いを隠せない。
「海賊が数多くいるところへ行ったら命を落としてしまうぞ」
「せっかくケガが治ったのに、海賊たちに襲われて死ぬ姿なんか見たくないわ」
次郎兵衛は2人が反対するのを見て心が揺れかけた。しかし、あくまで自分の意思を貫こうとその場で土下座しながら頭を下げた。
「2人が心配する気持ちは、痛いほどよく分かる。それでも、海賊連中を倒すためにわしは行かないといけないんだ」
何度も頭を下げながらお願いする次郎兵衛の姿に、岸兵衛とおさちは海賊たちの本拠へ行くことを許すことにした。
次郎兵衛は、海岸に置き去りになった敵の木舟を使って島から出るところである。そこへ、岩太郎をはじめとする子供たちが次郎兵衛にしがみついてきた。
「おじちゃん、行かないで!」
「行かないで! うええええ~んっ!」
仁助と海吉が泣き出したのを見て、次郎兵衛は困った顔をしている。なぜなら、次郎兵衛が向かうところは、命を落とすかもしれない危険な場所であるからである。
そんなとき、岸兵衛とおさちが子供たちに諭すように言った。
「寂しいという気持ちはよく分かるわ。でも、あの人も同じ気持ちだと思うの」
「子供にはつらいかもしれないけど、またここへ戻ってくることを信じよう」
2人の言葉を聞いた子供たちは、涙を流しながら次郎兵衛と別れることにした。
「みんな、本当に申し訳ない。再びこの島に戻ってくるからな」
木舟に乗り込んだ次郎兵衛は、岸兵衛たちとの別れを惜しみながら漕ぎ始めた。海賊たちの本拠を目指して、次郎兵衛は沖のほうへ進んで行った。




