その7
真っ暗闇から次第に東のほうの空がうっすらと明るくなったころ、沖合に数多くの木舟が少しずつ見えてきた。
そこには夜明け前にもかかわらず、木舟の船団が10隻編成で漕ぎ続けている。
「こういうときに島を襲うのがおれたちの役目ってものだからな」
「島民が起きる前に片っ端から金品を奪うのさ。気づかれたらその場で殺したって構わないぜ」
髭を蓄えたその男は、この船団を束ねる中心人物である。走島に限らず、瀬戸内海に浮かぶ島々に襲っては金品の強奪と破壊の限りをつくすのがこの海賊たちの主要目的である。
そのころ、布団の中に入っている次郎兵衛は敵の影が近づく様子をひしひしと感じていた。引戸が閉まって外が見えなくても、今まで培ってきた感覚がそのまま呼び起こされることになった。
次郎兵衛は布団から起き上がると、枕元に置いている刀が入った鞘を手に取った。それを右腰に差すと、太吉たちが寝ていることを確認するために周りを見回している。
「太吉、おみさ、そして小助……」
次郎兵衛は太吉たちの寝顔を見ると、土間から引戸をそっと開けた。外へ出ると、夜が明けて太陽が東のほうから昇っている。
しかし、次郎兵衛には夜明け空に見とれている余裕などない。草むらに身を潜めた次郎兵衛は、砂浜のほうへそっとのぞき込んでいる。
「あれが海賊連中か……。あれだけの集団が家々を襲ったら取り返しのつかないことに……」
次郎兵衛が目にしたのは、木舟から降りてきた30人ほどの海賊の集団である。島々で様々な悪事を働いていると言われている通り、外見から見ても凶悪な顔つきの男たちが多い。
「素行の悪さが際立って目立っている。あれだけの荒くれ集団だと、義直様も困り果てるのも無理もない」
すると、海賊連中をまとめる人物が何やら声を発しようとしている。
「いいか! 金目のものがあったら片っ端から奪え! 抵抗する奴らはその場で殺しても構わないぞ」
その言葉が耳に入ると、次郎兵衛は冷静さを保ちながらも許せぬ敵に対する怒りがふつふつとこみ上げてきた。
本来、海賊は略奪行為とか一般人への殺戮行為を目的としなかったはずである。しかし、この海賊連中はただの盗賊集団と何ら変わりはない。
「この島の中で、海賊たちの思い通りにさせるわけにはいかない」
次郎兵衛は、草むらの中から砂浜へ出てきた。これを見た海賊たちは、たった1人で相手にしようとする次郎兵衛の姿にせせら笑っている。
「わざわざ死ぬためにここへくるとはなあ、ぐはははは!」
次郎兵衛が相手にするのは、総勢30人ほどの海賊連中である。刀さばきに定評がある次郎兵衛といえども、そう簡単に倒せるとは限らない。
太陽が東から昇る中、次郎兵衛は平常心を保ったままで海賊たちを鋭く見つめている。
「生きるか死ぬか、それはこの場での戦い次第ということだ」
「1人でおれたちに戦いを挑むとは、いい度胸だな」
海賊たちはすぐにでも次郎兵衛を始末しようと、一斉に武器を取り出した。敵が手にしているのは刀だけでなく、短刀や槍など様々な武器を有している。
「それなら、わしも刀を抜くとするかな」
次郎兵衛は、右腰に差している刀を左手で抜いた。視線を海賊連中に向けながら、次郎兵衛は両手で刀を構えている。
すると、髭を蓄えた男が他の連中に荒げた声で命令を下した。
「いいか! おれたちにじゃまするやつはすぐに殺せ! 殺せ!」
瀬戸内海のさざ波が耳に入る中、海賊たちは一斉に次郎兵衛に襲いかかってきた。これを見た次郎兵衛は、敵の動きを見ながら次々と斬り倒していった。
そのとき、海賊の1人が槍で突き刺そうと次郎兵衛に迫ってきた。次郎兵衛は辛うじてかわすと、手こずりながらも何とかその敵を刀でバッサリと斬った。
次郎兵衛は何とかして海賊たちの行く手を阻もうと、左利きの刀さばきで縦横無尽に敵を斬りまくった。
砂浜の上には、動けなくなった海賊たちの屍が積み上げられている。その屍は、次郎兵衛によって斬られるにつれて少しずつ増えるようになった。
けれども、これで決戦が終わったわけではない。次郎兵衛は刀を突き出すと、そのまま海賊連中のほうへ少しずつ近づいて行った。
「どうした! もう戦わないのか!」
「ぐぬぬぬぬっ……」
「ひ、ひとまず退散じゃ!」
10人足らずの陣容となった海賊たちは、そのまま木舟の中へ乗り込もうとするところである。
すると、次郎兵衛は敵が乗った木舟のうちの1隻へ足を踏み入れた。これを見た海賊は、短刀を持って2人がかりで反撃しようと試みた。
そんな状況であっても、次郎兵衛は冷静さを保つことに変わりがない。次郎兵衛は反撃をかわすと、左利きからの刀さばきで海賊2人を斬り倒した。
斬られた海賊たちが海に投げ出されたのを見て、次郎兵衛は敵が乗った木舟で沖のほうへ行くことにした。
波打ち際から沖へ向かった海賊たちを追って、次郎兵衛は急いで木舟を漕ぎ続けた。しかし、海を知り尽くしている海賊たちに次郎兵衛が追いつけるはずがなかった。
「海賊ども……。真の目的はいったい何なのか……」
次郎兵衛は、海賊連中の姿が見えなくなった海を木舟から見つめ続けている。
再び島へ戻った次郎兵衛は、義直がいる屋敷の中へ入った。海賊による島での略奪や破壊を未然に防いだことを義直に伝えるためである。
次郎兵衛から報告を受けた義直は、手放しで次郎兵衛の行為を絶賛した。
「あれだけ島民を悩ませた海賊連中を撃退させるとは……。そなたの刀さばきが本物であることをわしも確信したぞ」
次郎兵衛は義直からの賞賛を受け止めながらも、海賊たちを完全に倒すことができなかったことが心残りとなった。
屋敷から出ると、次郎兵衛は太吉の家へ戻ることにした。家の前にある物干しには、おねしょが描かれた小さいお布団と小助の腹掛けが干されている。
土間へ足を踏み入れると、次郎兵衛は開口一番にこう言い出した。
「急に黙ってここから姿をくらませてしまって、本当に申し訳ない……」
次郎兵衛は、黙ったままで外へ出たことを詫びた。すると、おみさは次郎兵衛にやさしい言葉を掛けてきた。
「そんなことを言わなくても、私にはすぐに分かったの。よほどのことがなかったら、次郎兵衛さんがこんな早朝に出ることはないわ」
そこへやってきたのは、漁に出かけたばかりの太吉である。太吉は砂浜に倒れたままの海賊たちの屍を見て、すぐに家へ駆け込むように戻ってきたのである。
「海賊たちが砂浜にころがったままだけど、もしかしておじちゃんがやっつけたの?」
あれだけの屍が転がっていたら、太吉が驚くのも無理はない。太吉にとっては、海賊たちへの敵討ちを果たした次郎兵衛に感謝しきれない気持ちでいっぱいである。
しかし、海賊たちを完全にやっつけなかったことに次郎兵衛は心残りである。海賊連中が再び島を襲ったりしたら、元も子もないからである。
そんな中にあって、赤ちゃんの小助は腹掛け姿で仰向けのままで笑顔を見せている。
赤ちゃんの笑顔は、次郎兵衛にとってもつかの間の癒しを与えてくれる存在である。次郎兵衛は、手足をバタバタさせている小助を高く抱き上げようとします。
すると、次郎兵衛は小助から思わぬ形で洗礼を受けることになった。
「うわっ! わ、わしの顔におしっこをひっかけるとは……」
次郎兵衛がタジタジになっている中、小助は満面の笑みを見せています。
そして、次郎兵衛はつかの間の休息を終えると、単身で海賊たちの本拠へ乗り込む旨をおみさたちに伝えた。
「次郎兵衛さん、いくら何でも危険だわ。もうここから離れないで欲しいの……」
おみさも太吉も、これ以上無茶なことをしてほしくないというのが本心である。それでも、次郎兵衛は自分の意思を変えることはなかった。
「これは、今までとは明らかに様相が異なる戦いになりそうだ」
次郎兵衛は太吉たちに再び会うことなく、そのままあの世へ行ってしまう可能性も否定できない。しかし、瀬戸内海の島々を我が物顔で暴れまくる海賊たちを決して許すことはできない。平穏な生活を望む島民のためにも、次郎兵衛は命がけで戦うと心に誓った。
「おみさ! 太吉! 再びこの島へ戻ってくるからな」
おみさと太吉は、次郎兵衛を見送るために波打ち際へやってきた。しばしの別れに、2人は涙をこらえながら次郎兵衛を見つめている。
次郎兵衛は太吉たちの思いを抱きながら、海賊連中の本拠へ目指すべく木舟で漕ぎ続けている。




