その3
次郎兵衛にとって気になるのは、海賊がこの島にいつ現れるかということである。
「これは、今までと比較してもかなり手こずるかもしれないぞ」
海賊がこの島に現れるのかはっきりしないことも、次郎兵衛を悩ませる要因の1つである。しかも、早朝や真夜中に現れないという保証はどこにもない。
いずれにせよ、まずは太吉たちの家族を海賊から守ることが次郎兵衛の役割である。
一方、おみさは赤ちゃんを片手で抱きながらおっぱいを与えている。腹掛け姿の赤ちゃんも、おみさの愛情を受けて明るい表情を見せている。
「キャッキャッ、キャッキャッキャッ」
「おっかあ、小助を抱いてもいい?」
太吉は、おみさから手渡された小助をやさしくあやしている。その姿は、ごく普通の少年と変わりない。
あまりのかわいさに、太吉が小助を高く抱き上げたときのことである。
「うわっ! おしっこを引っかけられちゃった」
突然の出来事に驚いた太吉であるが、このくらいで気にする素振りを見せることはない。そこには、少しでも母親を手助けしたいという太吉の強い思いがある。
その頃、次郎兵衛とおみさは土間で晩ご飯の準備に取り掛かっていた。おみさが晩ご飯を作っている間、次郎兵衛は焚き口で火おこしを行っている。
「次郎兵衛さん、わざわざそこまでしなくても……」
「ここにいる以上は、子供たちの見本になるような行動を心掛けるのは当然のことだ」
そんな次郎兵衛を見て、おみさは頼りがいのある男として次第に心が引かれるようになった。
おひさが作っているのは、カタクチイワシとワカメの澄まし汁である。いずれもだしを取るのに最適であり、そのまま食することもできるので食材を無駄にすることはない。
「このカタクチイワシもワカメも、太吉が私たちを養うために取ってくるから大助かりだわ」
おみさの口からは、家族を養うために漁に出る太吉へのやさしさがにじみ出ている。
そして、汁を作るときに欠かせないのが島で造られた醤油である。村上様の手によって醤油の醸造が行われていることもあり、料理の味付けに醤油は欠かせないものとなっている。
晩ご飯ができあがると、次郎兵衛も太吉の家族とともに囲炉裏の周りに座って食べることにした。
すると、おみさが次郎兵衛の様子が気になったので尋ねることにした。
「次郎兵衛さん、なんか箸を使いづらそうに見えるけど……」
「見苦しいところを見せてしまって、本当に申し訳ない。わしは普段から左利きであるもので」
左利きの次郎兵衛にとって、右手で箸を持つとなかなか口へ運ぶことができない。次郎兵衛の告白を聞いて、おみさもそのことを率直に受け止めた。
こうして、次郎兵衛は左手に箸を持ち替えると、ご飯や澄まし汁を口に入れて味わい始めた。おみさが作ってくれた澄まし汁は、この島でしか味わえない貴重なものである。
そんな中、次郎兵衛は海賊がいつ現れるのかということをすっと頭の中で考えている。
「海賊が現れるかどうか分からないとなると、これは長期戦になりそうだな」
晩ご飯を食べ終わると、外のほうはすっかり暗くなったので寝る準備をすることにした。
次郎兵衛とおみさが板の間に布団を敷くと、太吉と小助を先に寝かせた。ぐっすりと眠っている2人に、おみさも柔和な顔つきでやさしく見つめていた。
そんな中、次郎兵衛は布団の上に座ったままで暗闇の中を見つめている。この様子が気になったおみさは、次郎兵衛に小さな声を掛けた。
「次郎兵衛さんもそろそろ寝ないと……」
「本来ならわしもすぐに寝たいところだが……。どうしても気になって仕方がないものがあるのだ」
次郎兵衛は、冷静な表情でさらに言葉を続けた。
「こんな真夜中であろうと、海賊がいきなり襲いかかってくることは否定できない。海賊が現れるかどうか、この目で確かめないと安心できない」
この言葉を聞いたおみさは、次郎兵衛が外を出歩くのを許すことにした。
「おみさ、わしのわがままを許してくれてかたじけない」
「次郎兵衛さん、真っ暗闇だからくれぐれも気をつけてくださいね」
次郎兵衛は、子供たちを起こさないように引戸を静かに開け閉めしながら外へ出た。
そこは、月の光がかすかにはいる程度の真っ暗闇の中である。しかし、こんなときだからこそ油断は禁物である。
次郎兵衛は、わずかな光を頼りに砂浜のほうへ向かった。波打ち際まで近づくと、海の沖合にぼんやりと光っているものを目撃した。
「こんな夜中に、沖のほうで2つも3つも光っているのはどういうことなんだ」
この島には漁民が数多くいるが、真夜中に漁に出かけるとは考えにくい。
「やはり、沖合に浮かぶ複数の光は海賊の目印なのか」
次郎兵衛は沖合のほうをずっと見つめていたが、しばらく経っても全く動きがない。
「これ以上待っても、おみさや子供たちに心配をかけてしまう。この続きはまた明日だ」
すぐにおみさの家へ戻った次郎兵衛は、布団に入ってぐっすりと眠ることにした。




