その5
吾助は土間から桶を持ってくると、次郎兵衛を引っ張りながら何かをせがんでいる。
「ねえねえ、みじゅくみに行こ! みじゅくみに行こ!」
次郎兵衛は、日課となった吾助を連れての水汲みに行くことにした。その間も、次郎兵衛は周りを何回も見渡すことに余念がない。
「居場所が知られてしまった以上、用心棒がいつ現れてもおかしくないし……」
次郎兵衛は、吾助と2人で歩いている間も警戒を緩めることはない。一瞬の油断が、自分だけでなく吾助にも危険が及ぶからである。
次郎兵衛たちは、河原へ下りようと高屋川のほうへ顔を向けた。すると、そこには用心棒らしき男たちが何人か集まっていた。
「吾助、ここから先はあまり声を出したらいけないぞ」
「う、うん!」
次郎兵衛と吾助は、用心棒連中に気づかれないように河原へ下りることにした。そして、河原の目印である大きな木に2人は身を潜めることにした。
2人が大きな木からそっとのぞくと、河原にはいかつい顔つきの男が用心棒たちのところへやってきた。その格好は、用心棒と比較して整然とした武士らしい着こなしである。
「あれが岸村か……。一体何をしゃべっているんだ」
次郎兵衛は敵に気づかれないようにしながら、岸村と用心棒たちの様子に耳を澄ませている。
「わしが言うのもなんだが、おまえらは用心棒としてするべき仕事をしていないそうだな」
「岸村様、ちょっと待ってください! これには深い訳が……」
岸村は、怒りをにじませるほどの機嫌の悪そうな顔つきをしている。用心棒連中は、岸村の怒りを鎮めようと必死に口を開いた。
「最近のことだが、この辺りに現れた旅人姿の男によって……」
「旅人姿の男だと?」
「その男によって、おれたちの仲間が次々と命を落としてしまって……」
用心棒たちが発した言葉に、岸村は拳を握りながら体を震わせている。そして、岸村は用心棒の胸ぐらをつかみながら怒りをぶちまけた。
「おまえら、その旅人姿の男1人すら始末できないとは……。よくもまあ、わしの顔に泥を塗るようなことをしやがって……」
岸村の姿を見るたびに、おはなが語ったことが次郎兵衛の頭によぎる。なぜなら、その岸村こそが佐五郎を斬り殺した張本人だからである。
「やはりそうか。用心棒連中が突如として現れたのも、全て岸村の指図ということか」
岸村と用心棒たちのやり取りに、それまでバラバラだった点と点が1本の線で繋がった。
次郎兵衛は、許せぬ相手への敵討ちを行う決意を固めた。それが、岸村の手で犠牲となった佐五郎へのせめてもの供養である。
そのとき、吾助が腹掛けを押さえてガマンしている様子に次郎兵衛は気づいた。
「おちっこ、おちっこ……」
「さあ、ここで早くおしっこを」
吾助は次郎兵衛に促されると、大きな木の前でおしっこをし始めた。勢いよく出るおしっこに、吾助はすっきりした表情を見せている。
一方、岸村たちは次郎兵衛と吾助が隠れている大きな木の方向へ顔を向いた。
「おい、わしらの様子を誰かに見られているような……」
「あの木のところからか?」
そのころ、吾助はおしっこを済ませると大きな木からそっとのぞいた。すると、岸村たちがこちらに向かう姿をこの目で見ることになった。
「父ちゃん……」
「吾助、どうしたんだ」
次郎兵衛は、吾助が伝えたいことがどんな内容なのかすぐに察知した。しかし、そんな2人の前に現れたのは鋭い目つきをした男たちの集団である。
「貴様が旅人姿の男か」
「いきなりそれを聞いて何になるんだ」
岸村は次郎兵衛たちに因縁をつけながら、抜いた刀を突き出した。
「これがどういう意味か分かるか?」
「その場で始末すると……」
次郎兵衛が左手で刀を抜いた瞬間、岸本は真正面からいきなり刀を振り下ろした。すかさずかわした次郎兵衛は、岸本と刀同士がぶつかりながら攻撃の機会をうかがっている。
「しぶといやつめ……。この股旅男を斬り殺せ! 斬り殺せ!」
岸本は、何としてでも次郎兵衛を始末しようと用心棒たちに命令を下した。用心棒連中は一斉に刀を抜くと、次郎兵衛に次々と襲いかかってきた。
一気に斬りかかってきた用心棒たちに対して、次郎兵衛は左利きの刀さばきで次々と斬り倒した。
「吾助、ここから離れるんじゃないぞ!」
次郎兵衛は吾助を守りながら、用心棒連中を縦横無尽に斬り続けた。河原には、斬られて息絶えた用心棒たちの屍が何体も転がっている。
次郎兵衛は刀を手にしながら、用心棒たちのほうへ一歩ずつ近づいて行った。
「用心棒よ! これでもまだやる気か!」
その言葉に激高した用心棒たちは、意地でも次郎兵衛を斬り倒そうと刀を振り下ろした。しかし、どんなことをやっても次郎兵衛の前にはかなうはずがない。
「貴様、これだけやっておいてただで済むとは思うなよ……」
岸村は険悪な顔つきで言葉を吐き捨てると、用心棒たちとともにその場から去った。
用心棒たちを倒して一息ついた次郎兵衛だが、冷静な表情は決して崩すことはない。なぜなら、自分がいることでおはなと吾助の2人を危険にさらすからである。
それは、次郎兵衛が婚約と安住の地を捨てて終わりのない旅を続ける大きな理由ともなっている。だからといって、そう簡単にここから去るわけにはいかないのも事実である。
「吾助はまだ幼いし、わしがいなくなることで寂しい思いをさせるわけにはいかないが……」
次郎兵衛は、この地で自らが安住すべきか否かで苦悩している。そんなとき、あどけない子供の姿が目の前に現れた。
「父ちゃん! いっしょに水遊びをしようよ!」
その声の主は、腹掛け1枚の姿である吾助である。かわいい顔つきの吾助を見ると、それまで硬い表情だった次郎兵衛の顔がほころぶようになった。
次郎兵衛が着物を脱いでふんどし姿になると、川に入って吾助と水遊びを始めた。無邪気な笑顔を見せる吾助の姿に、次郎兵衛もやさしい目つきで見つめている。




