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左利きの次郎兵衛  作者: ケンタシノリ
第3話 母ちゃんの子守唄とおねしょぼうや
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その4

 その日も夕方になると、太陽が西のほうへ沈んで茜空が広がってきた。


 板の間では、おせいが作った晩ご飯を3人で囲んで食べているところである。


 しかし、次郎兵衛は高屋川の河原での出来事がどうしても気になって仕方がない。


「岸村は一体何を考えているんだ……。用心棒を配下にするとは、何か裏がありそうだ」


 次郎兵衛が考えごとをして晩ご飯に手をつけないのを見て、おはなは心配そうに見つめている。


「晩ご飯を食べていないけど、どうかしたの? 何か具合でも悪いのでは?」


 おはなの声に気づいた次郎兵衛は、すぐに左手で箸を持ってご飯やおかずを口に入れた。


 3人とも晩ご飯を食べ終わると、吾助はおはなのところへ寄ってきた。おはなは、自分の顔をじっと見ている吾助に声を掛けた。


「吾助、どうしたのかな?」

「おっぱい! おっぱい!」


 おはなは着物からおっぱいを出すと、吾助はそのおっぱいをおいしそうに飲んでいる。


 次郎兵衛は、おはなへの愛情を求める吾助の気持ちに理解を示した。


 吾助は、4歳になった今でもおっぱいを飲むことをやめることができない。佐五郎を失った今、吾助が愛情を求める相手はおはなしかいないのが実情である。


 次郎兵衛によくなついてくる吾助だが、やはり実の母親であるおはなに一日の長があることを改めて実感した。


「吾助のためにも、本当の父親同然で接しなければならないけど……」


 次郎兵衛は、終わりなき旅を続ける自らの立場と吾助の父親を演じる立場との間で揺れている。安住の地を得たいという気持ちは当然にあるが、それが許されない身というのが次郎兵衛のつらいところである。


 いずれにせよ、おっぱいを飲むことを無理やりやめさせるわけにはいかない。次郎兵衛は、長い目で吾助をやさしく見守ることにした。


 そうするうちに、外のほうは日が沈んで暗闇に包まれるようになった。


 すっかり暗くなったことに気づいた次郎兵衛たちは、板の間に敷いた布団の中に入って寝ることにした。しかし、吾助は布団に入っても目を開けたままでなかなか寝つけない。


 この様子に、おはなは吾助の耳元で子守唄を歌い始めた。


「ぼうや かわいい寝顔だね~♪」


 その歌声は、母親の子供に対する愛情が込められている。吾助が眠りに入るように、おはなは子守唄を唄い続けている。


「やさしい母ちゃんに抱かれて ねんね ねんね~♪」


 すると、吾助はかわいい寝顔でそのまま眠りの中へ入った。次郎兵衛は、これを見て感心するばかりである。


「やさしい歌声で吾助を寝かしつけることができるとは……」


 次郎兵衛とおはなは吾助の寝顔を見ながら、目をつぶってそのまま寝ることにした。


 こうして真夜中の静寂に包まれることになったが、それもつかの間のことである。


「おちっこ、おちっこ……」


 真夜中にもかかわらず、吾助はいつものように布団から起きた。吾助は、腹掛けの下を押さえながら必死にガマンしている。


「おちっこがもれそう……」


 引戸を開けて庭へ出ると、吾助は急いで便所へ向かった。


 そんなとき、家の近くにほのかに光る火の玉らしきものが近づいてきた。月の光がかすかに照らされる程度の真夜中にあって、それは吾助の目から見ても目立つものである。


 その火の玉の正体は、用心棒連中が持っている提灯である。3人いる用心棒の一団は、不気味な声を上げながら暗い夜道を歩いている。


「あの三度笠め、いったいどこにいやがるんだ!」

「そんなにカッカしなくても、そのうち見つかるさ。そんなに遠くまで行っていないらしいし」

「そうか、そうか! まあ、三度笠など直に見つかるだろうからな」


 用心棒たちは岸村の命を受けて、次郎兵衛がどこにいるのか探しているところである。


「火の玉……。恐い……」


 便所の前で声を潜めている吾助だが、その足元は恐怖で震えていた。そして、耳元に用心棒たちの不気味な声が入ったときのことである。


「うわあああ~っ! 恐いよう! 恐いよう!」


 あまりの恐怖に、吾助は便所の中に入ることなく逃げ帰ると布団の中へ隠れてしまった。


 こうして長い夜が過ぎて、おはなの家にも再び朝を迎えることになった。しかし、吾助は相変わらずしょんぼりした顔つきである一点を見つめていた。


「おねちょ、またやっちゃった……」


 腹掛け1枚でお布団の上に立っている吾助は、自分がしちゃった大失敗の証拠を恥ずかしそうに見つめていた。


 この様子に、次郎兵衛は吾助のそばへやってきた。


「おねしょでしょんぼりしなくても大丈夫だぞ」

「う、うん……」


 次郎兵衛の励ましを受けても、吾助は相変わらず下を向いて顔を赤らめている。それでも、次郎兵衛は吾助に再び話しかけた。


「それなら、何か覚えていることがあれば教えてほしいけど」

「お、おちっこがちたくて便所へ……」


 吾助は恥ずかしがりながらも、口を開いて真夜中の出来事を話し始めた。


「便所へ行ったけど……。火の玉と恐い声が……」

「それでおしっこに行くことができなかったのか。正直に言ってくれて、わしはうれしいぞ!」


 次郎兵衛は、自分から勇気を出して言った吾助の頭をやさしくさすった。親身に接していれば、自ずと通じ合うものである。


 一方で、次郎兵衛は吾助の言葉を聞いて昨日のことを思い返した。


「あの火の玉って、もしかしてあの用心棒が……」


 次郎兵衛にいきなり襲いかかったことを考えれば、どこに潜んでいるか探し回ってもおかしくない。どれだけ切り倒されても、用心棒の残党が次から次へと現れるからである。


 庭では、次郎兵衛が吾助のおねしょ布団を干しているところである。すると、そばにいる吾助が布団の前で隠すようなしぐさを見せている。


「父ちゃん、見ちゃダメ! 見ちゃダメ!」


 大失敗の証拠を見せたくない吾助の姿に、次郎兵衛は少し困惑している。すると、何者かに気づいた次郎兵衛は右腰に下げた刀に手をやった。


「そこか!」


 次郎兵衛は刀を抜くと、突如襲ってきた敵2人をその場で素早く斬り倒した。


「やはりそうか……」


 地面に倒れた屍は、昨日とよく似た用心棒らしき者のようである。次郎兵衛は、おはなと吾助を用心棒からこの手で守らなければならないという思いを心の中で誓った。


 例え父親でなくても、同じ屋根の下で過ごしている以上は弱い立場の母子を守らなければならない。それは、次郎兵衛の一貫した信念である。

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