その2
「そんなに黙り込まなくも……。一体何があったの?」
「お前みたいなやつに言うもんか!」
次郎兵衛は、腹掛けの小さい少年を何とか説得しようとしていた。それでも、少年は怒った声で言い放ってはすぐに黙り込むばかりである。
「父ちゃんが殺されたという気持ち……」
「うるさい! おっとうを返せ! おっとうを……」
少年のそばに寄り添って次郎兵衛が語りかけても、少年の怒りが収まることはなかった。
そんな少年の表情が一変したのはそのときである。その表情に、次郎兵衛は敵の気配が背後から迫っていることに気づいた。
「そこか!」
次郎兵衛は右腰から左手で刀を抜くと、振り向きざまに背後の敵を斬り倒した。目の前には、ならず者たちがぞろぞろと現れてきた。
その数は、山道の途中で襲ってきた連中の倍以上の人数である。
「おう! 左利きの次郎兵衛よ、さっきはよくもやってくれたな」
「だが、今度はそうはいかないぞ!」
ならず者たちは、次郎兵衛をその場で葬り去ろうと刀を次々と抜いてきた。
次第に近づいてくる敵に、次郎兵衛は少年を守りながら戦う決意を固めた。
「わしから離れるんじゃないぞ」
「本当に大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。あのならず者たちは、この手で倒すまでさ」
ならず者は、2人がかりで次郎兵衛に斬りつけようとした。これを見た次郎兵衛は、敵の動きを熟知するとすかさず2人を斬り倒した。
「くそっ! 調子に乗りやがって!」
「その場で血染めにしてやろうか!」
ならず者たちは、次郎兵衛を少年もろとも始末するべく一斉に襲いかかった。しかし、次郎兵衛は左利きで振り下ろす刀さばきで敵を次々と斬っていった。
次郎兵衛の強さに、ならず者たちの一部は少しずつ後ずさりしている。
どんなに仕留めようとしても、縦横無尽に刀を振り下ろす次郎兵衛にはかなわないからである。次郎兵衛の周りには、斬り倒されて息絶えたならず者の姿が転がっている。
すると、次郎兵衛の前に2人の男が現れた。その男たちは一目で悪人という顔つきであり、鋭い目つきで次郎兵衛をにらみつけている。
「おめえか……。おれたちの縄張りを荒らしやがったのは……」
男たちは、次郎兵衛を襲ったならず者たちの中心人物である。いきなり現れた男たちの態度に、次郎兵衛は体を震わせながら怒りの言葉をぶつけた。
「再三にわたって襲撃するとは……。どういう意図だ」
目の前にいる敵であろうと、次郎兵衛は決して相手に弱みを見せることはない。この様子に、男たちはドスの利いた声で次郎兵衛に迫った。
「おい! 親分にそういう言葉を言うとはなあ」
「まあ待て。おれの名前は権蔵という名前だ。そして、隣にいるのは熊六というやつさ」
権蔵はふっくらとした顔つきであり、口の周りがヒゲで覆われているのはいかにも悪人たちの親分と言った風貌である。熊六は、ならず者をまとめる権蔵の片腕として支えている。
「それにしても、おれたちの仲間をこんなに派手に斬りまくるとは……」
「これだけやらかすとはなあ……。ただで済むとは思うなよ」
権蔵と熊六は、不気味な脅し文句を次郎兵衛の耳元でささやくように言った。
しかし、権蔵たちの脅し文句はそれだけでは終わらなかった。
「いいことを教えてやろうか。この村の男どもを襲っては殺したのはおれたちさ」
「おれたちの縄張りだから、何をしようとおれたちの知ったことではないぜ」
権蔵たちは、自分たちの悪事を誇らしげな声で自慢した。これを聞いた次郎兵衛は、歯を食いしばりながら怒りを押し殺していた。
一方、次郎兵衛の後ろにいる少年は恐い顔つきの悪人たちの口調におびえている。少年の心の中では、父親がならず者たちに殺されたときの様子が再びよみがえった。
そのとき、権蔵と熊六は少年が次郎兵衛の後ろに隠れていることに気づいた。少年は、権三たちの恐ろしさに身震いしながら腹掛けの下を押さえている。
「ほほう、この村で生き残っているのがいるのとはなあ」
「まあ待て、ここで始末してもおれたちの楽しみがなくなるだろうし」
権蔵たちは、その場から立ち去る前に次郎兵衛にある言葉を言い放った。それは、次郎兵衛への警告の意味を込めて発したものである。
「この縄張りの中でおれたちに盾突くとどうなることになるか、頭の中でよく考えることだな」
権蔵たちは不気味な笑みを見せると、ならず者の仲間たちとともに次郎兵衛の前から去って行った。河原には、次郎兵衛に斬られて息絶えたならず者たちがいくつか横たわっていた。
ならず者の姿が消えたのを見て、次郎兵衛は少年がいる後ろのほうへ向いた。そこには、泣きぐずる少年の姿があった。
「うううっ……。お、おしっこをもらしちゃった……」
少年の真下には、小さな水たまりができていた。少年は、涙を流しながらぬれた腹掛けの下を両手で押さえている。
次郎兵衛はそんな少年をやさしい目で見つめると、すぐにため池のほうへ行った。
「ごめんね、あんなに恐い思いをさせて」
「ううん、謝るのはぼくのほうだよ。おじちゃをならず者と勘違いしてしまって……」
「そんなこと、わしは全然気にしていないぞ」
ため池できれいに洗った少年は、次郎兵衛のそばで自分の名前を言い出した。
「ぼくの名前は並之助だよ」
「並之助か、男の子らしい名前だね。お年はいくつかな?」
「8つだよ。よろしくね!」
次郎兵衛のやさしい眼差しに、並之助はあどけない笑顔を見せた。並之助は、ならず者を斬り倒した次郎兵衛にすっかり見入っている。
すると、向こうから若い女の人の声が並之助の耳に入ってきた。女の人はおおよそ20代半ばぐらいの若くてしっかり者であり、服装は袖なしで丈の短い着物である。
「並之助、そろそろ家へ帰らないと」
その声に反応すると、並之助はすぐに女の人のところへ行った。女の人の横でへばりつく並之助の姿は、まるで母親と子供の関係そのものである。
その関係が本物と次郎兵衛が感じたのは、並之助の発したこの言葉である。
「おっかあ、聞いて聞いて! ここにいるおじちゃが、悪いならず者をこんなにやっつけたんだよ!」
並之助の言葉を聞いた母親は、河原に斬り倒されたならず者たちの屍を見ながら驚いている。そして、女の人と並之助は次郎兵衛のそばにきた。
「あの……。もしかして、ならず者を倒したのって……」
「そんなにかしこまらなくても……。わしの名前は次郎兵衛という者だ。もしかして、並之助の母ちゃん?」
「あたしは、並之助の母のおうめと申します。あれだけのならず者を倒してくれて、本当にありがとうね」
おうめは思わず涙を流しながら、次郎兵衛に感謝の言葉を伝えた。
山奥の小さな村でこの親子以外で見かけるのは、我が物顔で襲いかかるならず者ばかりである。父親を失ったこともあり、たった1人の息子である並之助をおうめがいつも心配するのも無理ない。
おうめはならず者の一団を撃退した次郎兵衛を見ながら、今は亡き父親の姿を重ね合わせている。
「よかったら、あたしの家へきてくだされば……」
「このわしに声をかけてくるとは……。本当にありがたい」
おうめは並之助と手をつなぐと、次郎兵衛を自分の家へ案内することにした。