その7
「亀蔵……。おつる……」
「次郎兵衛さん……」
突然の事態に、次郎兵衛はなかなか声を出すことができない。
そこへ、外見からも威圧感を持った風貌がはっきりと分かる武士の男が中へ入ってきた。
その顔を見た瞬間、次郎兵衛は自分に詰め寄ってきた林田という代官の男にそっくりということに気づいた。
「ま、まさか……。代官という立場でありながらこんなことを……」
「そのまさかさ。わしは小田郡奉行配下の代官、林田倫安だ」
次郎兵衛の前に現れたのは、この賭博場の黒幕である林田である。その姿に、次郎兵衛はいら立ちを隠せない様子である。
「林田……。あの井左衛門一家の件を一家心中による自殺として片づけたそうだが、実際は自殺では無くて他殺では……」
すると、この言葉に反応した林田が即座に激高した。
「貴様! わしの前でそんな出任せなど言いやがって!」
「代官という立場でありながら、こんな悪い言葉遣いというのはなあ……」
次郎兵衛の言葉に、林田は体を震わせながら怒りをにじませている。
「次郎兵衛よ! わしらにこれ以上歯向かうのなら、この2人の命はないぞ!」
林田の脅し言葉に、次郎兵衛は歯を食いしばりながら怒りを必死にこらえている。
一方、昭吉は自ら抜いた刀を亀蔵の首筋に近づけた。死と隣り合わせの状況に、亀蔵の顔は震えたままである。
「おう、どうした! 次郎兵衛め、もうおじけついたのか……」
そのとき、次郎兵衛は自らの三度笠を昭吉に向かって投げつけた。三度笠をよけようとした昭吉は、刀を持ったままで思わずのけぞってしまった。
その間に、次郎兵衛は亀蔵とお弦を縛っていた縄を刀でそれぞれ斬り解いた。
「亀蔵! おつる! 大丈夫か」
「次郎兵衛さん……」
「2人とも、あまりここから動かないほうがいいぞ」
次郎兵衛は、亀蔵たちを守りながら賭博場にいる悪い連中と対峙している。
「森松屋の裏の顔がばれたからにはなあ……。この場で始末しないといけないようだな」
林田のひと声に、博徒や高利貸しの連中が一斉に刀を抜いてきた。それは、目の前にいる獲物を狙うかのような雰囲気である。
「殺せ! 殺せ! こいつをさっさと殺せ!」
昭吉の叫び声に、連中は次々と次郎兵衛に向かって刀を振り下ろした。そんな状況でも、次郎兵衛は左利きの刀さばきで相手をばっさりと斬り倒している。
牙をむくように襲いかかる森松屋の連中だが、次郎兵衛の前ではなかなか歯が立たない。
「くそっ! おれたちの仲間を……」
「裏で博打や高利貸しをやっておいて、よくそんなことが言えるな」
次郎兵衛は毅然とした態度で、後方から刀を振り下ろす敵にも振り向きざまに斬っていった。賭博場には、斬り倒された何人もの屍が床に転がっている。
「さあ、今のうちにここから逃げて!」
「次郎兵衛さんは?」
「わしは大丈夫だ。この者どもをさっさと大掃除しないといけないからな」
亀蔵とおつる、そして常連客は次郎兵衛の言う通りに賭博場から逃げ出して行った。
「貴様! よくもわしに泥を塗るようなことをしやがって……」
林田のいら立ちが頂点に達すると、昭吉は怒りに任せながら次郎兵衛に襲いかかった。
次郎兵衛はすかさず身をかわしたが、後方からは高利貸しの連中が2人がかりで襲いかかってきた。
「しぶとい連中だなあ。だが、おまえらの狙いなどすでにお見通しだ!」
次郎兵衛は、振り向きざまに後方の2人をバッサリと斬った。しかし、ここで一息つく暇はない。
「次郎兵衛! そっちばかり気を取られてもらっちゃ困るぜ!」
昭吉は次郎兵衛を始末する好機と見るや、すぐさま後ろから刀を振り下ろした。これに気づいた次郎兵衛は、よろけながらも何とか間一髪でかわした。
昭吉の攻勢はその後も続くが、次郎兵衛はその度に自らの刀で食い止めている。
「んぐぐぐぐっ……。次郎兵衛め……」
「それはこっちのセリフだ!」
次郎兵衛は相手のわずかな隙を見つけると、素早い動きで横から斬った。そして、続けざまに斬りまくると、昭吉は仰向けに床へ倒れ込むように息絶えてしまった。
次郎兵衛は、昭吉の着物から亀蔵が肩代わりする旨の借用書を見つけた。
「借金取りもいなくなったことだし、この借用書はもう関係ないな」
次郎兵衛は、借用書をろうそくへ近づけようとしている。これを見た林田は、いきなり次郎兵衛の目の前で刀を振り下ろした。
すぐ身をかわした次郎兵衛であるが、林田の行動には首を傾げざるを得なかった。
「林田よ、この借用書とは全く関係ないはず。それなら、いきなりわしを襲ったのはどういう理由か?」
次郎兵衛が発したその言葉に、林田は一切口を開こうとはしなかった。その姿勢に、次郎兵衛は林田への疑念を深めることになった。
「井左衛門一家の件も、無理心中に見せかけて縄で絞め殺したんじゃないだろうな」
「黙れ! 代官の前で嘘八百しゃべりやがって! ただで済むとは思うなよ……」
林田は、自分を疑いの目で見る次郎兵衛に刀を突きつけた。その鋭い目つきは、次郎兵衛に対する怒りで満ちている。




