その6
次郎兵衛は、急いで森松屋へ向かった。矢掛宿は出入口を除けば直線に伸びる一本道であり、旅籠や木賃宿、商店などもそれに沿って密集している。
森松屋の外観は、普通の口入屋とあまり変わりないように見える。その日の職種と斡旋先を記した張り紙も張られている。
「ここが森松屋か……。念のため、用心するに越したことはないな」
上本屋のご主人の話した通りならば、障子の向こう側で丁半賭博が行われているはずである。それ故に、賭場へ立ち入るに当たっては細心の注意を要するのは言うまでもない。
次郎兵衛は、三度笠をできるだけ深くかぶることにした。これも、森松屋の連中に視線を極力合わせないためである。
森松屋の中へ入ると、次郎兵衛の前に現れたのは人相の悪い顔つきをした男である。しかし、その男の口調は外見とは大違いである。
「あのう……、今日はもう仕事の手配が終わっていますので、また明日……」
「いや、わしがここへきたのはそういうことではなくて……」
その男は、仕事を求める人々に商店や宿屋などに斡旋する手配師である。手配師だけあって、一応はまともな仕事を行っている感じである。
「この奥で丁半博打を行っているというのか……。人影が障子からぼんやりと見えるのも気になる」
次郎兵衛は、上本屋のご主人の一言が頭から離れることはできない。外観は立派であっても、森松屋の黒い噂は決して絶えることはない。
すると、手配師が再び口を開いた。
「それなら、何か別の件でここへきたということでしょうか?」
目的を問われた次郎兵衛は、即座にこう答えた。
「わしがここへきたのは他でもない。賭場があるのを聞いてやってきたが、それはどこにあるのか?」
単刀直入に言った次郎兵衛の一言に、手配師はすぐに障子の方向へ顔を振り向いた。手配師が小声で何かやり取りしている様子は、次郎兵衛の目にもすぐに分かった。
しばらくして、手配師は次郎兵衛に賭場への入場を許すことにした。その場所は、障子が閉められたところである。
次郎兵衛は、手配師に視線を合わせないように建物の奥へ進むことにした。障子の向こう側で博打が行われていることなど、一般の住民は全く知らないだろう。
しかし、次郎兵衛が耳を澄ますと、男たちの掛け声らしきものが聞こえてきた。
「やはり、ここで博打を行っているのは間違いないようだな」
次郎兵衛は、目の前の障子をそっと開けることにした。そこには、常連客らしき男たち数人と博徒連中が対面するような形で丁半博打が行われている。
薄暗い部屋なので、昼間であるのに何本も立てたろうそくの明かりでこんこんと照らされている。
「これが、森松屋の裏の顔か……」
次郎兵衛が心の中でつぶやいていると、進行係である中盆が何か言い出してきた。
「おう、そこの三度笠よ。初めて見る顔だな」
「そ、そうですかな……。ははは……」
ここにいる博打連中は、見るからに鋭い目つきをしているのが分かる。しかし、借金取りの連中と比べるとそんなに人相の悪い人物ではない。
その間も、常連客が必死の形相でコマ札を賭けていた。
博打の内容は、いたって単純である。2つのサイコロの数を足して、偶数なら「丁」、奇数なら「半」と答えればいい。二者択一なので、普通に考えて当たる確率は5割となるはずである。
常連客の様子を眺めるたびに、次郎兵衛は何度も気になることがあった。
「ここにいる客が全員負けるなど、普通ならあり得ないはずなのに……。しかも、一度ならず二度までも全員負けるとは……」
次郎兵衛は、この博打自体に何かきな臭いものを感じ取っている。博徒連中の目的も気になるところである。
しかし、ここで怪しまれる行動をしたら、賭博場への潜入が水の泡になってしまう。次郎兵衛は、常連客に交じって座ることにした。
目の前では、中盆の指示に従ってツボ振りがツボに入れたサイコロを振っていた。
「あの2人、何かおかしいぞ。サイコロを振る前に、やたらと耳打ちしているし……」
次郎兵衛は、サイコロにイカサマでもしているのではと疑っている。なぜなら、別の宿場町でも同じ方法でのイカサマを見たことがあったからである。
ツボの中にサイコロを入れて振るツボ振りの動きを、次郎兵衛は注意深く見ていた。
「さあ、半か丁か」
ツボ振りはツボの口を下に伏せると、常連客はコマ札を賭けていった。
他の客が「半」と予想する中、次郎兵衛は「丁」と予想してコマ札を全て賭けた。
「おい、全部賭けるのか……」
「三度笠のやつ、頭おかしいんじゃないの」
常連客は、全部賭けた次郎兵衛を奇怪な目で見ている。しかし、次郎兵衛はそんなことで気にするそぶりを見せることはない。
なぜなら、よほどの自信がないとこんな無謀なことなど不可能だからである。
「コマがそろいました。勝負!」
中盆が声を掛けると、ツボ振りはツボを上げた。
「三五の丁!」
ツボ振りの声に、常連客の多くは悔しさをにじませている。一方、予想を的中させた次郎兵衛は大量のコマ札を獲得した。
そのとき、中盆が出入口の障子を開けると、森松屋の手配師と何やらひそひそと話し始めた。
「賭場のほうはどんな様子だ」
「それが、ちょっと気になることがありまして……」
中盆の言葉に、手配師はそういう内容なのかすぐに察知した。
「もしかして、三度笠の男のことか」
「ああ、おれたちがツボ振りしているのを見られている気が……」
2人が三度笠の男に警戒するよう確認すると、中盆はツボ振りの隣へ再び戻った。中盆は、賭場で三度笠を唯一かぶっている男をじっと見ている。
その三度笠をかぶっている次郎兵衛は、次はどこへ賭けるか考えているところである。
ツボ振りはサイコロの入ったツボを再び振ると、ツボの口を下に伏せた。
これを見た次郎兵衛は、すぐさま「丁」にコマ札を全て賭けた。
「やっぱり、これもイカサマだったか……」
次郎兵衛は、博徒ぐるみのイカサマの事実をこの目で確信したようである。
「コマがそろいました。勝負!」
ツボ振りがツボを上げると、そこにはサイコロの2と4の目が上にあった。
「四二の丁!」
中盆の発した言葉に、賭場にまたもやどよめきが沸いた。なぜなら、「丁」に賭けて勝ったのは次郎兵衛だけである。
他の客を尻目に、2回続けて勝った次郎兵衛はあふれるほどのコマ札を手にしようとした。
すると、博徒連中が次郎兵衛の目の前へやってきてはいきなり因縁をつけてきた。
「おう! 2度も勝ったからと調子に乗りやがって!」
「ちょっと待ってくれ。いきなりコマ札の上に足を踏むなんて」
凄んだ顔を見せる博徒たちですが、三度笠をかぶった次郎兵衛は動じる様子を見せることはない。
「そういえば、このサイコロ……。何か変だよねえ……」
「おい、何をするんだ!」
次郎兵衛は博徒たちの前で2個のサイコロを噛むと、それを右手に吐き出した。そこには、割れたサイコロの中から鉛玉が現れた。
「よくもまあ、サイコロに細工したイカサマを平気でするとはなあ……。森松屋もこれで大儲けしているんだろうなあ」
次郎兵衛は、森松屋が博徒を使ってイカサマ行為をおこなっていたことをやんわりと指弾した。
そのとき、障子を乱暴に開ける音が聞こえると、昭吉たちが亀蔵とおつるを無理やり縄で縛って連れてきた。




