その5
次の日、次郎兵衛はいつものように起きるとすぐに部屋を出た。
すると、板の間を腹掛け1枚で走り回る2人の男の子の姿があった。その姿に、次郎兵衛は思わず笑みを浮かべた。
「あれだけ親から言われても、こんなに動き回るのは子供ならではということか」
次郎兵衛は、何気ない庶民の日常に目を凝らしながら見つめていた。それは同時に、済む家も帰る家もない次郎兵衛の現実をそのまま表すものである。
朝ごはんを食べ終えると、次郎兵衛はすぐに土間へ下りた。そこには、心労が重なって疲れ気味の亀蔵の姿があった。
「どうすればいいんだ……。今日中に30両を用意しなければならないのに……」
一睡もできずに精神的に追い詰められた亀蔵の気持ちに、次郎兵衛はただ見つめるしか他はなかった。
「30両払わなかったら、わしの娘が……。高利貸しの連中に連れて行かれてしまう……。ううっ、うううっ……」
莫大な借金を背負った亀蔵にとって、30両を捻出することがどれだけ困難であるかを思い知らされることになった。
「先々代から続いた亀島屋の看板も、これで下ろすしかないのか……」
おつるを守りたくても、30両のめどすら立たない状態に亀蔵は思わずつぶやいた。
「何とかして娘を守りたい、でも……」
この様子に、亀蔵のそばへやってきたおつるは自分の思いを涙ながらに訴えた。
「父さん……。今まで築き上げた亀島屋の屋号を下ろすようなことはしないで! ううっ、うううううっ……」
顔を隠すように泣き出したおつるの姿に、亀蔵は必死になだめている。
次郎兵衛は、2人の様子に心を動かされるとすぐに宿から外へ出た。矢掛宿の中を歩きながら、井左衛門一家の死の真相につながる情報の収集にいそしんでいる。
その途中で、ある商店の前で女性たちが何かを話している。次郎兵衛は、どうしてもその内容が気になって耳を傾けた。
それは、借金の形として売られた娘たちの末路を示唆する内容である。
「例の一家心中の件で思い出したけど、近くの醤油屋のところで娘を失ってすごく悲しんでいたわ」
「それって、やはりあの高利貸しに連れて行かれたの?」
「うん……。借金が払えなくなって連れて行かれたの」
女性たちは、醤油屋での出来事をを声を潜めながら話していた。すると、女性の1人が涙を流しながら口を開いた。
「借金の形に取られて吉原へ売られた娘は……。骨壷になって無言の帰宅をしたのよ、うううううっ……」
顔を隠して泣き続けるしぐさを見るだけでも、遊郭に売られた女性の悲劇を十分に感じられるものであった。
「このままでは、おつるが同じようなことになるかも……」
何とかして亀島屋とおつるを守りたいと考える次郎兵衛であるが、その妙案はなかなか出てこない。
次郎兵衛が少し歩くと、「上本屋』と記した看板が掲げられた質屋があった。
「ここで何か手掛かりがあれば……」
別に、ここで何かを質にいれてお金を借りるというわけではない。せめて、一連の件で有力な事柄があればという思いで中へ入った。
「いらっしゃいませ。どういうご用件でしょうか?」
「ご用件って……。わしは、あることを聞きたくて立ち寄ったわけだが」
物静かな上本屋のご主人に、次郎兵衛は高利貸しの連中に関することを聞いてみた。
そのとき、ご主人の口から驚くべき事実が出てきた。
「この近くに、『森松屋』という口入屋があるんだが、そこに昭吉とか借金取りの連中が頻繁に出入りしているのを耳にしてなあ……」
新事実に耳を傾ける次郎兵衛に、ご主人はさらに言葉を続けた。
「まあ、口入屋だから商店とか工事現場にも商人や職人を斡旋することはしているんだが、その裏では荒くれ者を使って借金の強引な取り立てを行っているって話だ」
「やっぱりそうか……」
「ここだけの話だが、障子の向こう側で丁半博打が行われているという噂があってなあ……。高札には博打の厳禁が決められているのに……」
ご主人は嘆かわしい表情でつぶやくと、手元にあった質物台帳をのぞき始めた。
「ちょっと、これを見てくださいな」
ご主人の言葉に、次郎兵衛もその台帳に目を通した。そこには、気になる内容が記されていた。
「着物とかを大量に質草にしているけど、これらを質に入れた人物が林田って……」
「そうだ、大量に持ち込んだのは小田郡奉行配下の代官である林田倫安ご本人だ。代官という身でありながら、博打にうつつをぬかしやがって……」
いつも冷静なご主人が怒りをにじませている様子に、次郎兵衛はになった冷静になるよう促した。
次郎兵衛は、ご主人にお礼の言葉をかけるとすぐに外へ出た。上本屋で得た情報は、非常に意義のあるものとなった。それは、高利貸しと丁半博打、そして代官の林田の3者が森松屋という1つの共通点に繋がったからである。




