その4
次郎兵衛と亀蔵は、野次馬をかき分けながら西井屋の近くへやってきた。すると、西井屋からムシロをかけられた遺体が何体も運び出されていた。
「ま、まさか井左衛門が……。まいつに限ってそんなことは……」
亀蔵は、祈る気持ちで遺体にかけられたムシロをめくった。しかし、それは亀蔵にとって悲しい現実を突きつけられることになった。
「なぜだ……。いつも気さくだった井左衛門がどうしてこんな姿に……。ううっ、ううううっ……」
亀蔵の目の前には、冷たくなって息絶えた井左衛門の遺体があった。亀蔵は、涙をこらえきれずにその場で泣き続けた。
西井屋からは、井左衛門の他に妻と娘の遺体が運び出された。3人に共通するのは、いずれも首に縄で絞められた痕跡が見られることである。
次郎兵衛は、周りに集まった人々の声がかすかに耳へ入ってきた。
「ご主人は気配りのできる人だったのに……」
「西井屋って、ここ1週間ぐらいずっと高利貸しが真夜中に乗り込んでは激しい怒鳴り声で金返せと叫んでいたわ」
次郎兵衛は、これまでのことを改めて思い起こした。
「井左衛門の借金を肩代わりをした亀蔵への執拗な借金の返済要求、そして井左衛門一家の死……」
亀蔵への取り立ての前に井左衛門に借金返済で西井屋へ乗り込んだとなると、一家そろって心中したのではと考えても無理はない。
次郎兵衛は、遺体の前で泣いている亀蔵のそばへやってきた。井左衛門の首には、縄で絞められた跡がはっきりと残っている。
しかし、その絞められた跡を見た次郎兵衛は首を傾げた。
「これは自殺とは言い難いような……」
「ちょっと、井左衛門の首を見たらどう考えても自ら命を絶ったとしか思えないけど」
縄で首を絞められたという事実がある以上、普通の人だったら自殺であると考えるのが妥当だろう。
それでも、井左衛門の死因が自殺ではないと次郎兵衛が考えるのには理由がある。
「首のところに引っかき傷があるのは、絞められた縄を取ろうと抵抗したという証拠だ。自殺なら、そんな引っかき傷など存在しないはず」
次郎兵衛がこう言い切れるのは、旅の途中で首吊り自殺をした遺体を見た経験からである。似たような遺体であっても、引っかき傷の有無で自殺と他殺の違いが見分けられるのはそのためである。
「井左衛門が他殺なら、残り2人も……」
次郎兵衛は、残り2人の遺体を確かめようとムシロをめくった。そこには、予想通り縄で絞められた跡と同時に引っかき傷があることがこの目で分かった。
そのとき、西井屋から出てきた1人の男が次郎兵衛に詰め寄ってきた。
「おい! そこで何をしているんだ!」
「いや、ちょっと気になることがありまして……」
「気になるだと? この3人はいずれも首を吊って自殺したということだ」
その男は、整然とした着物の着こなし方と威圧感のある風貌から郡奉行に属する代官のようである。
「その3人の遺体をここから運び出せ!」
「林田様、承知しました!」
林田と呼ばれる代官の命令に従って、部下の手代たちはムシロをかけられた遺体を他の場所へ向かって運んで行った。
そそくさと去っていく林田たちの様子に、次郎兵衛は何か妙な感じがした。
「あの男は代官のようであるが、その割にろくに調べもせずに自殺と決めつけるとは……」
そこへ、亀蔵が涙をぬぐいながら次郎兵衛のそばへやってきた。ムシロをめくって遺体を見ている次郎兵衛の姿に、亀蔵はずっと気になっていた。
「次郎兵衛さん、さっきから何をしていたんですか?」
「首を絞められた跡を見ていたけど、あの2人も自殺ではないみたいだぞ」
「えっ? じゃあ、一家そろって殺されたっていうことか?」
亀蔵は、次郎兵衛の言葉に驚きを隠せなかった。それだけの証拠がなかったら、他殺と言い切れないからである。
しかし、誰が井左衛門一家を殺害したのかは次郎兵衛もまだ分からない。
亀島屋へ戻った次郎兵衛は、他の宿泊者とともに囲炉裏で晩ご飯を食べることにした。
左利きへの風当たりが厳しいこの時代、左手で箸を使うことに他の人がよそよそしさを感じたのは一度や二度ではない。
イワナの塩焼きと味噌汁を前にして、次郎兵衛は箸を右手でつかんだ。普段から左利きの次郎兵衛にとって、右手で箸を持つのはぎこちないものがある。
「他の人がいる前で左手を使うわけにもいかないし……」
1人で食べるのとは違って、ここには老若男女と囲んで食事をしなければならない。
次郎兵衛は、慣れない右手を持ちながら味噌汁をかきこんでいった。こういうのは行儀が悪いけど、箸がうまくつかめない次郎兵衛にとってはやむを得ないことである。
食事が終わると、次郎兵衛はろうそくに照らされた板の間で正座をしていた。
「林田という男、何か後ろめたいことがあるのでは……。遺体をよく調べずに自殺と結論づけているし……」
次郎兵衛は、遺体で発見された井左衛門一家への林田たちの対応を思い起こした。だが、一家3人を絞殺したのが誰なのかは、確たる証拠がないのが現状である。
すると、おつるが心配そうに次郎兵衛に小声で話し出した。
「ずっと正座しているけど、何かあったの?」
「今日のことでどうしても気になることがあって……」
次郎兵衛は返事を返すと、さらに言葉を続けた。
「亀蔵には既に言ったけど、西井屋の一家の件、あれは自殺に見せかけた他殺じゃないかな」
その言葉に、おつるは声を詰まらせた。普通の人だったら、自殺か他殺かの区別が困難だからである。
「他殺だとしたら、一体誰が……」
「そこが分かればいいのだが……。今のところ、誰が関わっていたのかまでは断定できないし……」
このまま考えても、時間だけが過ぎるばかりである。そう悟った次郎兵衛は、自分の部屋に入ってぐっすり眠ることにした。




