その1
ここは、山陽道の川辺宿と矢掛宿のほぼ中間にある1軒の茶屋である。「矢田屋」と名づけられたその茶屋で、次郎兵衛は串団子を1つずつ口に運んでいた。
いつも右手を使うのが苦になる次郎兵衛であるが、団子を刺した串を右手で持つしぐさは他の人とそう変わりはない。
「こうして一休みしている間に、生まれて初めて見る山の風景を見ておくとするか」
次郎兵衛が見上げているその山は、戦国時代に山城があった猿掛山である。
終わりなき旅を続ける次郎兵衛にとって、その土地ならではの風景を見逃すことがしばしばある。悪人から命を狙われるが故に、次郎兵衛は気を緩めるわけにはいかないからである。
次郎兵衛が団子を食べながら茶をすすると、人相の悪い男たちが次々と矢田屋へ入ってきた。5人がかりで茶屋の中へ入ると、男たちはいきなり怒鳴り声を張り上げた。
「おい、こら! この前借りた金、利息付けて返してもらおうか!」
恫喝まがいの声に、矢田屋のご主人はあまりの恐さに体を震えていた。
「待ってくれ、もう少ししたら金は入ってくるから……」
「その言葉なんかもう聞き飽きたんだよ! 利息を含めて15両、さっさと払わんかい!」
ご主人が何度繰り返し懇願しても、男たちはそんなことを聞く耳を持とうとはしない。すると、高利貸しの中心にいる昭吉がご主人の左肩に手を置いた。
「もし払えないというのなら、分かっているだろうな」
「ど、どういうことですか……」
「決まっているだろ、借金の形としてこの女を連れて行くとな!」
昭吉は、ご主人の口元に手を添えると耳打ちするように脅し文句を吐いた。高利貸しの連中は、借金の証文を盾に大声を上げながら茶屋の中で暴れ続けた。
そして、男たちは店番の娘を借金の形として連れ去ろうと無理やり引っ張ろうとしていた。
「きゃあああっ! お、お願いだから放して!」
娘の大きな悲鳴は、次郎兵衛の耳にも入ってきた。次郎兵衛は縁台から立ち上がると、すぐさま高利貸しの男たちの前へ出てきた。
「ちょっと待て! その娘をどこへ連れて行くつもりだ!」
突然現れた次郎兵衛の姿に、男たちは鬱陶しそうな目つきをしている。そこへ、茶屋の中にいた昭吉が次郎兵衛の前へ出てきた。
昭吉は、出てくるなり次郎兵衛を鋭い目つきでにらみつけた。
「おい! 誰の面に向かって言うとるのか」
「借金の形かどうか知らないけど、今すぐその場で娘を放せ!」
昭吉の怒りをにじませた脅し文句にも、次郎兵衛は動じることはなかった。すると、高利貸しの連中は次郎兵衛に因縁をつけながら一斉に刀を抜いてきた。
「ならば、おめえを倒すまでさ。ここでおめえを血染めにしてやろうか」
昭吉の不気味な言葉に呼応して、男たちは次々と次郎兵衛に襲いかかってきた。これを見た次郎兵衛は、左手で抜いた刀で男たちを2人続けて斬り倒した。
いきなりの出来事に、男たちは声を出せずにいた。地面には、次郎兵衛に斬られて息絶えた仲間たちの屍が転がっている。
「減らず口をたたく割には、口ほどでもない奴らだな」
「うぬぬっ……」
「く、くそう……。お、覚えてやがれよ」
昭吉は他の連中とともに、次郎兵衛をにらみつけながらその場を去って行った。次郎兵衛は右腰の鞘に刀を戻すと、矢田屋のご主人と娘がお礼をしようと声をかけた。
「どなたか知りませんが、危ういところを助けて下さって本当にありがとうございます」
「そんなにお礼をしなくても……。わしは、人として当然のことをしたまでですから」
ご主人からのお礼に、次郎兵衛は謙虚な姿勢で受け答えした。誰から求められなくても、許せぬ悪から弱い立場の人々を助けることはお手のものである。
次郎兵衛は、串団子を含めたお茶代を娘に手渡して茶屋から出ようとした。娘の手にあるのは、お茶代に加えて1両の小判があった。
これに驚いた娘は、すぐに次郎兵衛を呼び止めた。
「すいません、お茶とお団子だけならこれで十分なんだけど……」
「あんな奴らにこんなに滅茶苦茶にされたら、新しく直そうにもお金がかかるだろう。これは、わしができるせめてもの償いだ」
次郎兵衛は、その言葉を残して再び山陽道を歩き出した。ご主人と娘は次郎兵衛のやさしさに思いをはせると、その姿が見えなくなるまでずっと目に焼きつけていた。




