私の名は、さすらいにございます
「さて…次は何処ぞにつくのでしょうか」
宛てもない、ただただ放浪するだけの道。
私は一人、異界の地を歩きます。この異界にやってきて、一体どれ程の年月が過ぎた事でしょう。頼る者もおらず、留まる場所もない。今の私のただ一つの楽しみは、この美しい異界の地を彷徨い歩くだけ。
身軽な着流しに羽織を身につけてはおりますが、照りつける太陽に晒されても暑くはございません。足を休めず、歩き続けてはおりますが、疲れもございません。全く、不思議なものです。
つい昨日に大都市を出たばかりでございますが、一向に次の街も目に入りません。
「ふむ、お腹が減りましたね…休憩といたしましょう」
私は少し畦道から逸れた、すぐ近くの森の大きな岩に腰掛けました。こうして見ると、異界の空も、日の本と同様に趣がございます。
私は着物の袖から握り飯を取り出し、膝を上に置きます。この着物は大層奇怪な代物で、制限なく物を入れる事が出来るのです。それとなく街の方に話を聞いてみれば、「アイテムボックス」なる不思議な箱ならば似たようなものがあるようです。貴重品として扱われ、賊に狙われる事も多いようですので、私はこの袖の事をまだ誰にも話した事がございません。
手作りの握り飯を口に含むと、まだ温かさが感じられます。これまた不思議な事に、時間が経過しないようなのです。
「日の本の米が食べたい…」
異界の食べ物も悪くはないですが、日の本の料理が懐かしい。和食は勿論ですが、日の本ならではの洋食も記憶に残っております。
握り飯を食べ終え、腹も膨らみましたので、私は再び畦道に戻りました。変わらない景色だからこそ美しいというか、何故だか飽きないのです。
しばらく歩いておりますと、畦道の真ん中で立ち往生をしている大きめの馬車を見つけました。何かあったようですが、賊や魔物に襲われている様子も見えません。ですが、切羽詰まった状態だというのは確かなようです。
「あぁ、そこの人! 薬を持っていませんか?!」
近くにいると、私は乳母のような格好をした初老の女性に掴みかかられました。痛いです。
「薬は持っておりませんが…私は流浪の医者でございます。病人がおられるのですか?」
「お医者様? 良かった…すぐに診てちょうだい」
彼女が安堵の表情を浮かべるのも束の間、馬車の中から呻き声が聞こえてきました。私は彼女に腕を掴まれ、馬車の中に放り込まれます。痛いです。
顔を上げて座席を見ると、さぞ苦しげな表情をされた少年が横たわっています。冷や汗をかき、息が荒く、肌が青白い…危ないかもしれませんね。
私は左目にかかった髪を払いのけ、ジッと少年を見つめました。
「『魔性心臓疾患』ですか…不味いですね」
「お医者様、殿下はどうなのですか?!」
乳母が乗り込んできて、少年に駆け寄ります。殿下…もしやこの少年は、この国の王子か何かでしょうか。
「これまでも、このような発作が?」
「えぇ、殿下は生まれつきお体が悪くて…王都に戻る途中なのだけど、発作の薬も切れてしまって…」
「この性質の病気は進行が早い。普通の薬でどうにかなるものではございませんよ」
私は袖に手を入れ、小瓶を取り出します。白い液体の中には青色の粒のようなものが数多に転がっております。
私は小瓶の蓋を開け、苦しげな少年の頭を支えてゆっくりと飲ませてやります。次第に呼吸も安定し、一瓶飲み終えた頃には普通の状態へと戻りました。先ほどよりも顔色が良くなり、脈拍も丁度良い。これでもう、この少年は大丈夫。
「殿下は…大丈夫なのですか?」
「えぇ。あの薬は特別製ですから、どんな病気も治ります」
そう言うと私は耳にかけた長めの前髪を再び、左目に被せます。私にとって左目は、あまり露出させたくないものですので、悪しからず。
*
しばらくすると、少年は目を醒ましました。翡翠色をした煌めく瞳を薄らと開け、私の顔を見つめてきます。
「あ、れ…僕は一体…」
「殿下! あぁ、良かった!」
乳母は少年に抱きつき、静かに涙を流しております。感動感動…と言いたい所ではありますが、この馬車、少し不自然でございますね。
「ねぇヒストリア、僕、突然頭痛がして…息苦しかったのに…何で物凄く体が楽なの?」
「殿下、この方が殿下のご病気を治してくださったのですよ」
「僕の、病気を?」
少年は一度は目を伏せましたが、再び私の顔を見つめます。微笑んでやると、一瞬で泣き崩れてしまいました。そ、そんなに私、化け物地味た顔でしたでしょうか。
落ち着いた頃に話を聞くと、どうやら「不治の病」だと言われていたようで、こんなに清々しい気分も生まれて初めてなんだとか。まだ病気が完全に治ったかは分かりませんが、彼の中の悪いモノが綺麗になくなったのは確かです。
深呼吸をすると、乳母が自己紹介を始めます。
「お医者様、私は殿下の乳母のヒストリア・クレッセンでございます。この度は、何とお礼を申し上げたら良いか…」
「ぼ、僕は『フェルディナンテ王国』第四王子の、ルルーシュです。ルルーシュ・フェルディナンテ」
やはり、この国の王子様でしたか。
「お医者様…お名前をお伺いしても宜しいですか?」
「私の名、でございますか?」
私には名などございませんよ、王子。
と、そう答えるわけにもいきませんね。
「私の名は…私の名は、さすらいにございます。この異界の地を放浪する、しがない医者とでも言っておきましょうか」
「さすらい、様…? 変わったお名前ですね」
当たり前です、適当につけたんですから。
しかしまぁ…「さすらい」とは。私に相応しい名だと思いませんか。目指す場所も留まる理由もなく、ただ一人常世をさすらう者…これを名と言うのは違和感しかございませんがね、へっ。
「それにしても、医者が何故、こんな道を一人で歩いていらっしゃるのですか?」
「医者と一言で言いましても、商人の真似事のような事もしておりまして…街を転々としながら荒稼ぎをし、旅をしているのです。私からも、一つ質問を宜しいでしょうか?」
どうぞ、とルルーシュ殿が頷いてくださったので、私は遠慮もせずに問いかけます。
「一国の王子が馬車に乗っているというのに、乳母一人とは、ちと不用心過ぎではございませんか? 普通ならば、護衛の一人や二人つくものでは?」
「先ほどの殿下の発作で…薬草を探してこいと命じたので」
「ふむ…事情は分かりますが、一人くらいは置いておかねば狙われますよ。斯様な馬車なのですから、賊やら魔物やら来るでしょう」
「それはもう…私の考え足らずです。殿下を守る乳母でありながら…」
いや、突然苦しみ出せば、頭が回らなくなるのは仕方のない事です。何方かと言えば、発作を抑える薬を切らしている方を悔いた方が良いかと思われます。まぁ、結果的に助かったから良かったのですがね。
「とりあえず、その護衛の方々が戻って来るまでは私が此処にいましょう」
「でも、戦えるの?」
ルルーシュ殿が首を傾げております。
「えぇ、私では力足らずかもしれませんが、いないよりかは良いでしょう。大丈夫です、肉壁程度にならなれますから」
「に、肉壁って…さすらい、大丈夫だよ」
「ルルーシュ殿はお優しいですね。ですが、自分の患者の経過具合も見たいですし…少し、歩いてみませんか?」
職業病と言いますか…久しぶりに医者らしい事をしましたので、ルルーシュ殿の体調が気になります。先ほど飲ませた薬だって、いくら万能薬言えど自作の代物なので、ルルーシュ殿の体に異変をきたす可能性も否めません。
一先ずルルーシュ殿を抱き起こし、手を取ってゆっくりと立たせます。フラつく様子もなく、ルルーシュ殿は嬉しそうな表情を浮かべていました。
「立てた! ヒストリア、僕立てたよ!」
「えぇえぇ、立てましたね殿下! ご立派ですわ!」
おや、これは体が弱くて立つ事もままならなかった感じですか。
…万能過ぎますよ、私の薬。とりあえず結果オーライという事で。
「では、馬車から降りましょうか」
一歩一歩、ゆっくりと、しかし確実にルルーシュ殿は歩いております。曰く、今までは車椅子を使っており、自分の足で立ったのは五年降りですとか。立って歩いた経験があるのなら、リハビリも楽でしょう。五年程度なら、感覚もまだ残っているはずです。
地面に足をつけた時のルルーシュ殿の表情は、正に感動を具現化した結晶のようなもの。感動に打ち拉がれているヒストリア殿は放置しておいて、私とルルーシュ殿は手を取り合い、再びゆっくりと歩き出します。
「体に痛みはございませんか?」
「さ、さすらいは一体、何者なの? 僕…来年には死ぬとまで言われていたのに…」
「そうですね、『魔性心臓疾患』は不治とされています。生まれつきのものですからね…徐々に体が魔力によって侵されていく病気です。今、ルルーシュ殿はお幾つですか?」
「十歳だよ」
「十年も…? ふむ、相当良い医者がついていたのですね。普通ならば四、五年で命を落とすものなのですよ」
「魔性心臓疾患」は、この異界で不治の病いとされる「魔性疾患」の種類の一つで、最も扱い辛い病気です。癌のように後天的な場合もありますが、「魔性疾患」はほとんどが生まれつき。
臓器の一部が生まれつき悪い魔力によって侵食されており、それが何年もの時をかけて全身を侵す。急性ならばまだしも、魔性は徐々に徐々に染められていくので、酷く苦しいのだそうです。「魔性疾患」は稀なようですが…それを患っている王子を、普通馬車に乗せるものでしょうか。異界の医者ならばこれの恐ろしさくらい知っているはずですが。
「ルルーシュ殿は、何故馬車に?」
「僕は…医学が発展している都市預かりになってたんだ。でも、病気が悪化してきて…最後の年くらいは王都で家族と一緒に過ごした方が良いと…」
「…薬が切れるという事は、それなりに距離があるのでしょう? はぁ、何を考えているんだか」
体の弱い者を無理させるものじゃありません。異界の馬車は、決して乗り心地の良いものではありませんからね。閉鎖的な空間でずっといて、エコノミークラス症候群にでもなったらどうするんですか。ただでさえ人がいくらか乗るようですしね。
「それにしても、つい数十分前に現れた見知らぬ人間だというのに、随分と信用してくださっているのですね。今こうやって二人きりになった隙に殺されたり、攫われたりするかもしれないのですよ」
「さすらい様は、殿下のご病気を治してくださいました」
おや、ヒストリア殿が馬車から降りて参ります。
「殿下の不治の病を、一瞬にして治してくださった。あの小瓶の薬は値段がつけられぬ程高価なものなのでしょう? 王都に戻ったらすぐさま、代金をお支払いいたします」
「薬の代金? 幾らくらい出せます? ま、あんまり手間のかからない薬ですけど」
「あ、あの病気を一瞬で治す薬が…手間のかからない物?」
不味い、口が滑ってしまいました。
あの薬は、前にとある仙人が「エリクサー」という不老不死になれる薬を持っていたので、少しお借りして成分を調べた後、普通に使えるようにと自分流に改良したものです。しかし、エリクサー然り、あの万能薬然り…異界の者であれば手に入れる事がないであろう物を材料して用いる。故に、この異界の人間でない私ならば量産可能です。その特別な材料は何かと? …まぁ、それは後ほど。
「私は医者にございます。此処から先は秘密ですよ。あまり触れないでください」
「民衆には広めないのですか?」
「悪用されかねませんから。自分の作った薬なのですから、使い道くらいは自分で決めたいのですよ」
という嘘を吐いていると、森の方から人の気配がいたしました。走ってきています、敵意はないようなので、もしかすると護衛の方かもしれません。
「殿下! ヒストリアさん!」
あぁ、やはり。
騎士のような格好をした三人の男達が、駆け寄ってきた。皆両手に薬草を抱え、剣を腰にさしております。特に、一番の年長者である男性からは覇気を強く感じます。
「で、殿下…お立ちになって…ヒストリアさん、これはどういう?」
「この方が、殿下をお助けくださったのですよ」
ヒストリア殿は私を騎士達の前に連れてきます。あっ…怖い、ですね。
「ど、どうも…医者をしている者です。名はさすらいにございます」
「医者だと? 王族直属でもないただの医者に、殿下のご病気が治せたのか?」
騎士達はルルーシュ殿が立っている事から病気が治ったと思っているようですが、まだ分かりませんからね。あの万能薬を人に試したのは初めてですし、万能薬と言っても本当に万能かなど分かりませんから。
「この奇妙な服を着た奴がか? 不治の病だと…」
「さすらいは、僕に貴重な薬を飲ませてくれたんだ。詮索はしないように」
「畏まりました、殿下」
どうやら、ルルーシュ殿はスッカリ元気なようです。安心安心。
ふと騎士達の両腕に目をやると、珍しい薬草を見つけました。
「おや、これは『サルト』ではないですか。よく見つけましたね」
「え、これ、良い薬草なんですか?」
「サルト」はあまりお目にかかれる薬草ではありませんからね、良い薬草ですよ。手順正しく薬にすれば、呪い付きでなければどんな傷や毒にでも効く薬になります。異界では、ポーションというのでしたね。いやぁ、久しぶりに見ましたよ。
「譲って頂いて構いませんか?」
「さすらい様は殿下の命の恩人です、持ってきた薬草は全て譲りなさい」
ヒストリア殿のおかげでしばらく薬を作る材料には困らなさそうです。
話を聞くと、このまま馬車でいくつか街を通って行くと王都に辿り着くようです。あまり大々的にはされたくありませんでしたが、王都まで一緒に行って礼をしたいという事ですので、半強制的にですが馬車に乗せていただける事になりました。個人的にはルルーシュ殿の体調も見ていたいですしね。
さて…これから一体、何が起きるのやら。
なんか、色々大賞がやってるから書きたくなりました。
余談ですが、さすらいはこの世界の人間ではありません。が、地球人でもありません。地球に似た文化を持った別の世界の人です。