6 何だ、ソレ
東屋に行っても、セスがいるとは限らなかった訳だが、運がいいのか悪いのか、セスはいた。その後ろ姿は珍しく、落ち込んでいるように見える。
彼女の反対側には、コロネとサリーラン。シュミットは、その横で気まずそうに目を泳がせていた。
……何があったんだ? 俺は東屋へ行き、セスに声をかけようとしたが、それより早く、
「セシリアッッ!!」
エッシャーが、彼女に向かって怒鳴り声をあげる。ウルサイ。反射的に耳が下を向く。ベイカーも「ウルセエ」と言って、耳を下に向けしかめっ面をしていた。
「……サー・アール・ディーン・フラン……お前は、何故そこに立っている?」
大きな声に驚いたセスは「何事だ」と眉を跳ね上げていたが、俺の隣に立つコーデュロイを見、俺の顔を見て途端に不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
普段は呼ばない、セカンドネームを口にしたあたり、相当怒っているようだ。
「ひッ……!」
セスの様子に、コーデュロイは、小さな悲鳴を上げてエッシャーの陰に隠れた。花畑オーナー共は、自分たちがついているから、大丈夫だと彼女を慰めている。
彼女の事なんて、俺はどうでもいいのでセスではなく、仲間たちの表情を伺った。
コロネとサリーランは、バカねえ、という呆れ顔。シュミットは、何を想像したのか、十字を切っている。ここで何か話し合いがあったのは、間違いないだろう。それも、コーデュロイが関係している事で。
それなら、俺にはエッシャーの事で不機嫌になってもいいはずだ。聞かない俺も俺だが、言わない彼女も彼女なんだから。
「俺はただの通行手形だよ」
悪びれず肩をすくめて答えれば、セスは眉間の皺を深くして、
「なら、お前は今も私の物だと思っていいのか」当たり前の事を聞いて来る。
「なっ!? あなた、失礼な事を言わないで! ラフは、物なんかじゃありませんわ!」
俺より早く口を開いたのは、コーデュロイだった。
セスの眉間の皺が深くなる。だが、
「アンラッキー・スター。俺はあんたにその名を名乗った覚えもなければ、その名を口にする事を許した覚えもないぞ。どこでその名を知った?」
俺だって不愉快だ。俺をラフと呼んでいいのは、家族とセスだけだ。
「ご、ごめんなさい。あなたのフルネームが知りたくて、学院の名簿で調べてから、勝手にそう呼んでいたの……。あの……そう、呼ばせてもらえないかしら?」
「断る。それに、俺が彼女の物かどうかは、俺が決める事で、あんたにとやかく言われる事じゃない。部外者が口出ししないでくれ」
「そっ……! でっ、でも、ラ……じゃない、サー・アール・フランは人でしょう!? 獣人だからって、物扱いしていい訳ないわ! それを当たり前だなんて思わないで!」
コーデュロイが涙ながらに訴えて来るが、ずいぶんと的外れな事を言う。
「あんた、何か勘違いしていないか? 俺はずっと前から彼女の物で、彼女は俺の物だ。そうだろう?」
挑発するようにエッシャーを一瞥し、それからセスへ視線を向ければ、彼女はきょとんとした顔で
「当たり前じゃないか」
何をバカな事を、と目を丸くしている。
この発言に驚いたのはエッシャーで、
「っな!? セシリア、お前っ! 婚約者がいながら、獣人を愛人にしていたのか!? なるほど、取り巻きを使ってアクアをいじめるような見下げた女だけの事はある! いいか、セシリア! お前との婚約はただ今この時をもって破棄させてもらう! そして、新たにアクアと婚約をむすぶふぉゎっ?!」
ヤツの顔面にセスの靴が、クリーンヒット。お見事。
エッシャーは後ろへひっくり返り、俺は宙を舞った靴をキャッチした。久々に見たな、セスの靴飛ばし。攻撃力アップの魔法がかかっているから、見た目以上に強力なんだ。
コーデュロイの悲鳴が聞こえたが、無視だ、無視。
「誰がお前の婚約者だ。このスットコドッコイ。前から阿呆だ、阿呆だとは思っていたが、ここまで阿呆だとは思っていなかったぞ、ロム」
セスは東屋の壁に頬杖を突き、婚約者だと言う男を小バカにした表情で見下ろしていた。
出入り口のほぼ真横に座っていたのと、座る向きを変えたせいで、彼女のきれいな足が見えている。ストッキングをはいているとは思うが、ここからでは裸足のように見えて、俺は面白くない。
キャッチした靴を持って、俺はセスのところへ行き、膝をついて彼女に靴を履かせた。
「はあ……いろいろ、チャージさせてくれ」
「セス?」
俺に覆いかぶさるようにして、セスが抱き着いてきた。仲間以外の目があるところで珍しい事もあるものだ。俺も人目があるのも忘れて、つい、彼女の愛称を呼んでしまった。
チャージさせてもらいたいのはこちらも同じ。俺は、彼女に向き合う形で、セスの隣に腰を下ろした。
すると、彼女は良い事を思いついたとばかりににこりと笑った。何をするつもりかと思えば、セスは俺を椅子にして、エッシャーたちに向き合う事にしたらしい。
改めて連中の方へ視線を向ける。ベイカーたちは、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
当事者のエッシャーは、コーデュロイに助けられながら、半身を起こしている。
顔の中心が、靴の形に赤くなっているのが面白い。
「セシリアッッ! お前というおんっ──!?」
2射目は、エッシャーの眉間にヒット。シュミットが「俺のどんぐり!」と泣きそうな声を出した。
たかがどんぐり1つで、そんな声を出すな、シュミット。子供じゃないんだから。
この男は、何故かどんぐりを集めるのが好きで、秋になるとどんぐり拾いに出かける。それはそれは嬉しそうにどんぐりを拾って来るので、いつの間にか俺たちもほだされてしまったらしい。秋になると、全員でどんぐりを拾うようになってしまった。
拾われたどんぐりは、常にシュミットのポケットに2,30入っており、今、セスがしたみたいに飛び道具として使ったり、暇つぶし用のおもちゃになったりしている。
「黙れ、ロム。お前がしゃべるとロクな事にならん」
偉そうにふんぞり返るセスだが、背もたれが俺ではどうにも恰好がつかない。
「どうなってんだ、こりゃあ?」
ベイカーが目を丸くすれば、キャッスルも「知りませんよ!」と怒鳴る。アディソンは「訳が分からないねえ。これ、どういうことお?」と、何度も瞬きを繰り返していた。
「ちょっと! 暴力を振るうなんて最低だと思わないの!?」
「すまん。まさか、律儀に顔面で受け止めるとは思わなかったんだ。うちのメンバーなら、あれくらい、簡単に避けられるから」
俺を含めた全員は「当然」だと頷いた。サリーランが一拍遅れたのは、自信のなさのあらわれだろう。それはともかく、鷹の女王は非常におかんむりのようである。
「コロネから、事情がこんがらがっていると聞いたが、その8割はお前のせいじゃないか、ロム。婚約者を悪く言うのもどうかと思っていたが、まさか、その婚約者を勘違いしていたとはな。呆れて物も言えん」
「勘違いだと!? 馬鹿を言うな! 俺はちゃんと父上から聞いたぞ?! 俺の婚約者はセシリア・マクギャレットだとなっっ!」
「違う。お前の婚約者は、セシリア・マクギャレットではなく、セシリア・マクスウェル伯爵令嬢だ。確かにお前と婚約するという話があった事は認めよう。だが、私は乗り気ではなかったからな。2年前、正式に断らせてもらったぞ」
「っな……!? 何だとっ?! 俺はっ、聞いていないぞ?!」
叫ぶエッシャー。
「それは、小父上に文句を言え。私は知らん」
呆れるセス。
「……セシリア・マクギャレットとセシリア・マクスウェル……紛らわしいな……」
俺は、大きなため息をついた。
何だ、セスとエッシャーが婚約しているなんて、嘘だったのか。あの悶々と悩んでいた日々は一体、何だったんだ。思わずがっくりうなだれ、彼女の肩口に頭を乗せる。
「勘違いする訳だな。ロムは、昔から早とちりの上に思い込みの激しい所があってな……。知っているかも知れないが、私とロムは幼馴染なんだ。親同士が『将来は結婚させよう』なんて話をしていたらしいから──いつの間にか、思い込んでいたようだな。全く、はた迷惑な話だ」
セスもため息をついた。
「すまない、ラフ。私が聞いたのはセシリアとロムが婚約しているという話だったから、訂正しなかったんだ。まさか、私と婚約している事になっているとは思わなかった」
セスの手が、俺の首筋を優しく撫でる。仲間以外の人間が側にいるが、俺を「サー・アール・フラン」ではなく「ラフ」と呼ぶ事にしたらしい。なら、俺も彼女を「セス」と呼ぼう。
「いい。セスは俺の物だったんだから、それでいい。俺も、もっと早く聞けば良かったんだ」
「お前は変なところで後ろ向きだからな。そこが可愛いと言えば可愛いんだが」
ふふっと笑うセス。その後ろで「単にヘタレなだけでしょ」とコロネ。「時々、オトメスイッチが入っちゃうのよねえ、副長」ため息交じりに言うのは、サリーランだった。「ウチの女どもは容赦ねえな」と呟くシュミット。
外野、ウルサイ。
「マクスウェル伯爵令嬢って、病弱で出席日数ギリギリだから、Bクラスなんでしょ?」
「あの方は、深窓のご令嬢という言葉を体現したような方なのよねえ。小鳥のように可愛らしくて、撫子のように可憐で──」
「その気がなくってもさ、守ってやんなきゃ、って思っちまうようなコだよな? 確か」
「ああ。あの、俺が近づいただけで壊れそうなお嬢さんだな」
何度かセスがこの東屋に招いて、お茶を飲んだ事がある。一度、ここに来るまでに太陽光線にやられて、気を失った事もあったな。どれだけ、ひ弱なんだと驚かされたもんだ。
「そう。私とは正反対の可愛らしいお嬢さんだ。……ん? ラフ、お前がリアを避けていたのは、嫌っていたからじゃなくて、壊れそうで怖かったからか?」
「ああ。背丈は小さいし、腕は細いし、体は薄いし、ガラスみたいでうかつに触れない」
「それは、気にしすぎだ。リアはお前に嫌われているんじゃないかと、酷く気にしていたぞ」
「そうか……今度、会う機会があったら、謝っておく」
「そうしてくれ」
また、ここに招くのもいいな、とセス。
「ええと、それでだな、ここ2か月ほど不在がちだったのは、リアの見舞いに行っていたのと、エッシャー伯爵とマクスウェル伯爵に報告をしていたせいだな」
「セシリア様のお見舞いは分かるとして、伯爵に報告? 何を?」
コロネが首を傾げれば、サリーランが「ウィンザー卿の日ごろの行いではないかしら?」答えた。「ああ、素行調査ってヤツな」と、シュミット。
ずいぶんと、頭の回る外野だ。
「喜べ、ロム。お前の望み通り、婚約は白紙撤回できるぞ。ただ、そうなった場合、マクスウェル伯爵家に支払う見舞金と賠償金は、爵位を継ぐ前までにお前が働いて返せ、との事だ」
「は?! 何だって!?」
エッシャーが素っ頓狂な声を上げた。
セスは当然だろう、と鼻を鳴らしつつ、
「お前の言動が原因で、白紙撤回になるのだから、家の金は使わせない。先方への支払い金は、王宮に出仕するなり、どこかの騎士団に入るなりして、金を稼げと仰っていた」
「ちょっ……これで全部解決って顔しているけど、わたしへのいじめはどうなのよ!? あなたが、クロムの婚約者じゃなくても、わたしをいじめていないって事にはならないわ!」
ああ、すっかり忘れていたな。コーデュロイたちがいたんだった。しかし、コーデュロイ、口調が変わっていないか?
「そ、そうです!」
最初に口を開いたのは、キャッスルだった。中指で眼鏡を押し上げ、
「幼馴染だった貴方は、ウィンザー卿と親しくしているアクアに嫉妬して、取り巻きを使い、彼女をいじめた。筋は通ります──」
「通るか、阿呆。それだと私がロムに異性として好意を持っているように聞こえるだろうが」
「違うのかなあ?」
牙を口の端から覗かせ、嘘を言うなと言いたげな顔で、アディソンが言う。
「どいつもこいつも揃って節穴だな」
ため息をついたセスは、自分の肩の上にある俺の顔を指さし、真顔で、
「その男のどこが、私のラフに勝っていると?」
言外に、嫉妬する要素がどこにあるんだ、と告げる。
返事は、前からではなく後ろから。外野は、おしゃべりが好きらしい。
「え~? 身分とお金……財産かなあ?」
「お金は外してもいいと思うわ。だって、あれは伯爵家の財産で、ウィンザー卿の財産ではないでしょう? だから、今自由にできるお金なら、副長の方が多いと思うわ」
コロネが茶々を入れ、サリーランがそれについて真面目に自分の考えを口にした。
「今の金でもこれからの金でも、どっちでもいいけど、身分も財産も、隊長にしてみたら、鼻で笑い飛ばしちまうような魅力だよな」
総括したのは、シュミットだった。
「そうそう。副長のためなら、全部捨ててやるって言っちゃうんだもん~」
「素敵よね。わたしもそんな風に言われてみたい……」
うっとりと頬を赤く染めるサリーランに、コロネも「デスヨネ~」とうっとりしている。
ちょっと待て! その話、どこで聞いた!? あの時は、誰もいなかったはずだぞ!? 後ろを見れば、2人は知らん顔で「憧れるわぁ」と頷き合っていた。
さらに、黙っていればいいものを、シュミットが「サリーはともかく、コロネはなあ……」とぼやいたのだ。雉も鳴かずば撃たれまいと言うが、しっかりとコロネに、足を蹴飛ばされるか何かしたらしい。シュミットは、痛ぇ! と悲鳴を上げて、飛び上がっていた。
うるさい外野である。
外野は賑やか