5 離れたいのに……
「サー・アール・フラン。セシリアのサロンへ同行させてもらいたいのだが、構わないな?」
放課後、鍛錬場に向かおうとしていた俺を引き留めたのは、疎ましい男ナンバー1のクロムウェル・エッシャーだった。その隣にはコーデュロイとアディソン、ベイカー、キャッスルが揃っている。
脳内花畑共は、これから一戦交えてくる、と言いたげな面構えだ。
「俺は、サロンではなく、鍛錬場へ行くつもりなんだが?」
コロネから、俺も脳内花畑の一員にされかかっていると聞かされてから、コーデュロイとは距離を置いた。距離を置けば、やはり見える物が違って来る。
セスは、嘘を上手につくが、不誠実ではない。時々、不器用さを発揮してくれて、俺を呆れさせたり、怒らせたりするが。今の俺の悩みもきっと、原因はそこにある。
なら、俺は彼女を信じて待つだけだ。
「悪いけどよ、それなら、予定を変更してくれや」
何故? ベイカーの横柄な言い方に俺は眉間に皺を寄せ、そう言わせる原因であろうコーデュロイへ視線を向ける。彼女は瞳を潤ませて目を伏せ、
「実は、あなたに言われて、その……いじめの事をクロムに話しましたの──」
「何でオレが、ウィンザー卿の事情に付き合わなきゃなんねえんだって、思うけどよ、アクアの為ならしょうがねえからな」
わっしわっしと面倒臭そうに頭を撫でながら、これまた面倒臭そうに、ベイカーが言う。虎は、怠惰だからな。エッシャーのせいなんだから、お前1人で行って、解決して来い、と言いたいんだろう。
しかし、コーデュロイも同行するとなれば、話は別だ。
「付き合わせてしまってごめんなさいね、ベイカー。でも、あなたがいてくれるととても心強くて──」
しょげ返る彼女へ、ベイカーは、慌てて「気にすんな!」と言い募った。
「貴方も知っているでしょう? セシリア・マクギャレット男爵令嬢が、取り巻きを使ってアクアをいじめている件ですよ。これ以上は、見過ごせません」
左の中指で眼鏡を押し上げ、キャッスルが神経質そうに言う。
その後を引き継いだのは、アディソンだった。
「ついでに言うとねえ、キミにもそろそろ立ち位置をはっきりさせてもらいたいんだよねえ。キミ、アクアと親しくしながら、セシリア・マクギャレットのサロンにも出入りしているよねえ? 一体、どっちの味方なのかなあ?」
意味深な笑みを浮かべた唇の端から、鋭い牙がのぞいている。この男が、ミックスだと言う話は間違いなさそうだ。
どちらの味方かと言われれば、もちろんセスの方だ。
だが、ここでセスの名前を口にすると、面倒な事になるのは間違いないだろう。スパイなのか、とか何とか、的外れな事を言われるに違いない。だったら、この場は適当に濁す方が賢明だ。
「どちらの名を口にしても、お前たちは信用しないだろ。分かった。サロンへの通行手形くらいにはなってやる」
それに、ウィンザー卿の事情と言うのは、エッシャーとセスの婚約の件に違いない。その件について、明らかにしてもらえるのならこれほどありがたい事はなかった。
サロンへの道すがら、近くを歩いていた生徒に、鍛錬場で待っているはずの部下へ伝言を頼む。隊長の件で、と言えば彼らも腹を立てたりはしないだろう。
「すまないが、よろしく頼む」
「とんでもございません。確かに、伝言承りました。それでは、失礼いたします」
びしっと敬礼を返し、伝言を頼んだ生徒が鍛錬場へ向かって走っていく。
「……あ~、そういや、アンタ、小隊の副長だったんだっけか。道理であの態度な訳だ」
「ああ、そう言えば今の生徒、今年の入団試験で見たな」
試験では見たが、入団式では見なかったような気がする。という事は、
「…………今年は、落ちたか?」
「入団試験ってのは、もしかして、難しいのか?」
興味があるのかと尋ね返せば、ベイカーは卒業後の進路として、騎士団入りを考えているらしい。なので、今はどこの騎士団がいいか考えている最中なのだそうだ。
「アンタは、傭兵騎士団だったよな?」
「ああ。ワイルド・ホークだ。ここは団員の偏りがないから、居心地は悪くない。獣人も人間も、男も女もいるし、若手、中堅、ベテランと全て揃っている。問題があるとすれば、人使いの荒いところだな。獣人は頑丈なんだから、よく働けなんて言われる。人間は、若いんだからって言われてるが」
「だが、その分、手柄を立てれば、早く出世できるし、金払いも良い──か」
ベイカーは、ワイルド・ホークの内情を飲み込もうとするかのように、何度も頷いていた。
「アンタの年で副長なんて、他の騎士団じゃ考えにくいよな」
「一応、肩書は副長だけどな、団の人間からは『副委員長』だなんて呼ばれてるんだぞ? 団の中じゃ、俺たちの小隊はガキの集まり扱いだ」
「それでも、オレからみりゃあ、羨ましい話だけどな。いっぺん、アンタの上司に会わせてくれよ。話をしてみてえ」
これから会いに行くだろうが、と言いさしたその時、コーデュロイが「ねえ」と声をかけてきた。
その声に視線をやれば、彼女は瞳にうっすらと涙を浮かべ、
「……騎士団に興味があるのは知っているけど……っ、今、そんな話をしなくても……」
「っと、悪い。アクアにとっちゃ、これから行く所は戦場みてえなモンだよな。横で呑気に関係のねえ話をされてりゃ、気分が悪いよな、すまねえ。悪かった」
命のやり取りをする訳でもないのに、戦場とは、ずいぶん大げさだ。つい、笑ってしまいそうになるが、それは何とかこらえた。俺にとって大した事じゃなくても、彼女にとっては大した事なんだろう。
──セスが、誰かをいじめるなんて、考えられないけどな。
東庭の共用通路を抜けて、留め石を超え、俺たちのサロンに通じる道を行く。
サロンへの道は、くねくねと曲がりくねっている。真っすぐな道は面白くないと言う、セスの意見が反映されたのだ。道の舗装には、石やレンガ、流木、タイルなど色んな物を使っている。結果、道を曲がれば雰囲気の違う庭がいくつも出来上がる事になったのだ。
角から角まで、担当者がいて、それぞれ好きにコーディネートしている。庭仕事は素人ばかりなので、学院に庭師に相談して作り上げていった庭だ。統一性がないと言えばその通りだが、俺たちらしくて良いと思う。
自分の好みに合わせつつ、セスに喜んでもらおうと試行錯誤して何とか形にし、今も考えながら、維持されているのがこの庭だ。
「……このお庭は、こんなにも素敵なのに……」
「なのに、何だ?」
コーデュロイの独り言の先には、セスへの非難が続きそうで、俺の口から出た言葉には無意識のうちにトゲが乗っていた。
この庭は、俺たちの、セスへの思いが詰まっている。そんな場所で、彼女を批判するような言葉を口にされたくはなかった。
「えっ……?! あ、その……ううん、何でもありませんわ……!」
「そもそも、どうしてあの女にはサロンを持つ事が許されて、アクアにはそれが許されないんだ? どう考えてもおかしいだろ」エッシャーが悔しそうに、文句を言う。
「アクア、サロンの申請は出していますよね? 場所は空いているはずだから、普通は、拒否されるような事はないはずですが……」
「えっ、ええ、そう……よね……」
サロンを開く事は、難しくない。学院に申請を出せば、キャッスルの言う通り、普通はすぐに受理され、場所を与えられる。生徒によっては、2つ、3つ部屋を持っている事もあった。
サロンで難しいのは、開く事ではなく、維持する事だ。
サロンを持っている生徒は、学院でも数えるほどしかいない。だから、憧れる生徒が多い。
毎年、数多くのサロンが開かれては、すぐに消えていくのだと聞いている。ちなみに、サロンを主催するのは女だと決まっていて、男が主催する場合はクラブと呼ばれていた。
しかし、サロンと違って、クラブは公にされていない物が多い。シュミット曰く「女は内緒が好きだけど、男は秘密の方が好きだから」らしい。なかなか、うまい事を言う。
「まさかとは思うけど、セシリアが妨害しているのかもねえ。アクアがサロンを主催するようになったら、ウィンザー卿はますます見向きしなくなるだろうからねえ」
アディソンは、くくくっと意味深に笑うが、そんなはずはない。ただの生徒に、サロンの主催についての発言権なんて、あるはずがない。
何より、たぶんの話だが、セスはサロンの開き方を知らないと思うし、主催する事にもあまり興味はないと思う。このサロンだって、コロネとサリーランがセスの為に申請して、俺たちを巻き込んで庭を造った。今もサロンの維持に走り回っているのは、もっぱらサリーランだ。
これは俺の推測でしかないが、コーデュロイはサロンを維持する事ができなかったのだろうと思う。
サロンの主催者は、その場においてどんな尊大な態度も許されると言うが、それが許される何かが必要なはずだ。
「上手くいけば、このサロンを閉鎖させられるかもしれないな。そうなったら、アクアが、ここを使って自分のサロンを開けばいい」
「馬鹿を言うな、ウィンザー卿。ここはミス・セシリア・マクギャレットのサロンという事になっているが、正式なオーナーは別にいる。彼女はオーナー代理でオーナーじゃない」
俺の反論に、脳内花畑オーナー共が、一斉に驚きの声を上げた。セスを糾弾しよう、というわりには、情報が少ないんじゃないか? 俺は、通行手形でしかないから、関係ないが。
ご対面間近