3 近づく者アリ
セスと過ごした週末も、過ぎてしまえばあっという間だ。
週が明ければ、憂鬱な学院生活が待っている。
基礎に費やした1年次と違って、2年次は実戦形式で授業が進む。騎士団では、ほとんど我流で剣を使っていたから、基礎訓練はいい勉強になった。しかし──実戦となると……
「はっ! やっ! せいっ!」
「…………」
気に入らない男が、俺に向かって剣の切っ先を向けてくる。
ヤツが愛用しているのは、レイピアで、俺が愛用しているのはバスタードソード。細身のレイピアで俺のバスタードソードを受ける事はできないから、戦法は、突きを主体にした、ヒットアンドアウェイ。
2年次になって、もうすぐ2か月。クロムウェル・エッシャーの戦法は、ちっとも変り映えがしない。魔法も使って良い事になっているのに、ちっとも使おうとはせず、つまらない。
こんな茶番はさっさと終わらせてしまおう。
ヤツが間合いを詰め、突きを繰り出す。
俺も間合いを詰め、腰を落としながら、体を捻る。
ヤツの剣先は俺の体、数センチ横の何もない場所を突く。
「何っ?!」
ヤツは驚くが、俺はさらに呆れる。何度、同じ手に引っかかる気だ、あんた。
避けられる事を前提に、突きから横なぎに変化するだろうと警戒して、腰を落とした俺がバカみたいじゃないか。
体を捻った勢いそのままに、ヤツの脇腹へ肘打ちを叩き込めば、模擬戦は終了だ。
「そこまで!」
教師の制止の声に重なるようにして、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
とたん、女生徒の6割と男子の2割が、わっとクロムウェル・エッシャーに駆け寄る。残る男の6割と女の3割は、つまらなさそうに肩をすくめ、さっさと更衣室へ向かう。残った男2割と女の1割は獣人で、こちらは俺が戻って来るのを待っていて、
「副長、オツカレー」
労いの言葉は、ほとんど棒読みだった。
「アイツ、今日も進歩してなかったな」
「ホント、ホント。もう10回以上、同じ手に引っかかってるんデスけどー」
「副長に相手されてないって、分かってんのか? 分かってねえよなあ」
「分かってたら、あんな顔できないってぇの! 何、あの、いい試合だった、って言いたげな胡散臭い爽やかクンぶりぃー」
男も女も関係なく、クロムウェル・エッシャーへの不満を口にし、最後には決まって、
「あんなのが隊長の横に立つなんて、あり得ない」
と、声を揃える。
隊長と言うのは、セスの事。クラスAの獣人には、十七小隊の隊員が何人かいて、セスの事をとても慕っているのだ。
「あのっ! サー・アール・フラン……よろしかったら、こちらをお使いください」
「あんた……」
少し震える声で俺にタオルを差し出していたのは、アクアマリン・コーデュロイだった。
「俺が汗をかいてるように見えるのか?」
「えっ!? あ……いえ……そのぅ……」
エッシャーとの手合わせは、正味5分もなかった。俺はヤツの突きを最小限の動きで避けていたため、汗をかくほど運動はしていない。
気まずそうに視線を泳がせるコーデュロイ。この前まで、このタオルはエッシャーに差し出されていた事を俺は知っている。今日は、女どもの争奪戦に負けてしまったようだが。
「気持ちだけもらっとく。ありがとな」
俺は、コーデュロイに形だけの礼を言って背を向けた。
彼女と親しくするつもりは、これっぽっちもない。コーデュロイがエッシャー狙いなのは知っていたし、俺にはセスがいる。友人として接する気も、全くなかった。
ただ、縁がある時はあるものらしい。
その日の放課後だった。仲間と連れ立って、サロンへ向かっていると、
「あっれ? ミス・アクアマリン・コーデュロイじゃん。何で、こんなトコいんの?」
最初にコーデュロイを見つけたのは、シュミットだった。東庭には、あちこちにサロン区域があるが、ここはまだ共用部分なので、コーデュロイがいても不思議じゃない。
けど、名前を呼ばれてコーデュロイは、今にも泣きそうな顔をしていた。
「アンタ、何でそんな顔してんのさ?」
コロネが大きな目をパチパチと瞬きさせ、首を傾げる。コーデュロイは、「ごめんなさい」と俯き、手で目尻を拭った。
「べっつに、アタシらに謝ることなんて何にもないじゃんねー。副長」
「ああ。何かあったのか?」
「わたしはっ、そんなつもりはなかったのですけれどっ……その…………クロムに近づくなと、言われてしまいまして──あの……何て言ったら、いいのか……」
俺たちは顔を見合わせた。
最初に口を開いたのは、同性のコロネだった。
「あんさー、誰に、どんな風に言われたのかは知んないけどさー、それって、あんま間違ってないって、分かってる?」
「わ、わたしは! 別に、そんなつもりは……!」
「アンタにさ、そんなつもりがあろうが、なかろうがさ、そんな事はどうだっていいわけ。そういう風に見えるっつーことが問題なんだって」
コロネが、ズバズバと斬りこんでいく。同じ女だからか、遠慮がない。
「アンタだって、嫁入り前の娘だ。変なウワサが立ったら、アンタだって困るって事ぐらい分かるだろ? 大体、ウィンザー卿の事を、クロムゥーなんて、名前で呼んでる時点でアウトだって。それくらい、オレでも分かるぞ」
こちらはシュミット。一部、からかうような揶揄するような響きが混じっているが、言っている事は間違っていない。コロネの言い分もだ。
俺だって、仲間以外の耳目がある時は、セスの事を「ミス・セシリア・マクギャレット」と呼ぶし、彼女も俺の事は「サー・アール・フラン」と呼ぶ。
「婚約者がいる男と、相手のいない未婚の女性が仲を疑われるような真似をするのは、褒められた事じゃない。そのつもりがないのであれば、気を付けた方がいい」
コーデュロイは答えなかったが、そもそもこちらは答えなんて必要としていない。
俺たちは、それ以上の事は言わず、その場を後にした。
それからも、俺は人気のない場所でコーデュロイの姿を何度か目撃するようになった。
それも、決まって、泣いていたり、泣きそうな顔、泣いた後のような顔をしている。
知らない人間ではないから、そのまま無視する訳にもいかず、俺は「どうした?」と声をかけるハメになる。いい加減、面倒臭い。
私物を壊された。捨てられた。隠された。
制服、運動服が切り裂かれていた。
足を引っかけられた。後ろから押された。髪を引っ張られた。
こちらを見ては、クスクスと笑われる。悪口を言われる。
「何で、こんな……」
彼女はぽろぽろと涙をこぼすが、何でも何も、自業自得だろう。
いじめを肯定するつもりはないが、コーデュロイが、エッシャーに近づきすぎた事が、いじめの原因に違いない。だから、気を付けた方がいいと言ったのに。
はじめは「そんなつもりはない」と言っていたコーデュロイだが、
「だって、好きなのですもの! 好きだから、彼の側にいたいのです。それのどこがいけないとおっしゃるの!?」
とうとう、開き直った。──これはもう、手が付けられそうにない。
「相手に婚約者がいる時点で、いけないに決まってるだろ。ウィンザー卿も同罪だけどな」
「そんな! クロムは悪くありませんわ! わたしがいけないのです! わたしがっ、クロムを好きになってしまったから──っ……」
恋する女は不安定だ、って言ったのはどこの誰だったっけな。彼女が取り乱せば取り乱すほど、俺の心は冷めていく。
ただ、コーデュロイへ向ける言葉は、そっくりそのまま、俺にも言える事だった。
セスは婚約者がいるのに、俺と関係を持っている。
好きだから、彼女の側にいたい。それは、いけない事だと言われても、納得できない。
特に、エッシャーは、セスをないがしろにしているから、あんな男にセスは渡すつもりはないんだ。
けど、人間社会のルールにのっとれば、俺は不利な立場にある。解決策は、まだ見えない。
「とにかく、ウィンザー卿にも話すべきだ。でないと、何の解決にもならないからな」
「話せません! そんな……クロムに心配をかけてしまいますわ!」
「……だったら、自分でどうにかするんだな」
俺もあまり、人の事を言えた義理じゃないが。俺も、この悩みを解決しようと思ったら、セスに話す必要がある。
何て事だ、俺とコーデュロイは、似た者同士じゃないか。
違いは、お互いの関係がはっきりしているかどうか、というところだろう。
俺とセスの仲は、一部に知られていて、セスも俺も尋ねられれば、ごまかしたりせずに、付き合いがある事を認めている。
それはそれで、不貞だ、浮気だと言われかねないが。
コーデュロイとエッシャーは、関係をはっきりさせていない。コーデュロイは、自分の片想いだと言っている。その一方で、エッシャーの方も、彼女に気があるのは間違いないだろう。この2人は、俺たちと違って、世間から非難されたりはしないだろう。
でも、その曖昧さが、コーデュロイをいじめのターゲットにさせたのは間違いない。
まだ、同じところで行ったり来たり。