2 誘われました
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。腹が、正確に言うと横腹のあたりが重苦しい。一体なんだと目を開ければ、
「…………っ!」
「おはよう、ラフ」
セスが俺の腹に頭を預け、こちらをじっと見つめていた。
嬉しいんだが、恥ずかしい。たちまち顔に熱が集まる。柄にもなく、顔は赤くなっているはずだ。湯気が出てたって言われても、信じられる。
「いつから……」
照れくささから、顔を手で隠しつつも、俺は体を起こした。
ベンチに座り直した俺の膝にセスは、頭を寄せて
「15分くらい前かな。私のクッションが使われていて、非常に残念に思っていたところだ」
「……悪い」
セスの頭を撫でれば「別に構わない」とあっさりした答えが返って来る。
「代わりにお前のクッションを使わせてもらおうかとも思ったんだが、それよりも良い物があったから、そっちを使わせてもらった」
俺のクッションは、セスの目と同じ藍色だ。これは、コロネに張り合って(?)サリーランが、どこからか見つけて来たものである。贈られた時は、さすがに気恥ずかしくて辞退したのだが、結局「男らしく、受け取りなさいな! さあ、さあ、さあ!」と押し付けられてしまった。
その後「全く、コロネも詰めが甘いのよ。でも、それをフォローするのが、私の仕事よね」と満足げに頷いているのを見て、何とも複雑な気分になったものである。
お互いが、お互いの色の物を愛用してくれているのは、嬉しい。嬉しいが、それが仕組まれた物だという所が、少し微妙な気分にさせてくれる。今は気にしないようにしているが。
シュミットが「リア充をますます充実させてどうすんだよっ!? オレらに砂吐けって言うの?! オレ、泣いちゃう!」と騒いだが、コロネとサリーランに物理の力で、黙らされていた。
クッションにまつわる思い出はともかく、俺たちの回りにあるのは、こげ茶色のクッションと彼女が尻に敷いてる灰褐色の毛氈だけ。これの代わりになりそうな物は何もない。
「クッションの代わりの良い物? 何かあるか?」
「ここにあるだろう。最高級の一品が」
ぽんぽんとセスが撫でたのは、俺の腹。絶句するしかなかった。
「しばらく会えなかったからな。今日は簡単には帰さんぞ」
俺の膝に両手を置いて立ち上がった彼女は、そのまま、唇をかすめるだけの軽いキスをしてきた。
ああ、全く……! これじゃあ、俺の立場がないじゃないか。
「それは、俺のセリフだろ」
余裕しゃくしゃくを装ってみても、負け惜しみだってバレバレに違いない。
セスの後頭部に手を回し、今度は俺から彼女に口づけた。セスはすぐに応えてくれて、両腕が俺の首に巻き付いてくる。左腕で彼女の腰を引き寄せて、鷹の女王を膝の上に。
「ところで、授業の方はどうだ?」
「あまり、面白くはないな。俺の相手ができる生徒もいないし……」
彼女の肩に顎を乗せて、俺は小さく息を吐いた。
この学院では、2年次になると成績別、進路別のクラス編成を取る。俺は、貴族が多いクラスA。セスは個性的な人間が多いクラスBだ。
俺がクラスAなのは、先の事を考えると貴族の知り合いや、彼らとの付き合い方、公の場での振る舞い方などを学ぶべきだという学院の考え方によるもの。
セスがクラスBなのは、彼女が希望したからだ。
騎士位を授けられると同時に、小隊とは名ばかりの、十七小隊の隊長にも任ぜられたセスは、突出した特技を持つ人間が集まる、クラスBで、仲間をスカウトするつもりらしい。
「そうなのか? 優秀なのは何人もいるだろう?」
「優秀だからと言って、手合わせをした時に面白いとは限らない。だろ?」
「それはそうだが……」
面白くないと思う理由は単純だ。俺のクラスには、クロムウェル・エッシャーがいる。
セスの婚約者だという男。
黒髪、角度によって緑に見える、変わった黒い目。人間にしては背が高く、見目も美形の部類に入るんだろう。子供の絵本から飛び出してきた騎士のような、そんな男だ。
女には人気があるようで、ヤツの一挙手一投足に黄色い声が上がる。
ヤツも女からの声を当然の物として受け止めているように見える。
別に張り合うつもりじゃないが、見てくれは俺だって悪くないハズだ。女から、付き合ってほしいと言われた事も両手で数えるにはあまる程度の経験はある。
サリーラン曰く、俺は「ちょっと陰があって知的な雰囲気も見え隠れする、ワイルド系のヒーロー」らしい。後は気品を身に着けろと、しっかり注文を付けられてしまったが。
……はっきり言おう。俺はクロムウェル・エッシャーが気に入らない。
女どもいわく、
強くて──上の下くらいでたいしたことないけどな。
美しく──そこは、否定しない。美人には、違いない。セスの好みじゃないけどな。
優しくて──人をえり好みしているようだから、優しいとは言わないだろう。
その上、頼りになる──実例がないから評価のしようがない。
──そうだが、俺に言わせれば、ただの金メッキだ。
こんな男が、セスの隣に立つなんて、例えそれが政略的な物であっても、許せない。
コイツはセスの婚約者のくせに、セスをないがしろにしている。
婚約者じゃなくても、女を悪く言うのはどうかと思うが。まして、それを女に言うなんて、とんでもない話だ。
「俺のパートナーになる女性が、クラスBなんて……困るよな……」
「彼女には、女性の持つ優雅さや淑やかさがかけらもない。とてもじゃないが、彼女の側で心からくつろげる時間を過ごせるとは思えないんだ」
バカか、あんたは。セスの側ほど、心休まる場所はないと言うのに!
お前程度の男じゃ、彼女の魅力には気付かないんだろうな。
「セシリアは、俺のパートナーとして相応しくない。そう思うのも当然だと思わないか?」
「まあ! ご心中お察しいたしますわ、ウィンザー卿」
クロムウェル・エッシャーは伯爵家の長男だ。ウィンザーというのは、伯爵家が持っている男爵位。優遇爵位と言って、長男は父親が持っている爵位の一つを名乗ることができる。
取り巻きの女たちは、芝居がかったリアクションで、エッシャーに同意を示す。これも、鼻について、面白くないと思う理由の1つだ。
「せめてクラスAだったなら、君たちとの交流を通じて、女性らしさを身に着けられたに違いないと思うのだが……クラスBでは……とても期待できそうにないよ」
それは差別発言だと分かってるのか、クロムウェル・エッシャー!
セスに相応しくないのは、あんたの方だ!
確かに、女らしいかと聞かれれば言葉に詰まるが、そんな物はなくても、彼女はとても魅力的な人だ。
だからこそ、何人もの男が彼女に愛を囁いている。今、セスの隣に立つ事が許されているのは俺だが、隙あらば、と狙っている男は俺が知っているだけでも4人いるんだぞ!
「ラフ? どうした?」
「……いや、何でもない」
あの憎ったらしい顔を思い出したら、セスへの暴言まで思い出してしまい、腹立たしさが再燃してしまっていた。それが、そのまま唸り声になっていたようで──
「よほどストレスが溜まっているらしいな」
「ごめん」
「構わないさ。それよりも、今度の週末の予定は空いているか?」
「特に何もないが、どうかしたか?」
「伯母上の別荘を知ってるだろう? 皆で出かけないか?」
ここから馬で二時間くらいかけたところにある、別荘の事だろう。去年、仲間と一緒に、あるいは2人で何度か遊びに行った事がある。
ヤツの事なんて忘れて、皆と騒ぐのも悪くない。
「それとも、2人の方がいいか?」
「ッ!」
返事をするため、彼女に預けていた体を離した直後、藍色の目に少しの熱を乗せたセスの視線に射貫かれた。下半身が途端に熱を帯びる。
「2人で……お願いします」
「決まりだな。たっぷりお前を独占させてもらうことにしよう。ああ、今から楽しみだ」
「それは、俺のセリフだろ?」
セスの唇に軽くキスをする。
クロムウェル・エッシャー。あんたは知らないんだな? セスの言葉遣いなんて、たいした事じゃない。鷹の女王はとても情熱的だ。息をするように紅い言葉を口にする。
……貴族の女って、結婚前までは清い体でいるべき、って教えられるってどこかで聞いたような気がするんだが……俺の記憶違いだっただろうか? まあ、いいか。
今更、なかった事にはできないからな。
「楽しみだが、ラフ。一つだけ、頼まれてくれ」
「何?」
「夜は手加減してくれよ? 日曜の午後には学院に帰らなくてはいけないんだからな」
「……善処する」
けど、正直どこまで理性が持つかは、分からない。
それもこれも、セスが魅力的すぎるから悪いんだ。
……ワイルド系?