1 悩んでいます
ちょっとでも楽しんでいただけたらな~、と思います
今日はとても天気が良い。暑くもなく、寒くもなく。時々吹く風がさわやかで、こんな日には、木陰で居眠りして過ごすのが良い。隣には、愛しい彼女がいてくれれば、最高だ。
俺の彼女は、セシリア。すらりと背が高く、悠然とした佇まいは、まるで鷹の女王。
あんな女のどこが良いのかとよく聞かれるが、彼女ほど魅力的な女性はなかなかいない。
セシリアと会ったのは、2年ほど前、傭兵騎士団ワイルド・ホークの入隊試験だ。試験官のサポートに入っていた俺は、毛色の変わったヤツがいると目を丸くしたもんだ。
「セシリアは、私の名前なんだが、響きがあまり気に入っていなくてな。セスと呼んでくれ」
「それは構わないが、まるで男みたいだぞ? いいのか?」
勘違いするヤツも出てくるんじゃないのか? と聞けば、
「それはそれで面白そうだろう?」
悪戯っぽい彼女の笑顔に、俺は惹きつけられた。
入団希望者の中でも、セスは一等の変わり者。
男爵令嬢という身分も大した価値はないと鼻で笑い飛ばし、100人近い入団希望者の中にあって、獣人の俺にも全く気後れする事なく、接してきた数少ない人間の1人。
入団の許可が下りた中に、彼女もいた。彼女の姿を見た時、俺は無性に嬉しかったのを覚えている。
「あんたは、獣人を怖がらないんだな」
「言葉が通じるのに、怖がる理由がどこにある。それに、お前の毛並みは最高じゃないか。何より、私はモフモフが大好きなんだ。お前は狼だよな? 是非、堪能させてくれ」
「…………断る」
モフモフって……何だ。まさか、そんな答えが返って来るとは思わなかったし、今まで聞いた言葉の中でも一番力強かった……。やっぱり、彼女は変わっている。
大体、尻尾はともかく──それだって、家族以外の人間には触られたくないものだ──獣人に耳を触らせてくれ、と言うのは求愛と同義語だって、知らないのか? いや、知らないから言えるんだろうな。
本当に、こっちの気持ちも知らないで、酷い女だ。
彼女は呼吸と同じように、情熱的な言葉を口にする。彼女の口から紡がれる言葉は、いつだって情熱的な紅色で、甘ったるいピンク色なんて、お呼びじゃなかった。
本当に、残酷な女だと思う。
彼女は人間で、男爵家の娘。獣人の俺は、火遊びくらいでしか相手にしないはず。俺が真剣に想いを返せば、途端に手のひらを返して「本気にしたのか?」と笑うに違いない。
そう思っていたから、この気持ちは封印する事にした。
なのに──彼女は諦めようとしない。
「なあ、今日も触らせてはくれないのか? 耳がダメなら、尻尾だけでもいいんだ」
「断る。どっちもダメだ」
「むぅ……それは残念だ」
あの頃は、3日に1回はねだられていたような気がする。
あまりにもしつこいので、
「あんた、自分がプロポーズ同然の言葉を口にしてるって分かってんのか?」
知らなかった、と驚くに違いない。そう思ってからかい交じりに言ってやれば、
「もちろん、分かっているとも。私はずっとそのつもりだったからな」
セスは、あっさりと頷いた。何てことだ! 驚かされたのは、俺の方だった。
全身の毛が逆立つくらい驚いたのは、何年ぶりの事だっただろう。彼女は悪戯成功とばかりに、得意げな笑みを浮かべ、
「それで? まだ、触らせてくれないのか?」
「……ドーゾ……」
負けた、と思ったよ。そもそも、セスに惚れてしまった時点で、いつまでも断り続けられるわけがなかったんだ。例え、火遊びの相手でしかなかったとしても。
「お前らしくない、ずいぶん後ろ向きな考えだと思うが……ふふッ。ダメだな。お前のそういうところも、好きだな。これが噂のギャップ萌えというヤツか」
「ギャッ……俺、あんたには一生逆らえないような気がする」
「それはお互いさまだ、ラフ。私もお前には、一生敵わないような気がしている」
身分が釣り合わないのでは、と弱腰になる俺を、彼女は
「私が惚れた男は、私の隣に立つために必要な物なら全て揃えてくれるだろう?」
と、不敵に笑い、
「私だって、お前の隣に立つために不必要な物は、全て捨てるぞ、ラフ」
そう言って、俺の頬に手を伸ばす。
ずるい人だ。何よりずるいのは、彼女なら、本当にあっさりと捨ててしまいそうなところだ。
彼女に捨てさせるか、俺が揃えるか。男なら、後者を選択するべきだろう。
そんな訳で、俺は今、必要な物を揃えるために、努力をしている真っ最中だ。貴族御用達のこの学院にいるのも、その手段の1つに過ぎないんだが──1つだけ心配事がある。
「クロムウェル・エッシャーとセシリア・マクギャレットは、婚約している」
生徒の間で、こんな噂が流れているのだ。
クロムウェル・エッシャーは、伯爵家の跡取り。セスは、男爵家の令嬢だ。身分を考えれば、俺よりもクロムウェルの方が彼女に相応しいかも知れない。
セスは、不必要な物は全て捨てると言ってくれた。
エッシャーとの婚約も捨ててくれるのだろうか?
それとも、俺との事は、やっぱり、遊びのつもり? セスは嘘をつくのも上手いから……。
聞きたい。
でも、聞けない。
だから、だろうか。今は、この天気も恨めしい。
「はあ……」
我ながら情けない。
誰かに相談する事もできず、1人で抱え込む日々がかれこれ1か月近く続いている。
1人になりたいような、そうでないような。そんな気持ちを抱えて、俺は学院の東庭に足を運んでいた。この東庭の一角には、学院に許可を得て作った、俺たちのサロンがある。
仲間たちと協力して作った六角形の東屋とその周辺の庭。俺たちのサロンと言いつつ、セスに喜んでもらいたくて作った物でもある。俺たちは皆、セスが大好きなんだ。
……数多いライバルの中から、よく心変わりされなかったものだと、我ながら感心する。
くねくねと曲がりくねった道を歩いた先の東屋の前に、小柄な女が立っていた。
「そこで何をしている」
俺は目をすがめ、女に鋭い声を投げかけた。
ここには、用件がある場合を除いて、許可のない者の立ち入りは禁止されている。それは、学院側も認めた正当な権利だ。場合によっては、腕ずくで追い出す事も許されている。──貴族の人間が多く通っているので、彼らに害意がある可能性のため、許可されているのだ。もちろん、過剰防衛と判断されれば、処罰があるのだが。
「えっと……?」
俺の声に振り返った女は、見知った人間だった。俺と同じクラスAで、隣の組の──
「アンラッキー・スター──。あんた、ここで何をしてる」
「ちょ……その不名誉なあだ名で呼ばないで下さいませ! わたしは、アクアマリン・コーデュロイですわ!」
「そりゃ、どうも」
彼女は、始業式に向かう途中、乗っていた馬車が事故に遭い、1か月遅れての2年次スタートになった、不幸な男爵令嬢だった。なので、いつの間にか「アンラッキー・スター」と呼ばれるようになっている。この様子を見る限り、本人は、ものすごく不満のようだ。
「それで、ミス・アクアマリン・コーデュロイ。ここで何を? ここは、サロン区域に指定されていて、オーナーの許しか、メンバーの同行がない立ち入りは、原則禁じられているはずだが?」
「まあ! ごめんなさい、わたし、ここがサロン区域だとは思わなくて……」
許しと言っても、オーナーからメンバーへ正式にお披露目されるまでは、立ち入り不可のまま。それまでは、オーナーの了承の元、メンバーの付き添いが必要なのだ。
「留め石に気付かなかったのか?」
留め石は、ここから先は立ち入りに許可が必要である事を示す物だ。
学院の生徒が留め石に気付かないなんて、あり得ない。膝丈程度の石が道のど真ん中に置かれ、進入禁止の方陣を刻んでいるのだから、普通は気付く。
「留め石は、ありませんでしたわ?」
「そんなはずはない。たった今、俺はその留め石をこの目で見て来たんだからな」
「ウソではありません! わたしは、そこの小道を通ってこちらに参りましたもの! 留め石は、置いておりませんでした」
コーデュロイが指した小道とやらを見て、俺はため息をついた。
「あんた、あれは通行用の道じゃない。植木の手入れ用の道だ」
言われてみれば道にも見えなくないが、ただの隙間といった方が正しい。
俺の指摘に彼女は、顔を赤くした後、すぐに青色に変化させて、
「えっ?! そっ……それは、失礼いたしました」頭を下げて来た。
「あんたの馬鹿さ加減に免じて、おとがめなしにしてやる。この道から、帰れ」
たった今歩いて来た道を指で示し、俺は犬や猫を追い払うようにしっしっと手を振った。
「あの……えっと……すみません、同じクラスですのに、わたし、まだあなたの名前を憶えていなくて──」
「同じクラスでも、組が違えば、顔を合わせる機会も少ないからな。俺は、アール・ディーン・フランだ」
本名はラファエル・ディーン・フランだが、俺はこのラファエルという名前が嫌いだ。だから、大抵の人間にはイニシャルのアールを名乗るようにしている。
「ああ、あなたがサー・アール・フランでしたの。武勇伝は聞き及んでおりますわ。あの……この場に滞在する許可を頂けませんか? わたし、この場所が気に入りましたの」
「悪いが、許可できるほど、あんたを知ってる訳じゃないからな。断る。どうしても、と言うんなら、ミス・セシリア・マクギャレットに言ってくれ。他のサロンメンバーに言っても、返って来る答えは同じだぞ」
「……そう……ですか。分かりました。許可を頂いてから、参りますわ」
コーデュロイは、目に見えてしょんぼりと肩を落とし、俺が歩いて来た道を帰って行った。
彼女の背中が見えなくなるのを待ってから、俺は東屋に足を踏み入れる。
中央にテーブル。それを囲むように配置された3つのベンチ。東屋の屋根を支える柱と柱の間は腰丈ほどの壁で繋がっている。その内側には、箱型のベンチが置かれている。
テーブルのベンチと壁際のベンチ。東屋の中は、ベンチだらけだ。多い時は15人近く集まるので、これぐらいの数は必要になる。もちろん、窮屈さを感じさせないよう、それなりの広さも確保していた。
箱型のベンチは、一般的な目的で使用される他、昼寝用、収納スペースとしても使われている。座る部分がフタになっていて、クッションを始め、いろいろな物を押し込んでいるのだ。……誰だ、こんなところで果実酒を漬け込んでいるのは。サリーランか、シュミットか? 隔離結界の方陣を組み込んだ籠に入れているという事は、2人の共犯だろうな。──まあ、いいか。
俺は、柔らかい、こげ茶色のクッションを箱型ベンチの上に置き、それに頭を預けて寝ころんだ。このクッションは、俺のじゃない。セスが愛用しているクッションだ。
「見ろ! コロネがわざわざ見つけて作ってくれたんだ!」
嬉しそうに笑って、このクッションを俺に見せてくれたのは、去年の秋だったかな。
俺の髪と同じこげ茶色のクッション。以来、彼女がこの東屋にいる時は必ずと言って良いほど引っ張りだしてきて使ってくれている。
つまり、このクッションには、セスの匂いが付いているのだ。変態じみているとは思うが……最近、セスが足りてないんだから、しょうがない。
モフモフが好きです