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そばにいて、離れないで

 地縛霊付きの部屋を、好んで借りたわけではない。私は知らなかった。下見のときは、彼の存在には気がつかなかった。けれど、下見のときもリョウはしっかりと部屋のロフトにいたと言う。もちろん、ロフトにだって上ってみたのに。私が気がつかなかっただけらしい。

 そのころ、私は焦っていた。

 当時付き合っていた彼の干渉が次第にきつくなって果ては付きまとわれ、私から別れを切り出したところだった。同性の友人と遊んだだけで、浮気かと責められてうんざりしていた。嫉妬深すぎて、関係を継続することがもう不可能だった。私の心は完全に離れていた。

 そもそものはじまりだって、私は彼のことを特に好きになったわけではない。女子大への通学途中の電車内で声をかけられてあと、積極的に交際を申し込まれ、田舎出の私はのぼせてしまったようだ。冷静になってみれば、かっこいいわけでもなく、背が高いわけでもなく、アルバイトで暮らすゲーム好きの、どこにでもいそうなちょいオタクな学生だった。

 その後、元彼は逆上。ほとんどストーカー化したので、身の危険を感じた私は引っ越しを決意した。郵便物を盗まれたり、ひとり暮らしのマンション前に、二十四時間張りつかれては怖すぎる。以前の部屋の契約更新までは、あと半年ほど残っていたけれど、とにかくストーカーの顔を見たくなかった。私はすべてをやり直すつもりで、不動産屋めぐりをはじめた。

 いいな、と思ったのは、東京郊外のとある駅付近周辺。ストーカーから離れるためには、今のマンションの近所ではだめだ。私が候補に選んだ街は、ほどよく都心に近く、そこそこ栄えていて、けれど静か。通っている大学からはやや遠くなるものの、気持ちをリセットするには日々を充実させる必要がある。買い物、カフェめぐり、公園散歩。映画を見て、本を読んで。妄想がふくらんだ。

 だが、人気の街ゆえに、どこの部屋も家賃が高かった。肝心な資金がない。仕送りと簡単なアルバイトで生活しているが、当然貯金はあまりない。かわいい服を見かけたらつい買ってしまうし、甘いものにも目がない。引っ越しにかけられるお金は少なかった。

 自然と、安い物件ばかりに目が奪われる。けれど、駅から遠かったり、古かったり。女子のひとり暮らしなので、三階以上というのも必須条件。

「オートロック。駅から五分以内。築浅。バストイレ別。上階。できたら広くて南向きで静かな場所。お家賃はこれぐらいで」

 何軒もの不動産屋を巡っては笑われ、断られた。予算と理想がまったく合っていない、と。

 東京の、もっと西寄りの市街にすれば、その予算で住めますよと提案されたこともある。けれど、私は大学生活が終わったら、実家に戻って地元で就職することになっている。上京進学について、それが親との約束だった。田舎には希望する学科がなかったというのは、建前の理由。憧れの東京住まいを堪能できるのは、今だけ。どうせなら、もっと楽しみたい。ストーカーに怯える生活なんて、時間のムダでしかなく、まっぴらだ。

 ストーカーに怯え、部屋探しに飽き飽きしてきたころ、私は理想の部屋の情報を見つけた。導かれたのかもしれない。

「この部屋、いいですね」

「あれ、これねー。掘り出し物件ですよ、お安くて」

 何枚もの資料の一番下に紛れていた、物件情報。自分の強硬な提示条件にぴったりで、しかも家賃がお得。すぐに私は内覧をお願いした。

「ガーデンハウスの507。正直ここは、条件いいですよ」

 駅から三分。瀟洒なハイグレードマンション。ダブルオートロックの五階。分譲賃貸物件なので、設備は申し分ない。ひとり暮らしに必要な家具家電も完備されていた。私の希望をすべて叶えている。これ以上の物件はないだろう。この部屋に出会えたことを、天に感謝した。

「ここにします。今、申し込みます。すぐ、引っ越します」

 私は、ほいほいと契約し、十日後には住みはじめていた。



 リョウの存在に私が気がついたのは、引っ越し初日の夜だった。

 家財は業者さんが運んでくれたので、実際に自分がせっせと運んだわけではないけれど、とても疲れていた。明日も、市役所へ行って、書類を出して。面倒だから、大学は休んでしまいたいと思っていたところへ。

「おつかれさま。肩、揉んであげようか」

 という、やさしい声が天井のほうから聞こえた。

「うれしい。お願い」

 反射的に、そう答えてからなにかが違うと思った。この部屋には、私ひとりしかいないはずなのに、声がするなんてありえない。テレビもつけていない。私は背後を見ようと決心し、勢いよくがばりと振り返った。

 そこには、私とそう変わらない年頃の男子がいた。

 やさしい笑顔で、私を見つめている。背が高くて、きれいな顔立ちをした、ふわふわの銀灰色の髪の美青年が、私だけに笑みを送っていた。

「あなた。だ、誰なの」

 そう言うのがやっとで。私の喉はからからだった。息が詰まってしまいそうだ。

「初めまして。一緒に暮らせるのを、ずっと待っていたよ。ああ、ずいぶんと凝ってしまったね、肩。今日はほんとうにおつかれさま。明日から、一緒に片づけよう」

 宙に浮いた美青年は、いたって普通に話しかけてくる。肩もみ、上手い。けれど、流されていい場面ではない。

「って、だからあなたは、どこの誰なの!」

「え。ここの住人、だけど」

 聞いていない。先住民がいたなんて。そんなこと、あるわけない。私は速攻で携帯電話を取り上げた。

「ここは、今日から私が借りた部屋。いくら美男子でも、勝手に室内へ上がることは許せないわ。不動産屋、いいえ警察、呼ぶから。もしもし、もしもーし」

「あっ、話の途中だよ。電話しないで」

 電話は通じない。圏外になっている、ありえない。私は携帯を床に落としてしまった。

「ほら、落ちたよ。ええと、長谷川桃花さんだったよね。これから『桃花ちゃん』って、呼んでいい?」

 ありえない。信じられない。どういうことなのか、私は全身の血の気が引いた。この部屋は、空いていなかったのだろうか。

「ええと。あなたは、ここに前から住んでいた、の?」

「うん、三年ぐらい。正確に言うと、憑いていたっていうか」

「三年? つ……?」

「ほら、ぼくって霊体だからさ。生きていないから」

 手を引かれたけれど、その腕に人のぬくもりは感じられなかった。ぞくりとするほど、冷たい身体をしている。

「あなた。生きて、いない?」

「そう。ぼく、死んでいるんだ」

 あっけらかんと語られて、私は面喰らった。

「死んで、って。どういうことなの」

「なにって、そのことば通りだよ。ぼく、この部屋で三年前に死んだんだ。でも、成仏できていないままなんだよね、えへっ。どうしてだろう」

 それは、世間で俗に言う、『地縛霊』というやつではないだろうか。初めて見たけれど、なんだこのあっけらかんとした底なしの明るさは。

「ごほん、あのね。この部屋は私が借りたの。とっとと成仏……」

「うん、よろしくね。ちなみに、ぼくは出て行けないから。ここに未練があるいたいで、どうしても外には出られないんだよ。生前の名前も覚えていないのに」

「ていうか、あなたはどうして死んだの」

「うーん。よく覚えていないんだけど、誰かが教えてくれた限りでは、ぼく自殺したみたい。この部屋で」

 ここで、自殺?

 思わず、私は叫びそうになった。引っ越し初日に、新居の黒い噂を聞くなんて。もう一度、電話を取り上げて不動産屋へかけ直す。今度はつながったけれど時間も時間、誰もいないようだ。

「新しく来てくれたのがかわいい女の子で、ぼくはうれしい。桃花ちゃんはぼくのこと、やっぱり怖い?」

 いじらしい視線でじっと見つめてくるから、無為に突き放せない。地縛霊だかなんだか知らないけれど、ここで無視したら私は一生、罪悪感を感じるだろう。この世の、しかも自分の目の前に霊がいるなんて信じられない。信じたくない、のに。気味が悪いけれど、傷つけてしまいそうで言えない。

「怖いっていうか、驚いただけ。顔はいいし、やさしそうだし、害はなさそう……かな」

「うわあ、うれしいな。ぼく、家事得意なんだ。なんでも任せてね」

「そ、そう」

 それよりも、出て行ってほしい。家事全般が苦手な桃花でも、とにかく消えろ、消えて、いなくなれと思った。

「よかったー。桃花ちゃん、すごくいい人。前の人もその前の人も、ぼくを見るなり絶叫したり、怒鳴ったりされたから、ぼくさみしくて。長くてもひと月。短い人は三日で引っ越して行った。ぼくは仲よくなりたかったのに、残念だった。でも、桃花ちゃんとは、うまくやっていけそうだね」

 なけなしのお金をはたいたのに、引っ越した先には地縛霊が居座っていたなんて。笑い話にもできない。

「とりあえず、私はもう休むよ」

「そうだね。桃花ちゃん、おつかれだもんね。おやすみなさい」

 夢かもしれない。夢だったらいいのに。現実とは思えない。私は布団をかぶって寝た。怖くて電気を消せなかったけれど、気をきかせてくれた地縛霊さんが、私が寝たあとにそっと消してくれたようだった。



「あー。やっぱり、なにか出ましたか」

 翌日。

 不動産屋の担当者は、がははと大口を開けて笑った。

「笑いごとではありません。なんとかなりませんか。銀髪の、若い男性が出るんです。部屋の中で飛ぶっていうか、浮いているんです」

 私は詰め寄った。

「わたしたちには確認できない事項なんですよ、残念ながら。過去、事故物件だったことは事実ですし、リフォームも徹底的にしました。そしてきちんと告示しました。けれど、借り手さんが長続きしなくて。当の証拠……、その銀の霊を掴まえてきてくれるなら別ですが」

 あれを、つかまえる? できるわけがない。

「格安物件には、じゅうぶん気をつけるべきですよ。世間には相場っていうものがありますので」

 とうとう暴言まで吐かれてしまった。

 さらに引っ越すような資金はない。引っ越すときに保証人になってくれた親も、不審がっていた。この半端な時期になどと。ストーカーのことは話したくない。早く、実家へ戻れと言われるのがオチ。これ以上の移動はできない。お金が貯まるまで、あの地縛霊と仲良くしなければならないのか。

 『じばくれい』。

 私はそのことばをパソコンを使って調べた。五十万件以上が該当。念を残すあまり、死んだ場所から離れられない魂。逆に考えると、魂が持っている念を浄化できれば、地縛霊は成仏できるはずだ。

 しかし、杞憂は徒労。この部屋の地縛霊は、意外と使えて話の分かる性格の持ち主だった。

「桃花ちゃん、ごはんつくったよ」

「お留守の間に掃除しておいたよ」

「洗濯物、畳んでおくね」

 性格が明るくてよい。とても働いてくれる。適当に買い物を済ませておけば、なにか食事を作ってくれる。しかもおいしい。使える地縛霊だった。もしかしたら、ほんとうに掘り出し物だったかもしれない。しかも美形ときては、なんだかこのままでいいかもと軟化してきた私は、ずるずると同居を許してしまった。

「ねえ、あなたって名前はなんていうの。歳は。出身は。学生だった? どこで、なにをしていたの」

 私の問いに、地縛霊はさみしげに俯く。

「それが、なにも分からないんだ。覚えていないというより、思い出そうとすると意識が吹っ飛んじゃう。ぼくみたいに、自分で生を断ち切った罪作りな人間には、ごくごく断片的な記憶しか残らないみたい」

「そうなんだ。それは不便だけど、悪いことを聞いちゃったね、ごめん。でも、『じばくちゃん』じゃ、あんまりよね」

 腕を組んで、私は考えた。地縛霊。じばくれい。じばく、れい。

「じばくりょう。しば、りょう。斯波リョウなんて、どうかしら」

「なんだか、格好いいね。恥ずかしいな。ぼく、自分の顔って好きじゃないんだ。目が大き過ぎる。鼻も高過ぎる。唇も赤いし、顎も尖っていて。髪も癖っ毛でまとまらない。幼なじみからも変、変っていつも言われていたし」

「なによれ。謙遜? 照れている場合じゃないよ。あなた、容姿も抜群にいいんだし、もっと自分に自信を持つべき、リョウくん」

「そうなのかな、うん。ありがとう、桃花ちゃんに言ってもらえるなんて、うれしいな」

 はにかんだ表情もかわいい。ああ、こんな彼氏が現実にも欲しい。図々しいかと思ったけれど、一緒に寝てと頼んだら、律儀に添い寝してくれた。リョウは生きていないから、冷たいのが残念だけれど、久しぶりに安心して朝までぐっすり眠ることができた。万か一、あのストーカーが来たら、リョウを彼氏だと紹介して諦めさせる。このハイスペック彼氏なら、身を引かざるをえないはずだ。この際、冷たくてもなんでも、私には関係なかった。


 事実、引っ越し後の私はついていた。

 アルバイトの時給がぐんと上がるし、難しいと言われていた授業の評価も今年は甘いし、懸賞には当たる、引っ越しの荷物の奥からなくなったと思っていたアクセサリーが偶然出てきたり、いいことづくめだった。今まではそれを自分ひとりで喜んでいたわけだが、今は一緒に喜んでくれる人がそばにいる。

「すごいね桃花ちゃん。おめでとう」

「さすが桃花ちゃん。運がいい」

「ほんとうによかったね、桃花ちゃん」

 リョウのことばは善に包まれていて、心地よい。私は他人に褒められたことがほとんどないので、舞い上がってしまった。

 しかも、美青年の甘い声。

「リョウくん、私の彼氏になって」

 私はリョウに抱きついた。媚びているつもりはないけれど、自然と甘えた声になってしまう。

「ぼくが、桃花ちゃんの彼に? 別に構わないけど、ぼく死んでいるんだよ。桃花ちゃんを満足させられないかもしれないのに」

「うん。いいの。リョウくんなら、なんでも許す。好き」

「ありがとう。ぼく、桃花ちゃんのこと、せいいっぱい大切にするよ」

「こちらこそ。よろしくね」

 こんなにいい子なのに、どうしてリョウは地縛霊なのだろうか。生きていれば、女の子が放っておかないだろう。モテモテで選び放題、毎日が輝きにあふれたきらきらの充実生活間違いないのに、自殺だなんて。理由が分からない。

 だから、私はリョウを外に誘った。

 もっと楽しませたい。奉仕されてばかりでは気の毒だ。外の空気に触れれば、思い出すこともあるかもしれない。

 それに、こんなにステキな彼氏を連れて、一度ぐらい街を歩いてみたいと言う下心もあった。超絶美形男子が私に夢中。他人の羨望を浴びたい。自慢したい。

「ねえ、今日は散歩してみよう」

 私のお願いに、リョウは表情を曇らせた。

「ぼく、この部屋から外に出られないんだ」

「そんなこと、前にも言っていたね。でも、今日は天気もいいし、意外と行けるかもよ。試してみようよ、ね」

「いやだよ。ぼく、部屋がいい。外、嫌い」

「嫌い?」

「うん。みんな、ぼくのことをじろじろ見るから」

 じろじろ見る? 私はひっかかりを感じた。外に出られない霊体なのに? それは、切れ切れに残る、リョウの生前の記憶なのかもしれない。

「だいじょうぶ。私はついているから。ね、近くの公園まで行って、コーヒーでも飲もうよ。遠くには行かない、練習だよ」

「ぼくは、桃花ちゃんと一緒にいられればそれだけで満足なんだ」

 うれしいことを真顔で言ってくれるものだ。私は表情がゆるんでしまった。

「私も、リョウくんといたいよ。だから誘っているの。ねえ」

 私は強引にリョウの身体を引っ張って玄関まで連れて行った。

「そうか、靴がない」

「でしょ。諦めて」

「でも」

 歩きたい。リョウと明るい道をふたりで。

「だいじょうぶ。私がリョウくんを守る。靴、何センチかな。簡単なサンダルでよかったら買ってくるよ、今。靴を買いに行こう」

 そう言って、私は強引にリョウを外出させようとした。

「気持ちはうれしいよ。でもごめん、できない」

「リョウくんってば」

 いかにもつらそうに、私から視線を逸らしたリョウは、跡形なく消えてしまった。

 リョウが立っていた場所には、暗い影が残っていたけれど、やがてそれも消えてなくなった。

「やだ、リョウくん。冗談、だよね。せっかく仲よくなれたのに、もうお別れとか、ないよね。もう言わないよ、外へ行こうだなんて。ごめん、謝る。強引だったよね。いやがるリョウくんに無理を押しつけるなんて、私がバカだった。出てきて。隠れないで」

 私は天井に向かって訴えたけれど、リョウはどこにもあらわれなかった。


 リョウが消えてから、十日ほど経って。

 私は絶望に包まれていた。なにをしても楽しくない。なにを食べても味気ない。あの、笑顔がほしい。リョウの声が聞きたい。私はすっかりリョウに魅了されていた。

 どうしたら、また出てきてくれるだろう。リョウのことが知りたい、調べたい。私は立ち上がった。

 まずはインターネットでこのマンションの名前や住所を入力してみる。自殺というキーワードもつけ加えて見た。

「あった。出てきた」

 事件は三年前。当時、この部屋に住んでいた男子学生(十八)が自殺。名前や詳しいことは、どの記事にも書かれていない。未成年だったので、特に隠されている。警察や不動産屋に普通に訊いても、個人情報は教えてくれないだろう。

 このマンションが建って間もなく、リョウは入居したようだ。駅近の分譲マンションなので、強気価格でも人気の物件だったらしいことも分かった。となると、隣り向かいに住んでいる人たちはリョウの事件を知っているはず。誰にも聞けなかったら、失礼を承知で聞き込みに行こうと決めた。

 けれど、さすがに勇気がない。今後とも住み続けたいし、過去を掘り返してトラブルにはなりたくない。

「図書館。いいえ、新聞の販売店とか、宅配業者さんなんてどうかしら」

 なにかを届けている、地域の情報に詳しいとなると、それぐらいしか思いつかない。リョウの名前、出身、通っていた大学名、アルバイト先、交遊関係。どれかひとつでも判明すれば、リョウを知ることができる。

「そんなに一生懸命にならないでいいよ。ぼくは別に、今の状況でも困っていないよ」

「リョウ、くん」

 久々にリョウの声が聞こえた。私のを背後から、やさしく包んでくれた。

「どこへ行っていたの。捜したのよ」

「ぼくはずっときみのそばにいた。桃花ちゃんがぼくに気がつかなかっただけ」

「嘘、そんな。見えなかったよ。何度も呼んだじゃない」

「もっと求めて。強く」

「つ、つよく?」

 思わず、私はどきりとして息を飲んだ。リョウの色気に圧倒されていた。い、いや、地縛霊に色気もなにもあるはすないのに。

「そう。桃花ちゃん、ぼくが欲しいんでしょ。もっと言って」

 ずるずると後退し、私は壁際まで追い込まれていた。もう逃げられない。

「そばに、いて。ずっと」

 かすれる声でそう言うのがやっとだった。

「うん。素直で好き」

 リョウは私の頭を撫で、頬にキスをした。全身がこわばってしまっていて、動かない。抵抗できなかった。それを許可と受け取ったのか、リョウは私の顔を覗き込むと、今度はしっかりと唇を重ねてきた。リョウの唇が首筋をなぞり、吸った。その冷たさに、私の全身に悪寒が走る。

 手馴れていた。

 これだけの美形。経験も、さぞかし豊富……そう考えていると、リョウのことが憎らしくなってきた。ストーカーまがいの男としか付き合ったことがない私は、怒りをおさえられなくなった。

「そこまで、ストーップ!」

 意外、だと言わんばかりに、リョウはあっけにとられている。

「同居しているけど、こういうのは早いから。お互いのことをよく知ってからで、お願いします」

「喜んでくれると思ったのに。ぼくのキス以上を辞退した女の子、桃花ちゃんが初めてだな」

 不思議だ、そうつけ加えてリョウは首を傾げた。ノリのいい女子なら、さっさと仲よくなってしまうのだろうが、痛い目を見たばかりの私には進めない。ましてや、相手は地縛霊。

「うれしいよ。喜んでいるよ。でも、今日はちょっと」

 そう言い澱むと、リョウは勘違いの解釈をしたようで、なるほどねと頷いた。

「じゃ、また今度ね」

 リョウは浮き浮きと台所へ消えた。

 なんだか、ぐぐっと疲れを感じた。


「これが、桃花の新しい彼氏!」

「信じられない」

「しかも、テーブルに並んでいるお料理、全部お手製?」

 大学の友人三人が引っ越し祝いをしたいと言い出したので、リョウに相談してみると、リョウは笑顔で来客を承諾してくれた。てっきり、その時間はクロゼットにでも隠れているのかと思いきや、堂々と和洋中各種取り混ぜた手料理で、もてなしてくれた。これでは、どちらがお祝いなのか分からない。

 リョウはにこにこと座っている。友人三人にもリョウの姿が見えるようで、どこから眺めても感じのよい好青年。実は死んでいて、霊体などとは微塵も感じさせない。

「どこで知り合ったのよ、桃花」

「え、えーと。リョウくんは、このマンションに前から住んでいたのよね」

 先住人だったことは、嘘ではない。

「こんなかっこいい彼氏だったら、一緒に歩いて自慢しまくりだよね。料理も上手とか。いいなー。一日、私に貸してよ」

「わたしだって貸してほしい!」

「いや、私よ私。桃花が独占するなんてずるい」

 三人が口論をはじめたので、私は間に入った。

「あのね、リョウくんは素敵男子なんだけど、マンションから出られなくて……そう、引きこもりなんだよ! そうそう、極度の引きこもり。ねえ、リョウくん」

 地縛霊なので外出は不可能です、なんて説明できないので、私は必死にごまかした。

「うそー。こんな超ハイスペック男子が、なにゆえ引きこもり? 理由がないでしょ」

「桃花。彼をほかの女に取られたくないからっって、都合のいい言い訳はやめな」

「見苦しいよ」

 非難の嵐だった。しかし、引くわけにはいかない。

「ほんとうだよ。リョウくんは、とにかく引きこもりなの」

 反論すればするほど、友人たちは白けてゆく。私は焦った。

 こんなとき、頼れるのもリョウだった。

「お友だちのみなさん、桃花ちゃんが話していることはほんとうです。ぼく、外に出られないんです。桃花ちゃんにしか心を開けなくて。桃花ちゃんはぼくの女神なんです。ねえ、桃花ちゃん」

 リョウは私の肩を抱き、身体を引き寄せた。恥ずかしくて顔から火が吹き出そうだったけれど、懸命に我慢した。

「そうなの。こういうことなの。みんな、ごめんね。私、リョウくんの心のケアをしているんだ」

「あきれた」

「まじ信じられない」

「勝手にやって」

 私とリョウがらぶらぶなのを目の当たりにした三人は、お祝いもそこそこに帰って行った。

「ごめんね、リョウくん。引きこもり青年に仕立てちゃって」

「いいんだよ。実際、そのようなものだし」

 いや、あなたは生きていないから、引きこもりとは比較になりません……そう答えかけたけれど、リョウはごちそうを作って友人をもてなしてくれた。感謝しなけれなばらない。

「あの三人、私に新しい彼氏ができたって聞いて、焦っていたんだよ。ほんとうなのかどうか確かめたいって、しつこくて。引っ越し祝いは建前。無理なお願いをして、ごめん。今日はありがとう」

 私の仲にも、下心があった。外出は無理でも、やっぱりリョウのことを自慢したい。優越感にひたりたい。私は浅ましい気持ちをおさえ切れなくて、友人を招いたのだ。

「気にしてないよ。ぼく、桃花ちゃんのこと大好きだから」

「一緒にいて。消えないで」

 どこまでもやさしいリョウに、私は抱きついていた。リョウも私に応えてくれた。

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