表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

タケルとの再会

作者: koguma_chan_c

ミランダは、軽くため息をついた。カーステレオから、昔どこかで聞いた歌謡曲が流れてきた。十七時四十分、待ち合わせの時間まで、あと二十分。ゆっくりと日は暮れてきた。フロントガラスの片隅に、朱く染まった木の葉が映る。


 その絵葉書は、昨日届いた。エジプトからの絵葉書。最初は驚いた。けども、すぐに差出人がわかった。かつて交際していたタケルからだ。絵葉書の裏面には、<ネフェルティティの鏡像>。ネフィルティティ-謎多き古代エジプトの王妃-横顔が、ミランダのそれにそっくりだと、タケルはよく言った。


 「二月二十日、十八時 森のカフェで待っていて欲しい」


 絵葉書の片隅に、メッセージが書かれていた。

 ミランダは、古風で保守的な女性だった。毎日、街のスーパーで働き、お伽噺にも、噂話にも関心が持てない。この街に住む多くの人がそうであるように、毎日をチェスの駒のように、ミスや後悔がないように、一マスづつ前に物事を進めることで精一杯だった。直感で何かを判断するタイプではないけれども、宛名のない絵葉書の差出人が誰であるか、すぐに判った。


 十年前、ミランダとタケルは、美術学校で出逢った。タケルの専攻は彫刻で、物静かな青年であった。身丈は高く、いままで何も食べてきていないかのように痩せ細り、顔も青白かった。所謂、典型的な美大生であった。

 交際が始まったきっかけは定かではない。けれども、絵画、それも誰も見向きもしない抽象絵画を専攻していたミランダには、古代の歴史や芸術に造詣が深いタケルの話は新鮮であった。十年前、インターネットは、すでに過去の産物になっていた。彼女たちが幼い頃に、サイバーテロにより世界は混乱し尽くしていた。公共機関は麻痺し、プライバシーも約束されていない世界であった。ミランダが18歳のとき、政府はすべてのネットワークを切断することを決断した。国民もそれを支持した。最初はトラブルだらけであった。しかし、必要最低限の接続で世界が廻ることはすぐに実証された。学生たちは、懐古主義者となった。こぞって廃刊されていた書籍の復刊を要望した。ミランダも街の図書館で、一世紀以上前の芸術家であるマーク・ロスコやジャスパー・ジョーンズの画集を食い入るように眺めていた。若者の知覚が、遠い過去の知覚にゆっくりと近づいた時期であった。

 タケルと通った美術学校は、元々は修道院だった。小さな格子窓やステンドグラスから、わずかな光しか入らず、日中でもライトをつけないと制作が出来ないほどだった。けれども、画像でしかみたことのない前近代の建物を、ミランダたちは、こよなく愛した。ある日、タケルが古代エジプト彫刻の本を、自慢げにミランダに見せた。出版社から直接、取り寄せたものだった。

 「古代エジプト人にとって、石は永遠を意味していたんだ。採石場にはアンクというヒエログラフが掘られていた。生命を意味するんだ。石の種類によって宗教的な意味合いも違ってくる。紅玉髄という鉱石は、荒っぽくて使いづらい。だから、守護の力が宿っていると考えられていた」

 想像でしか味わったことのない自然世界とその中で堂々と生きていたエジプト人たち。ミランダは、タケルの憧れが、理解できた。やがて、タケルは一人でエジプトを訪ねた。ほぼ一時間ごとに現地の画像が送られてきた。「君も一緒に来ればよかった。今度は一緒に来よう」どのメッセージにも、そう書いてあった。  


 車を駐車場に止めて、待ち合わせのカフェへ歩いた。カフェは、街でこの一軒しかない。プラスチックで出来た疑似丸太の小さな建物だった。静かにドアを開ける。地元の労働者が、数人たむろしている。照明もキャンドルライトに変わっていた。ミランダは、ただ静かにコーヒーを飲み、絵葉書を眺めていた。


 19時まで待って、もう帰ろうと席を立った瞬間、ドアが開き、タケルが入ってきた。「すまない。遅れてしまった」と言い、ゆっくりと席に座った。ミランダは、急に緊張した。もう、10年近く会っていない過去の恋人は、以前に増して顔色が悪かった。「あなたは、どこか具合悪いの?」開口一番、思わず尋ねた。「悪くはない。良くもないけどね」タケルは答えた。「絵葉書、届いてよかった。こちらに着いて、すぐに送ったんだよ。ずっと、エジプトにいたんだ。君は元気か?」

「うん」ミランダは、緊張が解けないまま答えた。タケルは、うつむいたまま、持っていたスーツケースを開きだした。「ミランダ、これは君にだけ伝えておきたいんだ」とタケルは言った。


 それは、唐突かつ突拍子のない話だった。

 「君は、信じないかもしれないけど、君にはもうあと僅かの寿命しかないんだ。だけど、延命の余地はある。問題は、君が僕の言うことを信じるか、否かだ」

 「え?」ミランダは、聞き返した。タケルは、早口で説明を続けた。

 「僕は、エジプトで死者の書を解読していた。誰もが知っているあの死者の書ではなく、本物の死者の書だ。それには、この世のすべての寿命が書かれている。もちろん、君のもだし、僕のもだ」タケルは、上唇を一度噛んだ。

 「僕は、人の寿命が何で区切られているかを知ることができた」

 ミランダは、ため息をつきながら、コーヒーを啜った。タケルは、学生のころから、死に脅え、死を乗り越えようとしていた。彼のノイローゼ気味の気性が、芸術に宿る永遠の命と人間に与えられた短い命の違いを混乱させていたのだ。彼は、人は彫刻のように永遠に存在するべきだと、本気で信じていた。だから、大学3年のときに、彼とは別れたのだ。

 ミランダは、ポーチを閉じ、そっと席を立った。「待ってくれ」タケルは言った。テーブルに音をたてて、分厚い本を置いた。

 「まさか、これが死者の書だというの?」ミランダは笑った。

 「そうだ。馬鹿にするのは自由だけど、僕は真実を語っている」

 「タケル、あなたは心が疲れている。死者の書なんてないし、人はみんな死ぬものなのよ」

 「いまのが2475文字目だ」タケルはつぶやいた。

 「なに?」

 「いまので2478文字だ。残り、522文字」

 店内は客が増えて、小さなパーティーが開かれているかのようだった。

 「あなた、大丈夫?」ミランダは、タケルに聞こえるように大きな声で言った。

 「聞いてくれ。君は、残念だけど、この話のなかでしか生きれない。そして、きっと、このカフェからも出れない。もう残りが少ない。だけど、もし最後の一文字から別の話にジャンプする意志があれば、別の話でも生きれるかもしれない」タケルは、ミランダよりも大きな声で言った。

 「くだらない」ミランダは、鼻で笑った。

 「そうだ、この世はすべてくだらない。この話だって、くだらないよ。けども、君が残り205文字でいなくなってしまうことは、事実だ」


 ミランダには、死者の書を解読できないけれども、この世の仕組みはよく分かっていたのだ。周りの客の声が、どんどん大きくなってきた。ミランダは、軽く動悸した。テーブルの水を一気に飲み干して、ミランダはカフェを出た。タケルは、静かに本を閉じて、周りを見渡した。ミランダの車の音が、どんどん小さくなっていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ