002 転生者はつぶやく
彼は床の上を自由にハイハイしていた。
(自由だー!)
今までは、檻みたいなベビーベッドの中で食うか寝るかしかなかったのに、やっと運動させてもらえるようになったのだ。
(なんてな。はー、虚しい)
赤ん坊がハイハイする場所は、ベビーベッド二つ分ほどのスペースに柔らかな毛皮が敷かれ、その周りを木の柵で囲われている。
行動範囲が二倍に増えたとはいっても、所詮赤ん坊でしかなかった。
(輪廻転生、生まれ変わりなんて嘘っぱちだと思っていたが、まさか自分で体験することになるとは思ってもみなかったぜ)
ハイハイに疲れてゴロンと寝っ転がる。体力もただの赤ん坊である。
(しかも確実にファンタジーな異世界なんて)
寝転がったままの体勢で、料理をしている彼の母を見る。
(今では完璧に理解できるが、話す言葉は日本語でも英語でもない未知の言語だった。赤ん坊の言語学習能力バンザイ)
母親は斑模様のついた、鶏のそれと同じくらいの大きさの卵を割って料理し始めた。フォークでかき混ぜると、フライパンを火の付いていないコンロの上に置いた。ガスでも電気でもない、ただの鉄とレンガでできたものである。薪や炭で火をおこさないと使えないはずの物だ。彼女が指さすと何もないところに火が点いた。
フライパンは加熱され、卵料理が出来上がっていく。
(お母様は魔女だったのです、なんちゃって)
何も無いところから水を作りだしたり、両手がふさがっているのに物を動かしたり、彼女は当たり前に魔法を使っていた。
(あっ、帰って来た)
玄関の扉が開き、父親が帰って来た。
小さなドラゴンにしか見えない狩りの獲物を持って笑顔で妻に報告していた。背中には弓と矢を、腰には剣を帯びている。
(実にファンタジーだな。まだ赤ん坊だから味わったことは無いけど、アレを獲って来た時の笑顔を見るからにきっと美味いに違いない。楽しみだな)
だんだんとハイハイが上手くなった頃、両親が目を離した隙を狙って彼は檻から脱獄した。
(今度こそ自由だ!どうせすぐ捕まるだろうけど、いいかげん食って寝るだけの生活は限界だ)
ハイハイで玄関付近まで近づく。この家は土足厳禁らしく、床はきれいだった。
(さすがに外はヤバいな。赤ん坊がモンスターに出会ったら、美味しくいただかれてしまう)
ハイハイで階段付近まで移動して来た。一段目から挫折した。
(無理。ハイハイごときでどうにかできるわけがない。つかまり立ちできるまでの我慢だ)
ハイハイの冒険は続く。
(台所に行っても、何も食えないからおもしろくない。あとは……)
行ったことがない部屋の扉は開いていた。
大きめのベッドとタンスと大きな鏡が置いてある部屋を見つけた。
(寝室かな?ベッドの下にお宝は……隠してない。まあファンタジーだしな)
彼は鏡の前へと移動した。
「おー、やっぱり美形だ。金色の髪に、緑色の瞳。そして両親譲りの顔。将来は必ず美少年になる」
彼は両親の顔を思い出していた。彼の顔は母親似だった。前世の彼は恋人いない歴イコール人生だった。
「いやー、もてるだろうな。もう、ハーレムでも作るしかないな!」
鏡の中の赤ん坊が鼻の下を伸ばしている。
彼は鏡の前に座って考えていた。
(ファンタジーで、魔法が使えて、美形。耳はとがってないけど、俺ってあの種族に転生したんじゃ?)
彼はポツリとつぶやいた。
「エルフ」
カランと背後で音がした。
振り返ると、エプロン姿の母親が驚いた顔をして、おたまを床に落として固まっていた。
(やべ!どっから見られていたんだ!ごまかさなくちゃ)
そう思って行動する前に彼女は走り去って行った。
(どうしよう。悪魔がとりついた、とでも思ったかな。実際に祓われたらどうしよう。魔法使えるからな)
赤ん坊が冷や汗をかいていると、夫を連れて彼女が戻って来た。
「しゃべったの!確かに聞いたわ!エルフって言ったのよ」
なぜか両親は二人とも笑顔だった。