011 二十年なんて誤差の範囲内
百年ほどの歳月が流れ、エルフの体も成長した。
体は日々鍛えられ、しなやかな筋肉が付いて無駄がない。どこか色気を漂わせてはいるけれど、女性らしい凹凸は皆無だった。顔も美しく育ちはしたけれど、中性的な美しさが強く出て、性別を超えたものがある。背の高さや立ち振る舞いから、男性と勘違いされることがよくあった。
相変わらず男に求婚される悪夢を見てうなされることも多い。純真だった瞳は輝きを失い、彼の心の奥底に宿る不安を表すかのように暗く濁っている。髪の色も元はきれいな金髪であったが徐々に色が薄くなり、今では日の光に透けた時にうっすらと色が出る程度になってしまった。
(ストレスのせいかな?禿げたりはしてないみたいだけど?)
その日もラソロに鍛えられていた。
(戦闘の訓練の時に、偶然一本背負いを決めたのがまずかったな。俺に一度だけ投げ飛ばされて以来、投げ技がお気に入りだ。二十年ほど前からは相手をつかむことなく投げる技まで身につけやがった)
蹴りを繰り出した足首をつかまれたと感じた瞬間には、すでに地面にたたきつけられていた。
(生まれ変わって得たこの身体でなければ骨が砕けているぞ。昔は穏やかに弓術の稽古も付けてくれたのに。ポンポン投げ飛ばされるこっちの身にもなってもらいたい)
午後からはオードの魔法の訓練だった。
土でできた百を越える大型モンスターの群れがエルフを追いかけ回す。
「ほらほら、逃げないと踏みつぶされてしまうぞ。がんばれ、がんばれ」
オードは魔法で作った獣たちを楽しそうに操り、エルフを狙った。
自然災害の様な規模の攻撃から逃げつつも、エルフも魔法を放つ。全力で走っているため息が乱れて言い返せない。魔法は獣を数十匹弾き飛ばしたけれど、群れの勢いは止まらなかった。
木に登って、体勢を立て直そうとしたら、今度はその木を手のように操ってエルフを捕まえようとした。
魔法で切断して辛うじて逃れても、次の魔法が追い立てる。
夜は夜で家事をしなければならない。
今夜はメインの肉料理を作るようにとグウスに頼まれた。肉料理は重労働だった。肉の塊を大きな包丁で腱を立ち、骨を削ぎ、皮を剥ぐ。
(前世の料理は楽だったな。パック詰めされたスライス肉が懐かしい)
何時間もかけて煮込んで作ったグウス秘伝の調味料をつけて肉を焼く。横で付け合わせを作っているグウスに合わせて仕上げなければならない。
強火で焼き色をつけ、うま味を肉の中に封じ込める。あふれ出た肉汁を利用してソースを作ってさっとかけた。
(昔はこんな一日を過ごしたら、疲れ果てて食事中に居眠りしたこともあったな)
エルフが時間の流れを感じながら四人で夕食を食べていた。
「それで、結婚の準備ははじめたの?」
その日の話題はジェファとラソロケニージノリの結婚についてだった。
(親戚や友達を呼んで結婚式をするんじゃないんだよな)
前に結婚の儀式について尋ねた時のことを思い出していた。
ある程度の年齢に結婚する二人が達すると、それぞれの親戚を二人で一軒一軒回って、家族になることを承認してもらう。全員の承諾をもらうまで結婚したと認められないのだ。
とはいえ、誰も反対することはない。許婚として、子供の時からの決まった二人が結婚するのだからである。
許可をもらいに行くというよりも、実は単なる挨拶なのだ。
しかし、広大な森に住む森の民たちは集団で生活しない。お隣さんまで歩いて三日以上かかることもよくあることなのだ。だから結婚の儀式は数年かけて行うように予定を組むのだ。
夕食も終わりに近づき、ラソロとオードとグウスが楽しげに会話している時だった。
「ところで、結婚はまだまだ先の話でしょうけど、エルフの許婚は誰なのですか?まだ紹介されたことも無いのですが」
ラソロケニージノリがポツリと爆弾を投下した。
エルフの思考が停止していた。
(ついにこの時が来てしまった)
さながらギロチンの刃が落ちてくる寸前、食肉加工場に運ばれていくトラックの荷台、ゾンビに包囲された中で弾切れの銃、探偵に追いつめられた断崖絶壁。エルフのすべてが絶望を体現していた。
両親の口から出る次の名前におびえ、震えて待っているのに、その言葉が出てこなかった。
(あれ?)
オードとグウスの時が止まっている。
「ど、どうしたのですか。僕は何か悪いことでも聞いてしまったのでしょうか?僕としても兄弟のように思っているエルフのことで、何か問題があるのなら力になりますよ」
両親はうつむいていた顔を挙げて話し始めた。
「私たちだってがんばったのよ。森の端々まで回って」
「始めのうちは、あまりにも歳が離れすぎているのはかわいそうだと、同年代の子に限定して探したのだ」
「見つからなかったのよ。五百歳差ぐらいに範囲を広げても、ちょうどいい子がいないの」
「やっとエルフの後に生まれた赤ん坊をみつけたと思ったら、同じ日に生まれた子との縁談が決まっていたのだ」
「もうこの際だからラソロさんに二人目としてお願いしようかと思ったほどよ」
「だけど、この手紙が届いて、その可能性に賭けようと思った」
オードは大事そうに手紙を取り出した。
「昔の友人から送られてきた手紙で、新たに作る学校に協力してほしいと書いてあった」
「異文化、異人種間交流を目的にした学校らしくて。だから、エルフにとって新たな出会いがあるんじゃないかと思うの」
「我々は寿命の問題がある。人と結婚した場合は時間によって辛い別れを強いられる。だから人との結婚には反対だ」
「でも魔人は私たちと同じように年老いることはないし、隠れ里の外の世界にだって森の民はいるはずよ。あとは、愛でしょ」
「それに、そろそろ異世界人たちが現れる頃のはずだ。彼らから学ぶことは多い」
「べっ別に、探すのにもいい加減疲れたとか、もう飽きたとか、そういうわけじゃないんだからね?」
オードから渡された手紙の中味をエルフとラソロは確認した。そして、気付いた。
「父さん。この手紙の日付が二十年前なんですが?」
オードは目をそらしながら言った。
「もし許婚がいないと教えたら、どんな反応をするのかが怖くて言い出しづらくてな・・・・・・」
二十年も相手を待たせてしまっているのだから、急いだ方がいいとラソロに言われたから、エルフの出発は明日になった。
エルフはその事実を簡単に受け入れることができなかった。
その夜、夢を見た。白馬に乗った婚約者を名乗る男性が、エルフに求婚しに来た。
いつもなら、ただ逃げ惑うだけだ。夜が明けて、目が覚めてくれるまで時間を稼ぐのだ。その夜もそうだった。
途中までは。
自分には婚約者の男などいないと叫び、蹴り倒して、まだ見ぬカワイイ女の子に手を差し伸べたところで夢から覚めた。