ガーンズリンド
陽が傾き始め、あたりがオレンジ色に染まり始めた頃。
ライトは右手にルマク・ボウガンを持ち、身体強化の魔術であるマーシャルエンチャントを発動させ、全力で草原を駆けていた。
彼の目の前にいるのはラマに似た生物【ウージャ】。
ラマのように全身を見るからに肌触りの良さそうな毛を覆っている。
しかし、その身体はラマというよりは馬に近い。
ウージャの革と毛、特に革にはマナを魔力に変え、蓄える能力がある。
その魔力を移動速度に使っているため、足はかなり速い。
ライトは跳び上がり、追いかけていたウージャの前方へと三本の杭を放つ。
急に目の前に現れたそれらに驚いたウージャは馬のような鳴き声と共に前足を高く上げて動き止めた。
その側面から迫るのはデフェット。
捕らえようと両腕を広げた瞬間、ウージャは再び地面を蹴り、デフェットから逃げるように走り始めた。
しかし、それは予想通りの行動だ。
ウージャが向かうその先には網を持ったウィンリィがいる。
自分の方へと向かって来るウージャへと狙いを定めながらゆっくりと網を揺らす。
投げ方を間違えてしまえばウージャは再び遠くに逃げられてしまう事になり、また一から探し直すことになる。
それだけはなんとしても避けたいため、全員に緊張が走る。
「ッッ!」
刹那のそのタイミングを見つけたウィンリィは揺らしていた網を投げた。
バッ!と大きく広がった網は見事にその中にウージャを捕らえることに成功、その体と足を絡め取る。
しかし、走っていたときの勢いを殺しきることができず、それに引きずられるようにウィンリィは地面に倒れた。
「ウィン!」
「大丈夫だ!」
ライトの声にウィンリィは変わらぬ調子で答えながらゆっくりと立ち上がる。
息を吐き、力を込め直す彼女の目の前には、網に足を取られて倒れたウージャ。
それは今でも逃げようと足掻いているが、そうすればするほど更に絡まっていく。
逃げ出せそうにないことを見てウィンリィは掴んでいた網を離した。
「よかった……成功だな」
デフェットがウィンリィの方へと走り寄りながら言った。
同じくウィンリィに近づいていたライトは頷く。
「ああ、ほんとに……はぁ、疲れた」
ウージャはかなり便利な動物だ。
馬同様の力がありながら、ラマのように毛から毛布を作ったり織物を作ることができる。
ちなみに飼育が盛んに行われているのは北西の少し標高が高い地帯だ。
今回受けた依頼はギルドからではなく、依頼主から直接受けたもの。
内容は逃げ出したウージャの捜索と捕獲、商団を襲った盗賊の討伐だ。
まさか苦労するのが盗賊ではなく、ウージャの捕獲だったのは予想外の出来事ではあった。
「とにかく、終わったことの報告、だな」
「ああ」
デフェットの言葉に頷きながらライトは振り返る。
彼らが今いるのは丘陵の頂上付近。
その眼下には海が広がり、海岸には大きな町【ガーンズリンド】がある。
そこは彼らが南副都から出て一ヶ月と二週間ほどかけて到着したセントリア王国で最大の港町だ。
◇◇◇
三日前––––
歩いていたライトたちの耳に聞きなれない音、鼻に嗅ぎなれない匂いを感じて全員がその歩を速める。
そして、見えてきたそれにライトが感嘆の声を漏らした。
「あれが、ガーンズリンド!」
「そうだ。って言っても私も来たのは初めてなんだけどな」
ライトに続くようにウィンリィが呟く。
彼らの前にあるガーンズリンドは村というよりは副都の様相に近い。
しかし、聞こえる波の音と潮の匂いが今まで訪れたどの場所とも違うということを告げている。
ガーンズリンドはセントリア王国最大の港町ということもあり、外国との貿易が盛んだ。
ウィンリィ、デフェットはその辺の知識はどうやらあまり豊富ではないらしく、どこの国と外交しているのかをライトは知る由はなかった。
今でも港を行き交う帆船が貿易船かなにかだろう。と予測できる程度だ。
そんな場所だからか、副都でもないのに騎士団の支部があり、城壁で街の周りを囲っている。
中はどんな感じだろうかと心躍らせながら、彼らは門の方へと近づいた。
「観光か?」
城壁の門に近づくと騎士の一人がそう声をかけて来た。
甲冑のデザインは西方騎士団と似てはいる。
だが、所々に東方騎士団を表す蛇を模したマークが刻まれていた。
「はい。なんでも珍しいものが色々あるらしいので」
ライトが短く答えると騎士は彼らを一瞥すると門を潜るように指示を出した。
それに会釈で答えると彼らはガーンズリンドへと入った。
その直前、彼らに話しかけた騎士が言葉をかける。
「ああ、そうそう。ここに来たんなら港の方の商店街に行くと良い。
ワイハント商会が取り仕切ってるから色々面白いもんがあると思うよ」
「ありがとうございます。行ってみます」
そう手を振り、今度こそ彼らはガーンズリンドの門を潜り街中へと入った。
◇◇◇
ガーンズリンドの建物は全体的に明るい赤系のレンガで作られており、人が多いらしく二階建てのものが多い。
また、やはり貿易の拠点でもあるためか、宿屋がかなり目立っている。
「とりあえず宿をとって今日はゆっくり観光と場所の確認でもするかなぁ」
「主人殿が言うのならば異存はない」
「私も賛成。寝床の確保してからでも観光は遅くないだろ」
ライトたちは「先に宿を確保する」と早々に結論を出し、ガーンズリンドのそこらじゅうにある宿屋のうち、比較的普通の宿を取ることにした。
部屋は四人の大部屋を取ることにした。
少々不便だが、西副都での賞金も底が見え始めた今、背に腹は変えられない。
ベッドしかないその部屋で小一時間ほどゆったりとしてから彼らは観光のために宿を出た。
向かう先は騎士に勧められた港の商店街だ。
「にしても本当に良かったのか?東副都じゃなくて」
最初に彼らが目指していたのは東副都のトイストだった。それを言い出したのはウィンリィ。
だが、途中で寄った村でガーンズリンドのことを聞いたライトが「行ってみたい」と言い出したため、目的地が変更、今に至る。
そのことに負い目を感じていたライトの質問にウィンリィは頬を掻いて答えた。
「あー、良いんだよ。
別に無理に行かなくってもな。どうせまた十日ぐらい歩けば着くしな」
「まぁ、そりゃそうだけど……」
「そんなことより楽しもうぜ。
ここは貿易で栄えてるんだ。面白い物が色々あるかもだろ?」
そう言い笑顔を浮かべるウィンリィ。
しかし、それはなんとなくそれは強がりのように見える。
言うなれば何か緊張しているような感じだろうか。ともかくいつもと雰囲気が少し違う。
ライトはそう感じた。
◇◇◇
「ほぉ〜、これはたしかに……」
「……騎士の人が勧めるわけだ」
彼らがついた港に近い商店街は人で賑わっていた。
港に近い方では漁師であろう男性の声、逆の陸の方ではあまり見ないような服や武器が並んでいる。
彼らがまず訪れたのは武器屋。
いきなり訪れる場所としては少し違うような気もしたが、そろそろ剣を新調したいと思っていたライトにとっては重要なことだ。
「新しい武器って、どんな感じのやつだ?」
「少し重いやつかなぁって思ってるんだけど……ウィンはどう思う?」
「そうだなぁ……お前はむしろ軽いやつの方がいいと思う。私より動き回るし」
「たしかに、魔術も無限で使えるわけではないし……」
ウィンリィと意見をかわしながら飾られている剣を握り、人がいないことを確認して軽く振る。
振った感じではブロンズソードよりも少し軽い。
振りやすくはあるがどうにも頼りない。
「まぁ、ブロンズソードを専用に打ち直して貰うってのも手だな……金と時間はかかるけど」
武器屋は基本的に鍛冶屋も兼ねている。
そのため、そういった微調整も可能だがその分の金は取られる。しかもそれ相応の料金だ。
また、微調整が一回の打ち直しで終わることは少なく四、五回かかるのが普通で完成まではかなり時間がかかる。
「そうだなぁ……なぁ、デフェはどう思––––」
デフェットにも意見を貰おうと振り向いたところだった。
群青の服に身を包んだ男性が彼女の顎を掴み、無理やり顔をあげさせ、品定めするような目で見回していた。
「現代マナリアか……顔も体も良い。
若い君のような旅人が持つには珍しい奴隷だな」
二十代後半だろうか。顎に無精髭を生やしてはいるがそこに汚さは感じない若々しい男性だ。
髪は短く切り揃えながらも少し遊ばせ、耳にはイヤリングをしている。
体の線は少々細いように感じたが身長はライトとそう変わらない。
だが、そこから放たれる雰囲気は明らかに常人が発するものではない。
「何か文句でも?」
ライトもそれに合わせて放つ雰囲気を先ほどまでの柔和なものから鋭いものへと変えた。
その豹変ぶりに驚いたのか男性は一瞬目を見開き、それに答える。
「いやなに。よかったら売ってくれないかなと」
「……断る。“彼女”は俺の奴隷だ」
「言い値で買うが?それでもダメかい?」
「あいにく、彼女のために私は命までかけたんだ」
デフェットは最初は偶然とはいえ、コロサウスでの命をかけた勝負の結果、勝ち取った大切な存在だ
そして、その勝負はデフェット自身の誇りもかけた戦いだった。
もし、その男性の話に乗ることになってしまえばそれは自分の命にも値段をつけることになるだけでなく、その誇りにすら泥を塗ることになる。
だから、彼の話に乗ることなど絶対にありえない。
バチバチと火花を散らす二人に対してその後ろでウィンリィが「どこかで見た顔だな」と首をひねった。
そんなウィンリィや周りの視線を気にせず、ライトは続ける。
「その奴隷が欲しかったら、貴方一人で私とその奴隷と本気で戦って勝てばいい。
そうすれば彼女を譲ろう」
「ほう、まるで私に勝ちの目がないみたいな言い方だな」
「ああ、貴方に勝ちの目なんてない。
どれほどの細工をしても私と奴隷が勝つ」
そのまま見つめ合う二人の男。
流石に何事かと店主どころか商店街を歩く人たちまでもがその歩みを止めていた。
まさに一触触発という時、先に動いたのは群青の服を着た男性。
まるで参ったとでも言うように両手を挙げた。
「いや〜、降参だ。
まさかそこまで強く出られるとは、しかも一切目をそらさずに……驚いたよ」
鋭く尖った雰囲気が一気に消した男性は声音を柔らかいものにして続ける。
「少しからかうつもりでふっかけてみたが……。
はははっ、やはり見かけだけでは判断できんね」
そう言うと男性はデフェットの耳元で何かを言うとその店から出ていった。
何だったんだ? と首をひねるライトの後ろでウィンリィが何か思い出したのか「あ!」と手を叩いた。
「ワイハントだ。今の人」
「ワイハント?……あれ?どっかで聞いた気が」
ウィンリィが言ったその名前の響きにはどこか懐かしいものを感じる。
しかし、そこから思い出せないライトにウィンリィが言った。
「何言ってんだよ。
ワイハントって言ったらパブロット・ワイハント。ワイハント商会の代表だぞ!」
「え?」
ライトは途端に今まで言ったことを思い出して顔に冷や汗を浮かべる。
そんな代表を相手に自分はかなり色々と言ってしまった。
「お、俺は……俺はそんな人になんてことを!!」
「ま、まぁ、面白がってたみたいだし……いいんじゃない、のか? たぶん」
ウィンリィも先ほどまでの言い合いを思い出して自信なさげに頬を掻く。
言ってしまったことは今更戻せない。
しかも証人も店主や野次馬含めてそこそこの数がいるのだ。
もう明日にはこのことが噂として広がっていることだろう。もちろんおかしなヒレも付いて。
明日から動き辛くなる事を予想して「はぁ」とため息を吐くライト。
それとは別に事の発端となったデフェットは男性が出て行った扉をじっと見つめていた。
「君はいい主人を持ったね。大切にするといい」
それは彼が耳元で言った言葉。
彼女はライトのことを褒められて表面上には出すことはなかったが少し心を躍らせていた。




