期待の証
「……踏み出さなければ、見えないものがある、か」
ライトに、自分よりもずっと歳が下の少年の言葉をケニッヒは口ずさむ。
まさか十代やそこらのまだ子どもと言えるような年齢の、それも人間に言われるとは思ってもみなかった。
(……いや、そうではないな)
「違う」とすぐに浮かんでいたものを否定する。
その意見を持つことに歳は関係ない。見るべきはそこではない。
彼が今まで何を経験していたか、その経験から何を学んできたかを見るべきなのだ。
ケニッヒはカップに半分ほど残っているお茶を見る。
そこには年老いた老人の姿がある。
それは何も選ぶことなく守ることに呈した者の顔だ。
そして、それは諦めた者の顔でもある。
(私は結局、耳触りのいい言葉を並べて逃げていただけか……)
自覚はあった。
しかし、それはどうすることもできないことだ。
個人だけでいるのではない。ケニッヒの背中には少なくないマナリアが背負われている。
彼とは立ち位置が違う。
見ているものも違う。
感じているものが違う。
全てが違う。
違うからこそ彼と言う人、存在をもっと知りたくなった。
この時のケニッヒはまだ自覚していなかった。
この好奇心はマナリア特有のものである、と言うことを––––
「貴様の力はなんのためにある」
だからその問いを口にした。
この質問にどう答えてくるか、それによって彼の見方を決める。
返ってくるであろう答えをケニッヒは焦ることもなく、どこか期待する気持ちで、眼差しで待つ。
「私の……力」
ライトはその質問を噛みしめるように小さく声に出した。
その言葉を聞いてすぐに思い出すのはウスィクに言われた言葉だ。
『己が力は何が為に』
その言葉の明確な答えはやはりまだ出ていない。
あまりにも簡潔な質問故に答えが出せないでいた。
しかし、それでも今までの経験と考えてきたことを素直に言葉にして表すしかない。
再びケニッヒの質問を自分に問うと息を吐き、彼の視線と対峙するように強く見据えて答えた。
「俺自身の全てのためです」
ケニッヒはその答えに目を見開くとゆっくりと息を吐く。
ライトにはその顔がどこか満足気に見えた。
「もし、誰かのためだといっていれば殺していた。
自分のためだといえば追い返していた。
だが、まさか自分自身の全てのためか……」
他人のため、と言うような者は信用にならない。他人のために生きられる生物など絶対にいない。
そんなことを謳うものに限ってその他人を巻き込み、ことを荒立てる。
そんな者は早々にこの世から去った方がいい。
自分のため、という者はこんなところに来て立ち止まる意味はない。
すぐにここから去り、文字通り自分のために力を振るい続ければいい。
しかし、ライトは自分自身の全てのためだと答えた。
それは自分を中心にしてはいるが、そこには自分以外にも自分が想う大切な者たちも含まれている。
他人のため、自分のため。
どちらの意見にも近いように見えるが、決定的に違うのは自分の力を見極めるているということだ。
二つの意見には共通の点として盲目的な感情が含まれている、ということがあげられる。
ある種の使命感といってもいいかもしれない。
だが、ライトの言った言葉には自分の意思がはっきりとそこにあるのだ。
取捨選択を行っている。
その上で自分とそうでない者。さらにそこから守るべきものと捨てるものを選んでいる。
残酷ではあるが、それは信じるに値する答えだ。
(そんなことを、この歳で言ってのけるとは……)
「まさか、君のような者と出会えるとはな。予想外だったよ」
「は、はぁ……?」
「二人を呼ぼうか。もうそろそろ話し疲れたろう?」
ライトはその問いに苦笑いを浮かべながら控え目に、ケニッヒにわかるように頷いた。
◇◇◇
「……大丈夫、のようだな」
「良かった……」
ライトの無事な姿を見てウィンリィとデフェットは心底から安心したように胸をなでおろし、席に着いた。
「すまなかったな。話は終わったよ。ライト君はどうかな?」
急に名前を呼んだケニッヒの変化に三人は驚きをあらわにさせていたが、ライトは気を取り直しながら答えた。
「え、えっと……問題ありません」
現代マナリアの「停滞する」という生き方に理解や共感はできなかった。
だが、確かにそういう見方もある、と知る事は出来た。
ならばここに来ただけの価値はすでに充分に得られたと言っていい。
ケニッヒは席を立ち、ふと窓の外に視線を移したその時に気がついたように質問する。
「……そう言えば君達は西副都から来たのか?」
「はい。そうですけど」
その答えを聞きケニッヒは顎をさすりながら唸ると三人に提案した。
「今から戻っては日が暮れる。良かったら泊まっていかないか?」
「……俺は泊まってもいいかなって思うんだけど、二人は?」
「私は、問題ないよ」
「……主人殿のご命令とあれば」
その意見にケニッヒは頷いた。
その顔はどこか嬉しそうだ。
「では、色々と準備をしよう。っとその前に––––」
ケニッヒは腰に吊るしていた小袋からブレスレットを取り出した。
青い紐と緑の紐が縒り合わされ、獣の牙のようなアクセサリーが付いているシンプルなブレスレットだ。
ライト、ウィンリィは見たことがないそれをただのアクセサリーとしか見れなかったが、唯一デフェットだけはそれを理解できた。
それ故に反射的に声を上げる。
「長よ! それを、主人殿に渡すおつもりですか!?」
「ああ、ライト君には驚かされた。この者ならば信用するに値する」
ケニッヒはライトの前に立つとそのブレスレットをライトに差し出した。
「これは私が君を信用するという証を示すものだ。
これがあれば少なくとも村の者から何かをされることはないであろう」
いまいち現状を飲み込みきれていないながらも受け取ったライトは左手首に通す。
牙のアクセサリーを指で軽くなぞると少し気持ちが落ち着くような気がした。
「うむ。では、しばらく待っていてくれ。部屋の準備をしてこよう」
そう言い部屋を出ようとするケニッヒをデフェットが止めた。
「ま、待って下さい!それは奴隷の私が––––」
しかし、その止める言葉をケニッヒは手を軽く挙げるだけで遮る。
「彼は私の客人。
君は私の持て成しがライト君に値しないと言いたいのか?」
「い、いえ。そのようなことは決して」
「ならば主人の命があるまで黙っておくものだ。
君はもう、マナリアではない。彼の所有物なのだからね」
そう言い残すとケニッヒは部屋を後にした。
ケニッヒが去ったことでようやくライトは肩の力を抜くように息を吐き椅子に深く座り込む。
「あ〜、緊張したぁ」
「はぁ、全く。一気に色々起こりすぎて頭痛くなってきたよ」
それはウィンリィも同じらしく、ライトと同じように椅子に深く座り込むと息を吐きながら眉間を揉みほぐす。
残ったお茶を飲み干し、渇いた喉を潤すとライトは扉の方を見て立ち竦んでいるデフェットに聞いた。
「ねぇ、デフェさん。このブレスレットって」
デフェットはどこか心ここに在らずといった様子でライトの言葉は聞こえておらず答えない。
そもそも振り向きもしていない。
「デフェさん?」
その二回目の呼びかけでようやく現実に意識を戻したデフェットは振り向いた。
「……あ!ああ、それは長が信用したという印みたいなものだ」
「信用……」
「マナリアはその性質上どうしても外部からの接触を避ける。
だが、完全にそうするわけにもいかない。結果、生み出されたものがそれだ」
ライトは左腕を上げてもう一度そのブレスレットを見る。
青と緑の二本の紐が綺麗に縒り合わされている。
シンプルなデザインではあるが丁寧に作られていることはよくわかった。
更に牙のようなアクセサリーが付いており、それがアクセントとなっている。
「重要なのはそのブレスレットではなく、牙の方だ」
「そういや、その牙なんの牙だ?」
ウィンリィは挙げられたライトの腕を見上げながら問う。
そのブレスレットには小指の先ほどのサイズの牙が飾りとして付いている。
しかし、ライトもその牙の持ち主については知らない。
「ネスクの牙だ」
【ネスク】
蛇のような形をしている生物の一種だ。
このネスクは不思議な生態をしており、マナから栄養を作り出し、生きている。
寿命は数百年単位だ。
「ネスクは魔術の象徴としても扱われる。
マナリアがそれを渡すということは自分の魔術、力をその者に貸すことを意味する」
ライトは腕を下ろしその牙を一撫でした。
何かしら加工がされているらしく手触りはかなりいい。
「信用……されたのか。俺」
「良かったな。ライト」
「理由は、わからないけど、ね……」
苦笑いを浮かべながら肩をすくめて答えた。
だが、これを渡されたのはなんとなく信用とは違うような気がする。
(これは信用って言うより……期待、か?)
しかし、これを渡されたこと自体はとても重要なことだ。
デフェットの話を聞く限り、おいそれと渡せるようなものではないのだろう。
それは彼女の反応を見ても明らかだった。
それから十分ほどの時間をおいてケニッヒが彼らを呼びに来て一つの大部屋に案内された。
そこはマナリアの村に訪れた際に宿として扱われる部屋らしく、ベッドが三つ並んでいた。
宿の二人部屋よりも少し広く、三人でも寝るだけならば充分な広さがある。
ライトはそのベッドの一つに寝転ぶと精神的な疲れが予想以上にあったらしく、あっという間に睡魔に襲われた。
(ああ、これ、やばい……寝る)
しばらくはその睡魔に抗おうとしたが、その努力むなしくすぐに眠りについた。
「あ!そうだライト。これからどうす……っと」
「……まぁ良いのではないか?」
ウィンリィ、デフェットはそんなライトを見て優しく笑みを浮かべる。
そんな時後ろの扉が開かれ、顔を出したのはケニッヒだ。
「すまん聞き忘れた。夕食はどうするかね?おや?」
ケニッヒの前にはマントや剣も取らずにベッドで眠るライトの姿。
「……ははっ。また後で来るよ。
そうそう、少なくとも剣は取ってあげてくれ。流石に危ないからな」
笑みを浮かべながらケニッヒは部屋を去った。
「さてと、んじゃ私も少しゆっくりするか」
「主人殿、失礼するぞ」
ウィンリィはベッドに座り込みくつろぎ始め、デフェットはライトの腰から剣を抜き取った。




