決闘上へ
控え室にボロ布のみを纏った女性が長椅子に座り、レイピアに映る自分の目を見つめていた。
(これが……最後。これでようやく、わたしは)
このコロサウスに連れてこられて三年。
その間に挑戦して来た者は数知れず、殺して来た数もまた知れず。
だが、これでようやく終わる。
これでようやく“自分”という存在を得られる。
容姿については気にしたこともなかったが、この容姿のおかげで勝手に相手は寄って来る。
それをただ殺せばいい、というのはかなり楽だった。
見たことはないが、世界には虫を喰らう植物もあると言う。
今の自分はさながらそれと同じだろう。
始まりは些細なことだった。
村を追われて彷徨い歩いていると不意打ちされてしまい捕まり、ここに賭けの道具、奴隷として放り込まれた。
何故そうなるのか?
深く考える必要はない。
“人でないモノ”が人の世界に入ってしまった。その結果そうなっただけだ。
不意打ちで捕まったとはいえ、自分が磨いてきた技術は本物だ。
どれほどの手練れだろうと、こんなところにまで来るような者などたかが知れている。
そんな者達ならば圧勝できる。
それほどの力を自分は持っている。その自負がある。
ならば、何も恐れることはない。
いつものように寄って来た虫を喰うように、寄って来た者を殺せばいいだけの話だ。
そんなことを考えているといつも自分を呼びに来る男性が声をかけてきた。
青色のお面で顔を隠した中肉中背の男性だ。
「時間だ」
「……ああ。わかった」
ボロ布を纏った女性は椅子から立ち上がり部屋から出ると先を歩く男性に続き、もはや見慣れた通路を歩み始めた。
◇◇◇
この通路も、コロサウスも、そして、試合前の独特な高揚感と緊張感にも慣れてしまった。
人肉を貫く感覚にも慣れてしまった。
「これでお前が勝つにしろ、負けるにしろこれでお別れだな」
心底残念そうに男性は言う。
「全く。上もなんでこんな上玉を簡単に捨てられるのかねぇ。
俺なら性処理専用に置いとくってのに……」
男性のその一切隠そうともしない言葉に女性は眉をひそめ、冷たい視線を送る。
「おお。怖い怖い。人間だったら良かったのになぁ。
ま、顔とスタイルがいいからそれでも一級になれたんだろうがな」
そんな男性のセクハラの軽口を聞きながら歩いているとだんだんも観客の歓声が大きくなってきた。
もう少しで始まる。
いや、ようやく始められる。
「残念だ。一度はお前を抱いてみたかったよ」
女性は冷たい視線を最後に送ると男性を追い越し、さらに先、光が差し込む場所へと歩き出した。
あの軽薄な男ともここでようやく別れられると考えるとどれほど幸運なことか。
ここから先にさらに歩けばコロサウスのグラウンドに出ることができる。
そこに出れば最後の戦いが始まる。
(これで最後だ。私は、私として生きることができる)
女性は凛とした目で先を見据えた。
◇◇◇
「さて、それでは準備はよろしいですか?」
ここまでライトを案内した女性は聞く。
「……ああ」
ライトは奥歯を噛み締め拳を握る。
話が違う。と女性に怒鳴り散らしたかったがそう言うわけにもいかない。
だが「はいわかりました」と受け入れることもできない。明らかに元の世界ではあり得ない。
ここまで案内されて女性に一番に言われたことはたった一つ。
「今からあなたには殺し合いをしてもらいます」
何かしらで戦うことは予想はできていた。
だが、命までも掛けるとはとてもだが予想できなかった。
(くそ……)
『まぁ、あんたならやれるって』
『そうそう。気負う必要はないよ』
心の中で悪態を吐くライトに白銀と黒鉄は簡単に言い切る。
『聞く限りやることは簡単じゃない』
『単純明快。これほどわかりやすいものはない』
白銀と黒鉄が言う通り確かに女性から聞いたことは簡単だった。
これから行うのは殺し合い。
コロサウスのグラウンドで奴隷と一対一で戦うことになる。
使う物は剣でも槍でも問題はない。
ライトは己で選んだ使い慣れたブロンズソードへと視線を降ろす。
それは訓練用などではなく、刃がついた実剣だ。
使用している武器は実戦用の物。
当然当たれば傷つき、下手をすれば死ぬ。
勝てばライトに商品として、その奴隷と賞金が与えられ、負ければ命を失う。
とてもではないが挑戦者が明らかに不利な戦いだ。
奴隷を殺してしまえば景品が一つ減ることになる。
そうなるため、結果的に挑戦者は殺さないように手加減をする必要がある。
そして、手加減をしても勝つなど相当な実力がなければ不可能なこと。
無理やりコロサウスに連れて来た男性が目玉というのも当然のことだろう。
聞くところによるとその奴隷は今まで499回戦いその全てで圧勝。
そして、今回勝てばその奴隷は自分を買うことができるらしい。
確かにこれほど見ものな戦いはない。
だが、ライトが躊躇っているのは勝てるかどうかよりも人に剣を向けることができるかどうかだ。
剣を向け、戦うことができるかどうかだ。
木剣ならばウィンリィ相手に何度も振るってきた。
デヴィスと勘違いから剣をぶつけたことはある。
だが、あれはデヴィスも手加減していたから打ちあえただけ、本気ではなかった。
本気の人との殺し合いは今回が初めてなのだ。
『そんな心配する必要ないわよ?あんた相当腕をあげてるんだから』
『うん。自分を信じて』
元気づけるようにその声が頭に響いた。
(俺は……)
ライトは鞘から剣を抜き握りしめる。
(絶対に殺さない。絶対だ)
『ええ。わかってるわ』
『これも経験。いずれ君は人に剣を向けることになる』
頭の片隅で考えていたことをはっきりと黒鉄は告げた。
そんなことはわかっている。
ここは元の世界よりもさらに弱肉強食が身近に感じられる世界だ。
これから先、自分の手を汚さずに過ごせるなどは思っていない。
しかし、それがいざ目の前にあると恐怖で全身が震える。
「いってらっしゃいませ」
まるでそのライトを崖から突き飛ばすような容赦のない、答えを求めない言葉を発し、女性は頭を下げた。
ライトは何も答えずに陽の光が差し込む場所へと、その足を踏み出した。




