小さな見落とし
休憩を終えた彼らは再び林の道を歩き出していた。
「ミクリナ草ってこれ?」
アリスが見せてきた草をしばらく見つめていたウィンリィは残念そうに首を横に振る。
「惜しいけど違うな。これはアカミクリナ草だ。
ほら、ここの筋、赤いだろ?」
ウィンリィはそう言うとアカミクリナ草の真ん中の一番長く太い葉脈を指差す。
確かにそれは赤くなっている。
「これは毒があるんだ。食べると全身麻痺に襲われる」
「へぇ〜」
ウィンリィはアリスに教えながら一緒に薬草を探していた。
「そういえば––––」
その二人から少し離れた位置にいるライトはふと思い立ったかのようにアリスに質問する。
「アリスは将来なりたいものってあるのか?」
「え?なりたい、もの?」
「ああ。なりたいものだ」
アリスはライトの突然の質問にうなり、考え始めた。
「どうしたんだ?急にそんなことを聞いて」
「いや、本当に、ふと気になって」
子どもは夢をみがち。というよりも子どもの仕事は夢を見ることだとライトは思っている。
そんな彼からしてみれば、この世界の子どもはどんな夢を持っているものなんだろう、と気になったのだ。
もし元の世界女の子だったらパティシエや先生になりたいと言う子どもが多いだろう。
しかし、この世界にはパティシエという職業はない。
学校というものも一応あるにはあるが一般家庭が通えるほど安くはない。
それ故に先生も貴族やそれに属するものに限られる。
「うーん。いっぱいある!
お母さんのお仕事もやりたいし、お父さんのお仕事を手伝えるようになりたい!
あっ!でもでもお兄ちゃん達みたいに旅もしてみたい!!」
アリスはキラキラと表情を輝かせてそう言った。
その無邪気な光を向けられライトは顔をそらす。その目にはかすかに涙が滲んでいた。
(やめろ……その光は眩しすぎる)
ライトは思う。
一体いつから自分の心は現実を知り、夢を諦めてしまったのか、と。
ちなみにだが、アリシスは織物を仕事としている。
アリスの父親は王都で騎士をしているらしい。
そして、その騎士の補佐をするような職業がある。
雑務をこなすだけだがそれ故にそれなりに学がいる。
普通なら親の仕事を継ぐべきだが、アリスはまだそのことを知らない。
それ故に様々な夢に想いを馳せることができるのだ。
「旅はお勧めしないぞ。
第一、さすがにアリシスさんでも許さないだろうな」
ウィンリィはそう言うとアリスは優しく撫でた。
そんな二人を見ていたライトはふと新たな疑問が浮かんだ。
(そういえば。なんでウィンは旅を––––)
「ライト!後ろ!!」
「っ!!」
ウィンリィから飛んできた声に思考を止め即座に反応、前に勢いよく飛び転がる。
瞬間、先ほどまでライトがいた位置を鋭い何かが切り裂く。
攻撃を外したそれは不服そうに喉を鳴らした。
「……おいおい。これは、なんの冗談だ?」
すぐさまライトは剣を抜き取り構える。
「さぁ、な。ただ言えることは相当状況が悪いってことぐらいだな」
ウィンリィも剣を抜き取りアリスを自分の後ろに隠れさせる。
彼らの正面にいるそれ、いや恐らくはすでに周りを取り囲んでいるのであろうそれらは彼らが一週間前に戦ったレスト・ヴォルだった。
ウィンリィはそれを見て苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「くっそ。そういやあの時はリーダーを倒してなかったな」
「リーダー?」
「ああ、レスト・ヴォルにはその群れのリーダー、主がいるんだよ。てっきり倒してたと思ったんだが……」
「でも、なんで今更」
ライトはいつどこからレスト・ヴォルが飛び込んできてもいいように構えを崩さない。
周りに視線と意識を這わせ続けている。
「たぶん。油断したところを後ろから切るつもりだったんだろ……」
ウィンリィは後ろに木がある位置までアリスと共にゆっくりと下がり、諭すように言う。
「アリス。そこでしゃがんでじっとしてて」
「う、うん」
アリスは心配そうな表情を浮かべているが、強く混乱している様子は見受けられない。
ウィンリィの指示にもすぐに従いしゃがんだ。
「よし。強い子だ」
ライトは構えや視線を外さずにウィンリィに声を飛ばす。
「ウィン!アリスを頼む」
「わかってる。ライト、気を付けろよ?」
「了解。安心しろ動きはもう見切ってる。そう簡単にはやられないさ!」
攻撃を外したレスト・ヴォルは遠吠えをすると飛び上がり木に登った。
(下手に追えばウィンリィと分断される。
そうなったら数で負けてる分俺たちがやられる。ここは––––)
レスト・ヴォルが木から落ちてきながら鋭い爪を構えた。
「インフェルノ・ガントレット!」
それを叫ぶと左手に炎が湧き上がり、拳を握りしめる。
レスト・ヴォルは己の危機を感じたが、今更下がることなどできずライトに直進、爪による刺突がライトに伸ばされた。
それを軽く腰を落とすことで回避。
頭上を爪が通り過ぎるがそれを気にすることもなく、炎を纏った拳でレスト・ヴォルの顔を殴る。
グチュッと生々しい音と感触をライトに与え、放物線を描きながらそれは地面に落ちた。
(来た奴らにカウンターを与える。百発百中。逃さずに!)
ライトは右手に剣を、左手に青い炎を纏いながらレスト・ヴォルの群れを迎え撃つ。
◇◇◇
「ね、ねぇ。お姉ちゃん……」
アリスのその声は少し震えている。
その表情にも当然ながら一切の余裕はない。
「どうした?アリス」
そんなアリスを安心させるためにもウィンリィは優しく答える。
しかし、ウィンリィの視線は自分の周りを入念に見回し感覚も張り巡らせることを忘れない。
「だ、大丈夫。かな?」
「ああ、ライトか……」
ウィンリィとアリスの先にはライトが注意を引き付けるために派手に動いている。
レスト・ヴォルたちはそれに見事にはまり、ウィンリィやアリスには一切の興味を示していない。
「大丈夫さ。あいつは魔術も使える。
剣技も少しずつだがよくなっていているからな」
ウィンリィは安心させるためにそう言ったが、心中は穏やかとは言えなかった。
(……まずいな。強く攻められないからレスト・ヴォルを取り逃がしてる)
ライトが倒したレスト・ヴォルはまだ三体。
しかし、そこから先は不用意に前に出るレスト・ヴォルがおらず、決定打を与えられていない。
どうやら下手に追撃できないということを見切られているようだった。
(確かにダメージは与えられてる。
でも、このままだとライトの方が先にやられる)
最初の時のように二人で迎え撃つことができれば取り逃がしも少なく、少しずつだが数を減らしていける。
だが、残念なことに今はライト一人で対応するしかない。
そして、その焦りはライト本人が強く感じていた。
「……くそっ!」
(焦るな……焦るな……こいつらは俺に体力を使わせることが目的だ。
出来るだけ動きを最小に、無駄を省くように!)
そう頭の中ではわかっているが上手くいかない。
どうしても動きにムラが出る。
そこを付いてくるレスト・ヴォルに反撃を加えようとしてもすぐに逃がす。
結果、体力、精神力をより消耗していた。
圧倒的に手が足りていない。
その現実に歯噛みしながら叫ぶ。
「エアカッター!」
放たれる空気の刃。
それはレスト・ヴォルに僅かに当たらず木の枝を切り裂くのみに終わった。
「ライト!落ち着け!」
ウィンリィからの声が飛ぶ。
(わかってる!)
思うが言葉にならない。
ライトにはすでに声に答えるだけの余裕はない。
前後からほぼ同時にレスト・ヴォルの鋭い爪が迫る。
前から来た爪はしゃがんでかわし、それと同時に剣を逆手に持ちかえて背後のレスト・ヴォルへと突き出した。
背後のレスト・ヴォルはそのまま剣に貫かれ、前方から来ていたレスト・ヴォルは攻撃を中断。
木の上に上がろうとしたところをライトのグランドアームに捕まり、そのまま握り潰された。
(これで……ようやく五体。あと、何体だ?)
肩で息を繰り返しながら立ち上がる。
きちんと反撃ができたこと、次の行動を考えていたライトは一瞬、気が現実から離れてしまった。
その瞬間のことだった。
「ライト!」
「お兄ちゃん!」
ウィンリィとアリスの声が耳に届く。
それとほぼ同時にライトは背後から迫る鋭い殺気に気がついた。
「ッッッ!!?」
しかし、ライトがそれに気がついた時にはすでに手遅れだった。
レスト・ヴォルの鋭い爪がライトの右肩を貫いた。
その衝撃と激痛で握っていたブロンズソードが零れ落ちた。
「エア、カッター……!」
痛む右肩を抑えながら唱える。
その声に答えるように現れた空気の刃はレスト・ヴォルの頭と腕を吹き飛ばした。
ライトは痛みで悶絶しながら膝を折る。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
「ライト!!」
「来るな!!」
ウィンリィはライトへ駆け寄ろうとしたがそれをライトは鋭い声で止めた。
今ウィンリィが離れてしまえば力も何もないアリスはレスト・ヴォルにとって格好の獲物となる。
ライト本人も怪我をしているため、人のことは言えないのだが、彼の頭にはアリスをどうやって林の外に脱出させるか。
それだけが考えられていた。
(くっそ。どうする……いや)
いや、その言葉は語弊だろう。彼にはすでに案はある。
ライトは痛みではなく、別の意味を持つ笑みを浮かべ小声でつぶやく。
「んなの。決まってるよな……」
再び迫り来るレスト・ヴォル。その攻撃をグランドアームで受け止め、ウィンリィに声を飛ばした。
「ウィン!アリスを連れて逃げろ!!」
辛うじて捻り出したその声にウィンリィは反論しようと口を開きかけたがすぐに止め、一回頷いた。
「っ!お姉ちゃん!?」
「アリス、行くぞ」
ウィンリィはアリスを抱きかかえると走り出す。
「ちょ、ちょっと待って!お兄ちゃんは!?お兄ちゃ––––」
「口を閉じろ!」
「ッッッ!!?」
アリスの声を遮り、ウィンリィは鋭く厳しい声で言う。
彼女は奥歯を噛み締め、アリスの体を力強く抱きしめている。
そこからは明確に悔しさが滲み出ていた。
それを感じ取ったアリスは言葉を無くし、ただ泣きそうな顔で静かに頷くのみだった。
「……待ってるからな」
そう言い残すとアリスを連れて林の出口へと向かう。それを追うように三体のレスト・ヴォルが行動を始める。
その直前、それらの鼻先を空気の刃が通り抜けた。
「おいおい。お前らの獲物はこっちだろうが」




