人間という種族
ウィンリィがマーリンの城であるアヴァロンに到着して3日が経った。
その日の朝も彼女は見慣れ始めた天井を最初に視界に捉えてベッドから上半身を起こした。
着替えると鏡の前で軽く髪を整えてマーリンから貸し与えられている部屋から出てとある場所へと向かう。
殺風景な通路を歩き、同じような階段を登り、たどり着いたのはベランダだ。
そこから見える場所にあるのは見えない壁により先へと進めなくなっているディザスター。今自分たちが戦おうとしている相手だ。
今日も今日とでさまざまな生物の足や物が混ざり合っている木の根のようなものがもぞもぞと蠢いている。
楕円の体のような部分に付いている複数の目はどこを見ているのかぎょろぎょろと辺りを見ている。
この3日ウィンリィがずっと見続けているものだ。
(今日も、いるな……)
「今日もおるのぉ……」
自分が心の中で呟いたことと同じものが突然横から聞こえて驚きながらバッとその方向へと視線を投げた。
その先には驚いた様子のウィンリィを見てどこか楽しそうにしているマーリンがいた。
声の主を知り、胸を撫で下ろしたウィンリィは小さく息を吐いて口を開く。
「マーリンか。驚かすなよ。おはよう」
ライトからあらかじめどういう人物か聞いていたおかげか、マーリンとは自分でも驚くほどに打ち解けていた。
少なくともこういう悪戯をされる程度の仲にはなっている。
「うむ、おはよう。
今日も良き目覚めをしたようで儂としても良いかぎりじゃ」
「良き目覚め、ね……」
ウィンリィはチラッとディザスターの方を見てから肩をすくめた。
「あれを見てると良き目覚めかどうかは疑うよ」
「じゃが、貴様はここに来て3日間、毎日見ておるな」
「……今日起きて見てみれば消えてるかもしれないだろ?」
子どものようだと笑われると思った。
なにを弱気になっているんだと怒られるかもしれないとも思った。
だが、そんなウィンリィの予想とは違いマーリンは子どもらしくない優しい笑みで言葉を投げる。
「わかるよ、その気持ちはな。
ずっと前にあれを調べて、世界を消しているという事実を知った時にな」
「でも、あんたは諦めなかった。力があったからって」
「この世に存在するということであれば倒せる手段もあると考えるようになっただけじゃよ」
「ははっ、あんなの相手でも単純だな」
笑ったウィンリィに対し、マーリンは少し頬を膨らませたが溜まった空気を抜くように息を吐いて言葉を返す。
「ただでさえ世界は複雑じゃ、戦う時は単純ぐらいがちょうどよかろう」
そうかもしれない。そう心の中で頷いたウィンリィはふと気になった質問をぶつけた。
「そういえば、マナリアってマナが見えるんだろ?」
「ああ、そうじゃな」
「あれは……ディザスターはどう見えるんだ?」
改めて何度も見てきたディザスターを見つめるマーリン。
ついでに観察しながら向けられた質問へと答える。
「例えるならば、穴じゃな」
「穴? マナが見えないってことか?」
「そうじゃ。本来あるべきマナの出入りなどない」
それを聞いたウィンリィは意外だと思うことはなく、そのため驚くこともなかった。
世界を消す存在であるのならマナも消えて当然だと思えたからだ。
「でも、なら何であの壁は消えないんだ?」
「消えておるよ。ただ、消えた瞬間に新しく作っているだけじゃ」
「そんな単純ーー」
言葉を返しきる前にウィンリィは気がついて口を閉じる。
マーリンが倒せると思えたのはあの見えない壁があるからだ。
巨大で圧倒的な力ではあるが、全く対応ができないわけではない。
わずかながらも力技で対応できるのならば倒すこともできるはず。
彼女はそう考えたのだ。
消されるよりも速く次を作り、倒しきるまで力をぶつける。
マーリンが語った「戦いは単純ぐらいがちょうどいい」というのは何かの比喩でも何でもなく、文字通りの意味だったのだ。
そこに行き着いたウィンリィを見て彼女は言う。
「さぁ、朝食にしようかの。
何をするにしてもまずは腹を膨らませなければな」
ベランダから城内へと戻るマーリンを追い、ウィンリィも続く。
城内に入る直前にディザスターを一瞥し、彼女は城へと入っていった。
◇◇◇
朝食を食べ終えたウィンリィはフルーツタルトを口にしていた。
自分と同じように食後のデザートであるそれを美味しそうに口にしているマーリンへと彼女は言葉をかける。
「なぁ、ずっと不思議だったんだが、これって村とかで買ってるのか?」
「いや? 栽培しておるよ。ここでな。
魔術を使っておるから気候など関係もないし、旬なんかも無視できる」
そういえば南の方では花を栽培する方法を研究している魔導師もいたな、と片隅に思いながらウィンリィもそれを食べる。
タルト生地やクリーム、フルーツの味と食感を楽しんでいる中でマーリンが話を切り出した。
「なぁ、ウィンリィよ。貴様は人間は何のための種族だと思う?」
突然振られた謎の質問にウィンリィは数瞬固まっていたが、すぐに唸り頭をひねり始める。
少しして眉間に皺を作りながら答えた。
「わからないっていうのは答えにならないか?」
「いや、それはそれで貴様の答えじゃ。よかろうて」
2人の間に沈黙が訪れた。
あの質問の原因がライトであるのは間違いない。
そのことを聞こうとしたところで再びマーリンが口を開く。
「ライトにとってこの世界はどのように見えておるのかの」
その言葉には興味というよりも哀れみの方が深く含まれているようにウィンリィは感じた。
◇◇◇
3年前ーー
始まりはマーリンがライトのラマナの瞳を作っている最中にしたマナリアの話の感想からだった。
「本当に魔術を研究するための種族だな」
「まぁ、たしかに主たちから見ればそうだろうな」
机に向かいながら手を動かし続けるマーリンはそう言葉を返した。
そんな彼女の背中にライトは言葉を投げかける。
「人間は、どんなための種族に見える?」
少し躊躇いがちに出されたそれにマーリンは一瞬だけ手を止めて思考を始めたかと思うとすぐに作業を再開しながら出た答えを口にする。
「人間は文明を創るための種族じゃな」
「壊すとか、争うため、じゃないのか?」
どこか吐き捨てるように呟かれたその言葉を耳にしてマーリンは振り向いた。
彼の顔は真剣そのもので悪ふざけやからかうために言っていないことはすぐにわかる。
『この世界に守りたい人がいるから戦う』
そう彼は言ったが、貴族の争いに巻き込まれ、彼らの勝手な理由によって魔王と王女への強姦という汚名を着せられたのだ。
人という種族そのものを信じられなくなったとしても当然と言える。
そこにかける言葉見つからない。見つけられない。
「主の世界でも争いは多かったのか?」
強引ながらも話の流れを変えるためにマーリンは質問した。
ライトは求めている答えを得られずに少し不服そうにしたがすぐに答えを口にする。
「俺は体験してないけど、話に聞いた限りでは少ないとは言えない、と思う」
「ほう、君の世界と私たちの世界、その点には大きな違いはないのか。
ん? いや待て、君の世界には人間しかいないのだろう?」
「ああ、そうだ」
すぐに返された肯定にマーリンはより一層興味深げに声を上げた。
「ほぉ〜う。
人間しかいないのにそんな戦争が起こるのか」
「そりゃ、思想とか肌の色とかの差別とかーー」
歴史の授業で習った内容をどうにか頭の中から引っ張り出そうとしているライトだったが、マーリンにとっては先ほどの短い言葉だけでも疑問が浮かぶ。
「待て待て。思想? 肌の色?」
問いかけながら振り向いた彼女は詰め寄る勢いで続けざまに質問を繰り出し始めた。
「思想はまだわかる。理解できるが、肌の色とはどういうことだ?
同じ人間だろう。例えばそれで能力が大きく違ったりするのかい?
何か見えたり、聞こえたり、感じ取れたり」
「……俺の印象だと、そんなには感じたことはない、かな」
戸惑い気味に吐かれたライトの答えにマーリンは数度瞬きをすると椅子に深く座り直し頭を抱えた。
「なら、なおさらわからない。
ただ、なるほど……やはり世界はどこまでも争いはあるのだな」
「人間がいるから、じゃないのか?」
2人の間に無言の時が訪れたが、少しして吹き出すようにマーリンは笑い声をあげた。
「君は人間を卑下し過ぎだな。いや、経験したことを考えれば当然だろうが」
自分を落ち着かせるように力を抜くように背伸びをした彼女は続けてライトへと言う。
「私はそうは思わんよ。
争いなんぞ規模が違うだけで自然界でもおきておる。
縄張り争い、メスの取り合い、食事についてもそうだ」
「争いがない世界なんてない、か」
「ああ、そうだ。そこに人の有無は関係ない。もはや世界の法則さ。
主の世界でもそうであった以上はそれを覆すことはできなのであろうな」
そう言い、マーリンは再び机に向かい、作業を始めた。
「なら、どうすればいいんだ?
ただ、流されるままに殺しあえって言うのか?」
「いや、重要なのはそれとどう付き合うかであろう。
我慢して話し合いで折り合いを見つけるか、主の言う通りどちらかが死ぬまで殺しあうか。
その辺はその世界に生きる者が決めることだ」
マーリンはライトに背を向けているため彼が今どのような表情を浮かべているのかはわからない。
しかし、聞いていると思い口を開く。
「人間は特に争いが多いが、いまだに滅んでおらんのは創れるからじゃろうな。
文明を、世界を、他の種族よりもずっと上手く、たくさんな」
「文明と世界を、創る」
ライトがどんな顔でそれを呟いたのかはわからない。
だが、マーリンは付け足すように小さな笑みを浮かべながら締めくくるように付け加える。
「ああ、壊すだけが人ではない。
おそらく人という種族はーー」
◇◇◇
昔話を子どもに言い聞かせるように話し終えたところでダイニングにアムドゥキアスが入ってきた。
ウィンリィにはそのユニコーンが何を言っているのかはまるでわからないが、マーリンは嬉しそうに頷いた。
その内容を視線で問いかけるウィンリィへと彼女は言う。
「ライトたちが来たようじゃよ」




