魔王と世界の敵
一頻り泣いて落ち着いたナナカがかなり冷めた紅茶に手を付けた時のことだった。
「……そろそろ、私も話があるのだが」
その声が聞こえた方を見ればゼナイドがベッドから上半身を起こそうとしていた。
すぐにライトが駆け寄りその肩を抑えながら言う。
「わかってますから、寝ていてください」
「む、しかしな」
「しかしも何もありませんよ。ゼナイドさんが一番消耗してたってことぐらい自覚しててください」
ライトの正論にゼナイドは素直に従い、その体をベッドに預けた。
それとほぼ同じタイミングで彼女の近くに来ていたウィスが疑問を投げかける。
「そろそろってことは〜、ゼナイドちゃんいつから起きてたの〜?」
「……ナナカがライトに抱きついた辺りだ」
正直に言ったゼナイドの言葉にナナカは自分がした行動を思い出し、顔を手で覆って俯いた。
わずかに見える耳は真っ赤になっている辺り、今の彼女の顔はそれはそれは良い色になっていることだろう。
そんな彼女からゼナイドへと視線を戻したウィスはにっこりと笑い、からかうような口調で問いかける。
「ゼナイドちゃんは〜、やらなくていいの〜?」
「い、いらん! ライト、貴様も腕を広げるな! そのままこっちに来るな!!」
「えー」
「えーではない。全く……」
少ししょんぼりとした様子のライトを一瞥、申し訳いことをしたような、残念なような心境を吹き飛ばすようにゼナイドは咳払いをした。
それをスイッチにして真剣な面持ちでライトへと話を振る。
「話がある。というのは単純なものだ」
彼女の雰囲気が変わったのをすぐさま感じ取ったライトとウィスは表情を引き締める。
長ソファの方にいたナナカとレーアもそれを察し、ベッドの方へと向かった。
2人が来たタイミングでゼナイドは言葉を続ける。
「北の山脈、その向こうで何を見た」
「それは私も、いえ、私たち全員気になってました」
ゼナイドとレーアの質問にライトは少しの間を置いて答える。
「魔王と本当の敵、たぶんこの世界の敵って言ってもいいモノ」
「魔王とーー」
「ーー本当の敵……」
ナナカとレーアが順に確認を取るように呟いた。
ライトはそれに頷いたが、ますますわからなくなったゼナイドたちは頭に疑問符を浮かべる。
魔王という存在についてはライトの言い方からどうにも敵ではないように思える。
そのことについても色々と問い質したいところだが、それ以上に本当の敵というものが気になった。
彼が指す敵としてわかりやすいのは罪を被せ、全てを奪ったアルルハイド王とその臣下、騎士や貴族などだが、それ以上の敵というのは想像ができなかったからだ。
「……ライト、すまんが。ある程度説明をもらえるか?」
「もちろん。ただ、どこから話すべきか……」
「じゃあ、魔王って結局のところ何なの〜?」
◇◇◇
3年前ーー
「賢者のモデルで魔王?」
ライトは目の前の少女、マーリンへと確認を取るように聞き返す。
マーリンはその不自然なほどに綺麗な顔立ちを持つ頭でうんうんと頷き肯定した。
しかし、賢者はどちらかといえばレーアがそうであるように尊敬され、目標とされるもの。
対して魔王は憎悪を向けられる対象。とてもだがそれが同じ存在であるなどとは思えない。
(もしかして、マーリンも……)
浮かんだ疑問を口にしようとしたが、先んじてマーリンが口を開いた。
「まぁ、玄関でする話でもなかろう。歩きながらでもできるしの。
それに主も魔術を使うのではなく、暖炉なりで体を温めた方がよかろうて」
「あ、えっと、お願いします?」
「うむ。では、こっちじゃ」
言ってマーリンは玄関扉から見て左の通路へと歩き出した。ライトもそれに続いて歩き出す。
木の床に石壁とその世界では普通の建築なのだが、ここ最近は城にいることが多かったためその地味な色合いは少々新鮮に映った。
外見がゴミの塊にしか見えなかったというのに中は意外と普通であることもその印象を後押ししているのかもしれない。
「それで、聞きたいことがあるのじゃろう?」
「……賢者のモデルで魔王っていうのは?」
「ふむ。それは文字通りじゃよ」
マーリンには魔術の才能があった。
より正確にはマナを用いた道具の作成に関してずば抜けた才能だ。
それを活用し様々な物を作っているうちに賢者マーリンと呼ばれるようになったらしい。
今ではおとぎ話でしかなくなった賢者という存在は実在していた彼女がモチーフの話だった。
ある日、北の山脈を越えた平原のさらに先に化け物がいる。
その噂を聞きつけた彼女はそれに興味を持ち、向かった。
元々そこに住んでいた古代マナリアたちの「化け物と賢者が戦っている」という話がどういうわけか混じり合った結果、生まれたのが魔王という存在。
本来であれば恐れられる程度で済んだのだろうが、そこに目をつけた種族がいた。
「それが、人間」
「うむ。彼らの一部はより潤滑な統治のために共通の敵として利用したのだろう。
曰く、北の山脈にいる魔王が古代マナリアを滅ぼした。次はセントリア王国が標的だ、とな」
マナリアと人間たちが敵対しているのもマナリアの中にある可能性がある真実を隠すためだ。
「何事かを調べていたら儂自身が悪役になっていた。同族もいつの間にか敵視されていた。
主も同じようなものであろう?」
「知っていたのか。俺のこと」
「当然じゃろう?
まぁ、顔は知らんかったが今この場所まで来る者といえば大まかな予想はつけられる」
マーリンは何を今更とでも言わんばかりに肩をすくめた。
この場所は公には魔王の拠点があり、戦争の主戦場となっている場所。
上空には飛竜騎士たちがほぼ常にワイバーンを駆り、警戒している。
それに加え、山脈付近には北方騎士の駐屯所があるため、登ろうとしてもすぐに追い返されてしまう。
それらを突破してなお、登ってくる者は相当頭がおかしくなった者か魔王という汚名を着せられた者ぐらいだ。
「主が狂った者には見えんし、後者だと思ったんじゃよ」
「俺をここに案内してくたのは、それを、魔王と呼ばれていることを不憫にでも思って、か?」
歯に衣着せぬ言葉にマーリンはピタッと足を止めた。
そして、頭を掻いてライトへと苦笑いを浮かべながら口を開く。
「ああ、本来であれば儂が負うべきものを主に背負わせてしまったからの……」
「背負う……か」
ポツリと呟いたライトの言葉にマーリンは少し悲しげな表情を浮かべたがすぐに前へと向き直り、歩を再開。
その背中を追いながらライトは確認するように心の中で呟く。
(にしても“賢者も魔王も元はマーリンを指していた”なんて……な、っ!?)
呟いていたがゆえにその違和感に気がついた。
ライトはそれに思い至った驚きそのままにマーリンへと疑問の言葉を飛ばす。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
「ん? どうしかしたか?」
「魔王との戦争が始まってたしか50年だろ?
マーリンは……一体、何者だ?」
「ふむ。そうじゃ、な。
世界の敵であるディザスターに抵抗するためだけに未だに生に縋っている古代マナリア、とでも言えばいいかの」
今度こそライトの頭はパンクした。
その混乱を少しでも解消させるために情報をまとめるようにしながらマーリンへと問いかける。
「今の魔王との戦争が始まって約50年っていうのは?」
「さぁ? 儂は知らんが、人間側の事情じゃろう。
何百年も戦争をするなど普通は考えられんからな」
彼女の言うことをそのまま受け取るならばマーリンは少なくとも何百年も生きている。
その辺りも問いたいが今はそれよりも聞かなければならないことがある。
「古代マナリアは魔王に滅ぼされた種族だって話は?」
まさかとは思ったがやはり魔王は古代マナリアだった。
この戦争そのものが人間側が勝手に作り出したものであると言うのであれば、戦争する理由がない戦争がここまで続いている理由も納得いく。
しかし、古代マナリアが今滅んでいるのは事実だ。
白銀と黒鉄は込み入った事情を話すことはなかったが、そのことを否定することはなかった。
「ああ、滅んだよ。
しかし、それをしたのは儂ではなく、ディザスターじゃ」
「……そのディザスターってのは、おとぎ話に出てくる存在だよな。それが実在する、と?」
「ふふっ、実在するもなにもあの話は事実を元に作られた話じゃぞ。
違う点は……やつは未だに存在している点と救いの手がないことだろうじゃな」
ライトの反応がそんなにおかしいのか、マーリンは笑いながらそう言った。
(未だに存在して、救い手がないって……)
それはつまり、賢者と呼ばれた彼女でも対処することがせいぜいで倒すことはできず、物語のような強力な武器が天から降って来ることはないということだ。
彼女はまるでいたずらをする子どものような笑みのまま振り向いたマーリンは言葉を失ったライトに続ける。
「今どこへ向かっているか、主はついぞ聞いてこんかったから今言うがな。
ディザスターが見える場所じゃ」
「それを見せて、どうする」
「見ることに意味がある。
否、魔王という名を押し付けられた主には儂が対峙している存在を知らなければならん」
生唾を飲むライトを見てマーリンはふっと表情を緩めて通路の突き当たりにあった階段を登り始めた。
ライトは通路の窓、その先にある雪景色を一瞥してマーリンの背中を追って階段を踏みしめた。
◇◇◇
ディザスターはマーリンの城、アヴァロンのベランダから見えた。
大きさは大体30メートルと言ったあたりでシルエットは楕円。
そして、その形を例えるならば、この世に存在する全てを押し固めたという感じだろう。
巨大な人と獣の四肢や頭を至る所から生やし、それからさらに同じようなものが繋がり合っており、遠目から見れば木の根が生えているようにも見えた。
加えてその生えてるものたちは常に動いている。
アヴァロンも様々なものを不規則に繋げたという意味では似通っているが、禍々しさという点では目の前のそれが圧倒している。
「……無理だ。あんなの、勝てるわけがない」
一目見て、ライトはそう呟いた。
そもそもあれは同じ土俵にいない。
言うなれば巨大な嵐に立ち向かうようなものだ。
戦うといったことなどできず、ただ通り過ぎるのを震えながら待つしかない存在。
いや、それ以上の存在だろう。
ディザスターと呼ばれるモノはこの世界にあんな歪な形でありながらも“形”を持つことが不自然なほどの単純な塊。
この世界の法則から外れながらも存在を許されている存在。
それがディザスターを見たライトの感想だった。




