少女の決意
決闘を終えたライトたちはガーンズリンドへと戻ってきていた。
空が茜色に染まり始めた頃にようやくたどり着き、ライトとゼナイドが真っ先に向かったのは家や宿ではなく、ワイハント商会の本部。
その応接室、ゼナイドはおそらく初めて通されたそこのソファにライトと共に座っていた。
少しソワソワとした様子を隠すように彼女は問いかける。
「問題ないのか? 急だったが……」
「んー、わからない。けど、ここまで通されたってことはしばらく待てば何かあると思う」
今回の来訪は事前に告げていない。本当に戻ってきた足でそのままここに来ている。
今まで突然ワイハント商会に訪れたことはないため、はっきりとこうだと断言はできない。
しかし、彼の性格的にはなから対応ができないのを知っていてここまで通すとは考えられなかった。
「ワイハントさんでなくても誰か来るとは思うけど」
彼がそう答えたところで部屋の扉が開かれ、パブロットに部屋に入ってきて気さくに声をかける。
「いや〜、すまないね。ライト君。
それと、貴卿がミリアス家のーー」
見慣れた人物のの隣にい女性をパブロットは視界に捉えた。
その問いかけと視線に答えるようにゼナイドは立ち上がり、口を開いた。
「はい。ゼナイド・ミリアスと申します」
「ああ、聞いているよ。ミリアス家の令嬢で聖王騎士団の中でも指折りの騎士だと。
嬉しいよ。卿のような騎士と話せるなんてね」
自身の言葉に嘘はない。ということを表すように丁寧な対応ではあるが、肩肘張らない柔らかな態度でパブロットは手を差し出した。
ゼナイドは一切の躊躇なく、その手を握り返しながら答える。
「私もワイハント商会の噂は聞き及んでおります。こちらも貴方のような方に会えて光栄です」
その2人の聞き慣れない言葉の会話にライトは言葉を失い、彼女たちの顔を交互に見ていた。
戸惑う様子の彼に気が付いたパブロットが苦笑いを浮かべ、言う。
「ああ、すまない。新しい茶とお菓子を用意しよう。
疲れが取れるとびきりに良いものをね。それが来たら、君たちの体験を教えてくれないか?」
パブロットはそう言うと2人の向かい側にあるソファに座り、物語を今か今かと待つ子供のように無邪気に笑った。
◇◇◇
ライトとゼナイドが商会本部にいる頃、ナナカたちはライトの家に集まっていた。
リビングに集まり、各々椅子に座って淹れたての紅茶を楽しんでいる。
「あ〜、この紅茶美味し〜」
「ナナカ様のお口にあったようで、何よりでございます」
素直な感想を受けたミーツェは微笑み、軽く頭を下げた。
もう一度紅茶に口をつけながら、部屋を眺めたナナカは感心するような、少し意外そうな声音で呟く。
「ここ、本当に光ちゃんの家?」
「ん? ああ、そうだ。パブロット・ワイハントって人に譲られたんだよ。
私も詳しい経緯はよくわからないんだけどな」
ウィンリィの答えを聞いたナナカは近くにいるウィスとレーアの方を向き、首を傾げながら問いかけた。
「えっと、すごい人?」
「う〜ん。そうね〜、知らない人はいないぐらいかしら〜?」
「まぁ、下手な貴族よりも影響力はありますね。
28であそこまでやれてますから、すごいと思いますよ」
「あらぁ〜、レーアちゃんが人を褒めたわ〜?」
嬉しそうでありながらもからかうような雰囲気を機敏に感じたレーアはジト目を向けた。
彼女の言外に「どういう意味ですか?」と問うような視線を受けてなお、いつもの調子で笑っているウィス。
そんな2人から視線をウィンリィの方へと戻したナナカは再び質問をぶつけた。
「あの、そんなすごい人から認められてるってことなんですか?」
「ああ、その認識で間違いない、と思う。聞いただろ? 第三公女様からも認められてるし」
「より詳しく言うのなら、期待されている。と言う感じだろう。
私の住んでいたマナリアの村の長もそうだった」
「そう、ですか……」
ナナカは液面に映る自分の顔を眺めるとそれを一息に喉へと流し込み、少し重い息を吐いた。
空になったカップの縁をなぞりっていると真横からミーツェが声をかける。
「おかわりはいかがですか?」
「お願いします……」
新たに注がれたそれからはミントの香りが湯気と共に登り、薄れて消えた。
それを見ながらナナカはポツリと呟く。
「私って……子どもっぽいですか?」
「どういう意味か、お伺いしても?」
ライトが転生する前、まだ名前が光だったころはナナカと同じような人間だった。
家庭環境は多少なにかしらあったようだが、少なくとも特別貧困であったり、裕福であったりしたわけではない。
そのためか教室で誰かと話している姿は普通だったし、クラスの中でも浮いるということはなかった。
光には悪いがクラスメイトや同級生で、何人かの記憶には残るだろうがそれだけの人間だろう。
だから、彼のことをよく知るのは自分だけだと思っていた。
もちろん全てを知っているわけではない。
だが、あの世界では自分が一番彼のことを見ているし、知っているし、想っている。
そこまで話したナナカは落ち着けるようにカップを仰ぎ、言葉を続けた。
「でも、この世界で生きている光ちゃんは、そうじゃない。
光ちゃん自体はなにも変わってないけど、周りにいる人は違う」
たしかに、光はこの世界でライトとして生きているが根本は変わっていない。
それは間違いない。確信がある。
「ウィンさんたちはみんな光ちゃんを見てる。
その、ワイハントさんって人も、公女様も……ゼナイドさんも」
頭によぎるのは決闘でウィスが放った一言。
『好きってことよ〜』
その言葉を思い出し、キュッと唇を一瞬結んだナナカは再び言葉を続ける。
「この世界で光ちゃんを見てるのは私だけじゃない。それにーー」
しかし、そこですぐに彼女の口は閉じられた。
言うが言わまいが迷っている、というよりもこの感情を認めるのはどうなのか、というためらい。
それを察したミーツェは問いただすことなく、彼女の隣に立ち、言葉を待つ。
この場には彼女の会話に聞き耳を立てている者はいない。皆それぞれに話に花を咲かせている。
最悪聞かれていたとしても一番まずい人物はこの場にはいない。
少しして決心が付いたのかナナカは一際小さな声で、言う。
「ーー今の光ちゃんの隣にはもっと強い人が居るべきなんじゃないかって、思っちゃったんです。
でも、私はそれが……嫌、なんです」
妬みからきたこの感情の名をナナカは知っている。
これは、嫉妬だ。
それも独占欲が絡みついた泥のような黒い感情だ。
「……やっぱり子どもみたいですよね。こんなの」
自虐的な笑みを浮かべたナナカをミーツェは否定するように横に首を振った。
「率直に申し上げますと、私はそうとは思いません。
己の感情、想いや立場。それらを自覚できるものはナナカ様の考える数よりもずっと少ないのです」
「でも、ゼナイドさんたちは……」
「だからと言って皆がそうではありません。
ナナカ様は周りの方々に恵まれましたね。不器用ではありますが、良い方々です」
「私、そんな人に嫉妬してるんですよ?」
「好きな者に自分だけを見て欲しいと思うことは悪ではありません。
束縛まですれば、それは考えものではありますが……」
ミーツェの言葉を受けたナナカは、なにか感じたのか黙りこくってしまった。
顔を下げているため、表情は見えない。
多少お節介と思われても、不躾であってもミーツェという存在としてこれだけは言わなければならないだろう。
そう思った彼女はいつもとは違う口調と声音でナナカへと問いかける。
「あなたはどうしたいの? そのためにはなにが足りないの?」
「……私は、光ちゃんと一緒に生きていたい。好きって言いたい」
だが、今のナナカはライトにとっては足手まといにしかならない。
そんなことは誰よりもナナカ本人がよくわかっている。
「私、もっと強くなりたい。剣とか魔術とかもっと……!
誰かのためじゃない。私のために、旅をしたい」
世界を知りたい。世界を見たい。
先を歩くたった1人の想い人に追いつくために。
昔のように彼の隣に並ぶために。
それはその世界に転移してきた少女の決意で、少女としての望みであった。
「ええ、ナナカ様ならば必ずやその場所にまでたどり着きましょう」
ミーツェはその決意を見届け、小さく笑みを浮かべた。