見えなかったもの
最後の小部屋、そこは他とは少し雰囲気が違った。
まず、鼻に付く妙な匂い。
少し甘く、頭の奥を刺激するような匂いだ。それに混じり何か生臭いような匂いもする。
「なんだ? この匂い」
嗅ぎ慣れないそれにライトは疑問符を浮かべながらフロースフレイムでその部屋を照らそうと動かした。
(この匂い……ッ! まさか!?)
ウィンリィにはその匂いに覚えがあった。
昔に嫌という程に嗅いだあの匂いと同じ。
そして、この匂いがするということは––––
「やめろライト! 見るな!!」
ウィンリィはその先の光景を想像し制止の声を上げた。
しかし、ライトのフロートフレイムの動きに間に合うことはなく、穴の中は照らされた。
そして、彼は見た。
「……な、なんだよ。これ」
ライトは絞り出すようなか細い声で呟いた。
そうするしかなかった。
そこには“生きている”15人の女性がいた。
体格や年齢は異なるが、共通しているのは全員が裸で目は光を失い、虚空を見つめている、ということだ。
全員に枷のようなもので手と足が繋がれており、数人は相当に足掻いていたようで足を潰されている者もいる。
そして、ほとんどの女性がどろっとした白い液体のような何かで汚れていた。
ライトはその惨状と辺りに漂う雄と雌の強烈な臭い、媚薬か何かの甘ったるい匂いに後退りをしていた。
それから逃げるように辺りを見渡せば、ところどころに人だったであろうモノもあった。
皮を剥がれ、内臓を引きずり出され、滅多刺しにされ、まるでブロックのおもちゃかのようにバラバラになったそれら。
「うっ!?」
(吐くな!吐くな!この人たちはっ……っ!?)
だが、ライトのその抵抗も虚しく胃の中にあるものをすべて吐き出した。
それでも落ち着かず最後に胃液まで吐き出すとようやく落ち着いた。
胃液の匂いと小部屋からの強烈な匂いで更に吐き気を覚えたが、すでに吐き出すものがなく、嫌な気持ち悪さに襲われる。
「ゴブリンやオークに、メスは生まれにくい。
だから、他の種族と交わり種を増やしていく。狙われやすいのが戦闘能力が低い人間だ」
ウィンリィは目の前に広がっている惨状に顔をしかめながらライトに説明した。
「……そ、そんな。そんなのって」
(ありえない。そんな方法で種を増やすなんて……)
「生命として、種族として成り立つわけが」
胃液独特の匂いと味と刺激を堪えながらヒリヒリと痛む喉でライトは呟いていた。
その言葉にウィンリィは静かに、はっきりと答える。
「成り立っているんだよ。この世界は」
「っ!!?」
ライトは目を見開いた。
それは頭を鈍器のような物で殴られたかのような衝撃だった。
そう、この世界では当たり前の光景なのだ。
ライトがいた世界ではありえない光景。
いや、ただ知らなかっただけで元の世界にも広がっていたかもしれない。
人が簡単に生き絶え、人が物として扱われ、使い潰される。
この世界ではこのような光景がよく見られるというだけだ。
元の世界と転生してきたこの世界に違いがあるとすればたったそれだけだ。
(俺は、決めたんだ。目の前の事から逃げないと、俺は……!)
ライトは一度目をきつく閉じるとカッと強く見開きゆっくり壁に手をつきながら立ち上がる。
息を吸うたびにむせ返るような胃液の匂いが鼻腔を刺激する。
「無理するな。ライト」
「大丈夫。大丈夫だから」
よろよろと立ち上がり、ライトはもう一度その部屋を見回した。
そこには相変わらず目を覆いたくなるような光景が広がっている。
そんな中、一人の女性が目に入った。
青い綺麗な長髪の女性だ。
姿は部屋にいる他の女性とそう変わらないが、よく見ると口がかすかに動いていた。
「あの人!まだ!」
ライトはその女性に駆け寄り、声をかける。
女性はゆっくりとした動作で頷くと掠れたような声でライトに言った。
「私を、私たちを、殺して……」
それはようやく聞き取れるほどのか細く小さいものだった。
だが、それゆえに必死さがよく伝わる。
「えっ?で、でも、あなたは」
ライトが全てを言い切る前にいつの間にか後ろにいたウィンリィが肩に手を置き首を横に振る。
「……ウィン?」
「彼女が望むとおりにしてやろう、ライト。
こんな姿にされてまで、仕打ちを受けてまで生きたいとは思わないよ」
同じ女性であるウィンリィにはこの光景、この経験がライトの想像以上のトラウマになることを容易に想像できた。
自分が望まないものと体を重ねるなど我慢できるようなものではない。
さらにそれが複数でかつ長時間も続いていればそれはより強くなる。
この心の傷は永遠に消えることはないだろう。
「でも、彼女たちはまだ生きて」
「これで生き続けて何になる?」
「そ、それは……」
ライトにはそこから先の言葉は出なかった。
もう一度女性の方を見る。
その女性はかすかに光が残っている目でジッとライトを見ているだけで何も言わない。
辺りには目から光を失っている者、かすかに痙攣している者、静かに涙を流す者、不自然に笑う者、そんな人たちがそこにいる。
ライトはその者たちを見て、俯くと一回だけ小さく頷いた。
安心したような雰囲気で息を吐いたウィンリィだったが、次のライトの言葉で耳を疑った。
「でも、俺が殺す」
「えっ?なんで」
ウィンリィがライトの顔を覗くと、その顔は優しい笑みを浮かべていた。
「俺は魔術が使えるからな。
その方が早いし、この人たちにもあまり痛みを与えないで済む」
「……っ。分かった」
ウィンリィはライトを止めようとしたが目を見てその言葉を出さなかった。
彼が静かに涙を流し歯を食いしばっていたからだ。
彼女にはなぜ彼が涙を流しているのか分からない。
他人に対し、ここまで心酔できるわけがわからない。
身内や世話になった人ならば多少は分かる。
だが、なぜ何も知らない。それこそ今日初めて会った人にまで涙を流せるのか。
彼女には分からなかった。
「ウィンリィは、出て行ってくれ」
ライトの申し出をウィンリィは二つ返事で返すと部屋から静かに出て行く。
それを確認してライトが口を開こうとした瞬間に女性の掠れたような声が塞いだ。
「優しい、のね。あなたは……」
ライトは女性に視線を合わせるようにしゃがんだ。
「優しい、ですか。ただ、弱いだけ……だと思います」
自虐的なその言葉を否定するように女性はゆっくりと首を横に振り、言葉を紡ぐ。
「いいえ。優しいことと、弱いことは違うわ。
だって、あなたは泣いてるじゃない。こんな姿にされた、こんな私たちを見ても涙を流してくれた。
人として見てくれている。慈悲を、かけてくれた」
「それは……それは!」
ライトには分かっていた。
この涙はただの同情だ。それ以上でも以下でもない。
何もできない自分ではなく、この人たちをただ可哀想だと思っているだけだ。結局は何もできない。
「同情では人は救えないし、守ることもできません」
「それでもいいのよ。人を想う。それだけで、いいの。
“世界は難しくて簡単”なのよ」
「っ!?」
女性はただニッコリとまるで子供を包み込む母親のような優しい笑みを浮かべると目を閉じた。
まるで、最後のその時を待つ様に。ゆっくりと、しっかりと。
ライトは立ち上がり少し俯くと目を見開き呟く。
「創造、エアカッター・ストラトス」
その声が響いた瞬間、ライトを囲むように空気の刃が無数に発生。
それらは一直線に女性たちに向かい斬り刻む。
腕が舞い、足が舞い、頭が舞い、胸が舞い。それから腹わたと鮮血が吹き上がる。
エアカッター・ストラトスはそこからさらに細かく切り裂き肉片に変えていく。
もはや誰であったかも、そもそも人であったかどうかも分からなくなるほどに。
そんな中で意識が残っていた者たちの最後の笑顔がライトの目に強く焼き付けられる。
肉を斬り裂く音、鮮血が広がる音が部屋を支配する中、ライトは声すらなく涙を流していた。