タジェル祭・約束
最初は沖合にいたバハムートが海岸に近づくにつれ、その大きさと威圧に改めて押される。
遠くからでもわかったカバのような大きな口。
魚のような鱗や尾ひれがあるが、移動のメインは獣のような腕のようだ。
バシャバシャ、というよりドスドスという太い音がだんだんと大きくなっている。
よく見れば魚のような目がギョロギョロと忙しなく動いているのがさらに不気味に見えた。
「チャンスは一回、しかもぶっつけ本番だ。
やれるな? ライト、デフェ」
ウィンリィの最終確認にそれぞれがすぐさま頷き、言葉を返す。
「やれるようにするさ」
「うむ。全力の一撃を持って主人殿をあの場所まで届けよう」
二人の答えに満足したウィンリィが頷いた。
◇◇◇
ゲイ・ボルグの標的にならないようにするため、ライトたちの後ろへと下がった他の冒険者や騎士たちは固唾を飲んで見守っている。
彼らが行おうとしていることは全てパブロットから聞いていた。
本当にあの巨大な化け物を倒すことができるのか半信半疑だが、他に手立てがない今、彼らを頼るしかない。
「にしても、彼はよくもまぁあのようなことを思いつく」
呆れが半分、感心が半分といった様子でパブロットが言った。
噂通りの力があるのであればあのようなものも倒せるのだろう。
それこそ、一撃で倒すことも容易なはずだ。
しかし、彼は周りの人や物に被害を出さないことを考えている。
強者の余裕ではない。彼にそんな余裕はない。
だが、手を伸ばしている。
救えるものは救ってみせる、と彼は手を伸ばしていた。
その愚直なまでのライトの行動原理は呆れと感心を得るに値する。それと同時に、パブロットは思う。
(やはり、彼と友人になると楽しいな……)
「ワイハント様」
小さく笑みを浮かべたパブロットへとミーツェが声をかけた。
「ん?」
「あの作戦を提案したのは、彼女です」
そう言うミーツェの目は準備を進めるライトへと走る赤髪の女性へと向けていた。
パブロットはどこか意外そうな顔で呟く。
「ほぉ〜? 意外だな……」
そこですぐに自分の言葉を否定した。
(いや、たしか彼女は一番長く彼と旅をしていたんだったか。
ならばその影響を強く受けていても不思議ではないな)
そして、あの時、初めて共に釣りをした日のことを思い出す。
そう言えば彼は彼女について悩んでいた。
その後、そういう話を聞くことはなかったし、共にいる姿も見ていたため気に止めることはなかった。
なにかを話しているように見えるライトとウィンリィ。
そこに刺々しい雰囲気は感じない。
むしろ数年を共にした夫婦のような距離感だろうか。
それ以前の関係性をパブロットは知らない。
だが、なんとなく二人の距離が縮まっているように見えた。
(私の助言は私が思っているよりも効果があったということか……)
パブロットはふっと笑みを浮かべた。
◇◇◇
バハムートは変わらずゆっくりとした動作で海岸に近づいている。
最初に現れた位置よりもだいぶ近づいてきたようで今では水を叩く音と共に、地面を踏みしめる重苦しい音も響いていた。
『『結構近くなってきたね』』
ガラディーンが真剣な眼差しを向けるライトへと言葉をかける。
(ああ、そうだな。大体五十メートルってところかな?)
シリアルキラーの五倍ほどの大きさ。
こんなものが自然の世界に居られるなどいまだに信じられないが、目の前にある以上信じるしかない。
正直、足が震える。
南副都の頃のように我武者羅な状態じゃないせいか、自分の肩にかかる命が重い。
心臓の早鐘がうるさい。
落ち着こうとするが余計に音が響く。
そんな時だった。
「ライト!!」
「ッ!?ウィン?なんで!下がってろ!」
「わかってる。でも、少しだけ!」
ライトは視線をバハムートへと向け、それをデフェットへと移し、頷いた。
彼女は何も言わずバハムートへと監視の目を向ける。
時間はあまり多くはない。
それはウィンリィ自身もよくわかっている。
この行動が彼にとって枷となるかもしれないが、たった一言伝えたいことがあった。
ガラディーンを握りしめている右手を両手で包むと真剣な目と表情でウィンリィは告げる。
「私は、お前が帰ってくるのを信じてるからな」
心配と期待とが綯い交ぜになった彼女はただライトを見つめていた。
ウィンリィも不安なのだ。
己が提案したことが成功するかどうか、ライトが帰ってくるかどうか。
自分が提案したことだからこそ不安になっている。
自分の考えに巻き込んでいると彼女は攻めている。
誰かを頼るしかない自分の無力さを悔いている。
「ウィン……」
ライトはその手を握り返したかったが、左手はシルバーナーヴを巻きつけ、右手はガラディーンを握っているため、できない。
歯がゆく思ったライトは目を閉じ、自分の額をウィンリィの額に当てた。
「なっ!?お、おまっ……!?」
声音からわかる。
今の彼女は顔を真っ赤にして驚いているのだろう。
そこには恥ずかしさもあるかもしれない。
だが、ライトはそれに構うことなく口を開いた。
「大丈夫。俺はちゃんと帰ってくる。
ここには俺が守りたいものがあるから……俺がこの世界にいる理由があるから––––」
果たしてそれは本当にウィンリィへと向けた言葉なのか、ライト自身にもわからなかった。
しかし、足の震えは無くなった。
心臓は早鐘を打っているがもはや気にする必要はない。
今なら確信を持って言える。
「––––だから、大丈夫」
自然に笑みが溢れた。
こんな時になぜ笑えるのかなどわからない。
ただ、もしこれが最後だとしてもウィンリィの悲しい顔は見たくなかった。
彼女が最後に見る自分の顔を悲しいものにしたくはなかった。
ライトは額を離し、静かに言った。
「行ってくる」
「……ッ!ああ!」
優しげな表情から戦う者へと顔を変えたライトはデフェットに声をかける。
「ごめん。待たせた」
「構わぬ。主人殿、準備はいいな?」
「ああ、頼む」
静かに答えたライトを見てデフェットは槍を上段に構えた。
ググッと腰を貯めて槍の狙いを定める。
ゲイ・ボルグは放てば勝手に飛んでいくが、今はライトを引っ張っていくため、ある程度の高さが必要だ。
しかし、高過ぎれば狙い撃ちされかねない。
可能な限り、低空で、海面に当たらないように––––
(––––ここだ!)
「はあぁぁぁああッ!!!」
気合の声を上げると同時、デフェットはゲイ・ボルグを投擲。それに引かれ、ライトも地面から離れた。
伸びたシルバーナーヴに魔力を流し、指先が触れる程度まで体を寄せる。
『『いいわね!?あんたは身体強化とシルバーナーヴにだけ意識を集中してなさい!
僕たちでガラディーンの維持と切り離すタイミングを教える!』』
(たの、む!!)
海風を切り裂き、駆け抜ける海と空。
本来ならば感激のようなものを得るのだろうが、今のライトにはそんな余裕はない。
シルバーナーヴに魔力を流し、腕に縛り付け、風圧に負けないようにマーシャルエンチャントをかけ続けている。
そのどちらか一つでも怠れば、そこで作戦は失敗する。
その不安を嚙み殺し、ライトは前を向いた。
瞬間、バハムートの大きな口が開かれ、そこに光が集まり出した。
おそらく再びあの強力な一撃を放つつもりなのだろう。
『『このタイミングで!?
回避は無理だ!』』
(関係ない!このまま突っ込む!!)
シルバーナーヴに魔力を通して操作、ゲイ・ボルグから切り離し、バハムートの口の中へと飛び込んだ。
『ま、まさか!あんた!!』
『無茶だ!!』
(たとえ無茶でも––––)
ライトは掲げたガラディーンへシルバーナーヴに向けていた魔力を込め、高く構える。
「––––押し通す!!」
白銀と黒鉄ももはやそれしか手がないと悟り、彼と共にその一撃の名を叫ぶ。
「『『ガラディーン・リヒター!!!』』」
彼らが叫び、放たれたガラディーン・リヒター。
それはバハムートの一撃とぶつかり合い、ガーンズリンドの浜辺を白い光が包み込んだ。




