暗殺者
ガーンズリンドの夜はかなり静かだ。
人が寝静まるように街もまた眠るそんな時間にライトは日課となり始めた散歩をしていた。
特別な理由はない。
夜空をただ眺めたいがじっとしているのでは寒いから歩くようになっただけだ。
街灯もないため周りは薄暗いが、家々から漏れる明かりや月からの優しい光があるため、歩くのに困るようなことはない。
冷たい夜風が街中を駆け抜け、そこにいるライトを通り過ぎる。
瞬間、ぶるっと体を震わせて息を吐いたライトは海岸の方へと視線を向けた。
星空と暗い海がそこにある。
飲み込むような闇ではなく、部屋の隅や狭い場所のようなどこか安心するような闇だ。
「この景色も見慣れたなぁ」
感慨深げに言うライトに白銀の声が響く。
『あんたよくもまぁ寒い中外に出るわね』
『白銀の言う通りだよ。そんなに見て飽きないかい?』
気温と同じように冷たい二人の言葉にライトは苦笑いを浮かべながら答える。
「飽きないよ。微妙に違うんだよ。俺もよくわかんないけど」
『あんたもわかんないのね……』
『夜空が珍しいなんて、変わった世界だね』
「ああ、そうだな。だから……ゆっくりしたかったんだけど」
ライトは後ろを振り向き、建物の影を睨みつけながら声を飛ばす。
「出てこい! もうバレてるぞ」
少しの間、しんと静まり返り緊張が走る。
ゴクリと生唾を飲み、剣をマントから取り出そうと構えた瞬間、何者かがその影から現れた。
フードを目深に被っており、全体的に黒い格好をしているせいで人だということ以外ははっきりとわからない。
それは一直線に、一瞬の迷いなく、ライトへと走る。
マントの隙間からチラッと見えた短剣が持ち主の殺意を表しているかのように短剣が月明かりを弾いた。
姿をすでに晒しているためか、それを隠す気はまったく感じない。
「ッ!!」
左手でマントからソラスを取り出し、向けられた短剣を受け止め、言葉を飛ばす。
「お前! なんなんだ!?」
襲撃者がその問いに答えるわけもなく、ライトを蹴飛ばした。
すぐに空中で体勢を整えて着地。マントからクラウも取り出し、すぐに走り寄りる。
その人物もどうやら逃げるのは無理だと感じたらしく、近くにきたライトを振り払うようかのに短剣を振った。
クラウと短剣がぶつかり合い、キンッと金属同士がぶつかる音が暗い街中に嫌に響く。
ライトは奥歯を噛み締めて、ソラスに魔力を流した。
刃に触れているマナが震え、高い音を発しながら発光を始める。
それを振るい、狙うのはフード。
捕らえることは不可能であったとしても顔を見ることができれば、後に活かせる可能性がある。
しかし、相手もライトの考えを悟り、すぐに身を翻すと距離を取るように後ろへと飛んだ。
「ライトニング・ムーブ!」
絶対にここで逃すわけにはいかない。
反射的に叫び、体に雷をまといながらそれに追いつくとその横腹を思いっきり蹴飛ばした。
「ぐッ!?」
くぐもった声をわずかに漏らしながら飛ばされた襲撃者は空中で一回転。少しふらつきながら着地したが、痛みが現れたらしくすぐに膝をついた。
その隙を逃さず、ライトはクラウに魔力を流して振り下ろす。
普通の剣とは比べ物にならない切れ味に少し舌を巻いた。
その攻撃は再びギリギリのところでかわされたが、フードを切ることには成功した。
ハラリと切れ端が落ちる。
しかし、その下にあったのは“人の顔”ではなかった。
「ッ!?」
『嘘……』
『どうやら相手は本気のようだ』
頭はある。目や口はあるしそれは確実に人間のもの、少なくとも人間に近い種族のものだ。
しかし、そこには顔がなかった。
無理やり顔の皮を剥がしたのかぐちゃぐちゃで鼻も削ったようでのっぺりとしている。
たしかに本気だろう。
なにせ、顔がわからなければ調べようがないからだ。
捕らえたとしてもすぐに拘束しなければ、舌を噛み切ってでもして死ぬだろう。
もはやその襲撃者が何を考えているのかなど表情からは読めない。
何しろその表情を作るものを持たないからだ。
だが、その目には爛々とした物がある。
それは恨みや怒りではなく、焦りだ。
(二人とも心当たりは?)
『ないわね』
『同じく、むしろ君は?』
(さぁね。人間どこで恨まれるかわかんないから)
次にどのような行動に出るか警戒し、腰を落とした瞬間、突然その襲撃者は倒れた。
「なっ!?」
少し警戒しながらゆっくりと近づいたが、ライトが頭元に立った頃には息をしていなかった。
(自殺、だな)
『ああ、おそらく口の中に毒でも仕込んでたんでしょうね』
『口封じとしてはよくあるやつだね』
改めて月明かりで照らされたその頭を見るが、そこにはあるべきはずの顔がない。
これでは男か女か、子供が大人かの予測すらできない。
すでに命も絶っているため話も聞けない。
(ひとまず、騎士団に報せよう)
何をするにしてもとりあえずそうするのが最善だろう。
そうと決まればすぐに行動するに限る。
ライトが騎士の駐屯所の場所を思い出しながら足を踏み出した時、視線を感じた。
その方向へとバッと顔を向けた時にはすでに胸元にまで短剣が突き出されていた。
『まさか!』
『本命はこっちか!』
おそらく先にライトを襲っていた方はただの囮、あれだけで殺すつもりはなかったようだ。
最初の襲撃で倒せたのならよし、ダメでも一瞬、ほんの少し油断したところを突く。
ライトはその作戦に乗せられてしまった。
そんな後悔が頭をよぎるがもう遅い。
(まずい!)
この速度と角度はまずい。
回避はまず無理だろう。
防ぐのは可能かもしれないが、確実に攻撃には当たる。
相手は暗殺じみたことを行い、搦め手も使うような連中だ。刃に毒でも塗ってある可能性が高い。
そんな攻撃に当たるわけにはいかない。
しかし、回避はもう間に合わない。
ならば、防ぐことに全力で思考を回す。
痛みに備えるように、自分の油断を悔いるようにライトは歯を食いしばる。
体に刃が突き刺さるのを覚悟したその直後のことだった。
ヒュンッと夜風を切る音がしたのとほぼ同時に、襲撃者の腕からグチュと生々しい音がした。
「ッッ!!?」
それから襲撃者の声にもならない声が上がる。
風を裂き、その腕に突き刺さったのは矢だった。
それが飛んできた方向へと視線を向けると、弓を構えたミーツェがいた。
どうやら服を着替える手間も惜しんできたらしく、メイド服を着たままで弓を構えている。
「ライト様!」
自分を呼ぶその声に反射的に目前にいる襲撃者を蹴飛ばし、距離を取った瞬間、ミーツェが再び放った矢が襲撃者へと向かう。
次に突き刺さったのは足。
そこに当たった瞬間、バランスを崩しその襲撃者は倒れた。
前例があったライトよりもミーツェが素早く反応し、真っ直ぐに倒れたそれへと走る。
走りながら取り出したハンカチを襲撃者の口に押し込もうとしたが、直前でその動きを止めた。
そして、ライトの方へと向くと申し訳なさそうな顔で首を横に振る。
どうやら先ほどの者と同じように自ら命を絶ったようだ。
『……結局、情報は掴めず仕舞いね』
『ああ、そうだね。周りにはまだ何かいそうかい?』
(いや、もう何も感じない。それに、これ以上やっても騒ぎが大きくなるだけだ)
ミーツェは念のためか耳を動かしながらライトへと言う。
「ライト様。私は騎士を呼んで参ります。
おそらくもう来ることはないでしょうが、警戒を」
「うん。わかってる。あと、ありがとう」
「礼を言うのはまだ早いですよライト様」
ミーツェは言うと軽くお辞儀し、キャッネ族特有の高い身体能力を生かし、走り出した。
ロングスカートだと言うのにあっという間に走り去るミーツェを見ながらライトは夜空を見上げる。
「平和な日常だったのにな……」
それはこれから始まるかもしれないことに対して小さく呟かれた。