残された者たち
雨が降っている。
家の中にいてもザーッという音が断続的に聞こえるほどの音を鳴らし、降っている。
その天気はまるで竹宮奈々華の心情を表しているようだった。
こじんまりとした和室に置かれた仏壇。
それに手を合わせる彼女の前には3ヶ月前に亡くなった神谷光の写真が置かれている。
彼は駅前の広場にいたところをトラックに追突されて死んだ。
ほぼ即死だったらしい。
原因は運転手の心筋梗塞。
それが原因で運転手もまた死亡している。
一時期はテレビを賑わせたその事故からすでに3ヶ月。
それだけの時間が経っても彼女の心の中には光という存在がいまだに生き続けていた。
「ありがとう。奈々華ちゃん」
彼女の後ろから声がする。
サイドポニーを揺らしながら振り向いた先には女性がいた。
長い髪を後ろに一つでまとめ、日本美人と言えるほどの美しい顔立ちをしている彼女が光の母親だ。
「……いえ。私には、これぐらいしかできませんから」
奈々華の自虐的な言葉に対し、光の母親は優しい笑みを浮かべながら首を横に振る。
「それだけで十分なのよ……
私たちは、あの子に何もしてやれなかったから」
どこか遠いところを見ながら呟かれたその言葉。
そこには悲しみよりも後悔の念の方が強いように奈々華は感じた。
◇◇◇
奈々華と光の母が話している間、リビングでは光の父親と奈々華の父親がいた。
光と奈々華は知らなかったが、彼らは高校からの友人で、今でもその仲は続いている。
「あれから3ヶ月、か」
「ああ、そうだな」
実の子が死んだ。というのに実父はとても静かに、冷静に、他人事のように同意した。
視線を窓へと向けて外の雨を眺めながらポツリと呟く。
「だが、どうにも実感がないんだ……」
「ここどころか日本にすらまともにいなかったもんな。お前」
光の両親はフリーの戦場カメラマンである。
母親の方は光のことがあり、一時期共に過ごしていたが、彼は違う。
光が生まれてもこの家どころか日本にまともにいた時間は少なかった。
どうにか電話が通じるところで連絡を取るのがようやくで、まともに顔を合わせた記憶はほとんどない。
現に、彼には息子が死んだ事実も現実味がなく、頭には光が小さかった頃の姿ばかりが浮かんでいた。
「人の死に慣れなければ、この仕事は面倒だ。
だが、まさか息子の死にすらまともに悲しめないとはな……」
友人はそれを静かに聞いていた。
それに甘えるように彼は続けて吐露する。
「俺は、あいつに親らしいことを何かすることができたのか……」
「息子の死に感じたのは悲しみではなく、後悔か……」
「ああ」
その肯定を聞くとその友人はスッと目を細めた。
「……お前、本当に哀れだな」
それは彼の本当に哀れな友人へと向けられた餞のような言葉だった。
◇◇◇
その日の夜。
奈々華は自室のベッドに寝転がっていた。
光が死んでからもう3ヶ月。
クラスのみんなも、先生も、世間もそのことがまるでなかったかのように生活している。
彼の席は今は外され、別の人がいる。
彼がよく行っていたスーパーには他の人がいる。
彼が死んだあの場所は今はその事がなかったかのように笑顔を浮かべる人々がいる。
皆がいつもの日常へと戻っている。
(いやだ……)
もはや記憶の中にしかない声が、顔がだんだんと薄れていく。
忘れたくない。しかし、だんだんと消えていく記憶。
それは神谷光という存在が別の存在にかき消されてしまいそうな感覚だった。
(いやだよ……)
心の中で呟く彼女の手には、自身が渡したプレゼントのウサギのストラップが握りしめられていた。
会いたい。
あの声をもう一度聞きたい。
あの顔をもう一度見たい。
そして、あの手を握りしめたい。
ただ、会いたい。
その気持ちだけが今の彼女の全てだ。
しかし、もう会うことはできない。
彼の死を直接見たがゆえにそれに対し、絶対に嘘を付けない。
浮かぶ死に様が未だ鮮明に残っているせいで、自分に言い聞かせることすらもできない。
信じたくない死を脳が理解させるように見せつけてくる。繰り返し再生される。
「会いたいよぉ……」
涙混じりに呟かれたその言葉、まるでその言葉に応えるかのように彼女はその場から消えた。
◇◇◇
ふと気が付けば、ざわざわと喧騒が聞こえる。
その中には驚き、歓喜が入り混じっている事が奈々華にもわかった。
「……ここ、どこ?」
辺りを見回すと西洋の少し古めかしい服を着た者たちがいた。
全員が全員、物珍しそうな視線を送っている。
困惑を覚え始めるのと同時に妙に肌寒いことに気が付き、視線を下ろす。
「きゃあぁ!!」
肌寒くて当然だ。
確かに部屋着を着ていたはずなのに今は裸だった。
奈々華は慌てて自分の方を抱き、体を縮こませる。
困惑から焦りと羞恥に感情が変わった時だった。
自分を囲んでいた人間の中から騎士甲冑を着ている女性が現れた。
その女性は近付き、しゃがみこむと自分に何か布のような物をかけながら言葉を発する。
「言葉は、わかるか?」
「えっと……はい」
「うむ。ならば良い」
安心させるようにその女性は頭を撫で、笑顔を浮かべた。
それに少し心を許した奈々華は涙目でおずおずと彼女に問う。
「あの……ここは、どこ、ですか?」
「ここはラグナリア大陸、王都セントリアだ」
そうして、奈々華はライトが転生した世界へと転移した。
第二章序節はこの話以外は飛ばしていただいて構いません。