変わらぬもの
あれから二日後の朝の四時。
ガーンズリンドの波止場、まだ日が昇っていない薄暗い水平線をパブロットは眺めていた。
彼は人の気配を察知し、置いていたランプを持ち、振り返りながらそこにいた人物に声をかける。
「やぁ、待ってたよ。ライトくん」
早朝の吐く息が白くなるほどに寒い中でもパブロットは今までと同じような様子だった。
それに対してライトは会釈して応える。
「おはようございます。ワイハントさん」
「まぁ、ここに座ってくれ。道具はこれ」
ランプを置いて言いながら差し出してきたのは特別高そうには見えないなんの変哲も無い釣り竿。
それを受け取りるとパブロットが示す場所に腰を下ろした。
「エサはこの箱にあるのを使ってくれ。後は、わかるかな?」
「あ、何度か使ったことがあるので大丈夫です」
「ならばよし」
満足気に頷くとエサを釣り針に付けて目の前の海へと竿を振るった。
ポチャン、という音ともにエサが付いた釣り針は海中へと沈んでいく。
ライトもそれに習うように竿を海へと振るう。
魚がかかるまで暇だがパブロットのメインはむしろこの暇な時間だったらしく、すぐに声をかけてきた。
「聞きたいことがあったんだが……君は、何か悩んでいるようだね」
「その、はい」
話そうかどうするか迷い、一瞬ためらったが、悩んでいることを話すことにした。
一人で抱え込んでも答えが出ないと思ったからだ。
「私の、仲間についてです」
「ふむ、仲間というと……あの赤髪の女性かい?」
ライトはその問いに頷くと悩んでいることを話し出した。
東副都はウィンリィにとって何かしらの因縁があると思われること。
そこでの出来事を思い出しているのか時々表情が暗くなり、相談に乗ろうにもはぐらかされてしまったこと。
そんな彼女に対して自分はどうすればいいのかわからないこと。
話を聞き終えたパブロットは少しの間を置いてライトへと問いかける。
「君は彼女の秘密を知りたいのかい?」
「それは……そう、かもしれません」
否定しようとしたが全く知りたくないわけではない。
彼女の言葉と表情はその場所に何かあると暗に告げているもの。
無理に聞き出したいわけではない。
だが、何か悩んでいるのは確かなことで、そうであるならば相談して欲しい。というのがライトの想いだ。
「興味本位で首を突っ込むわけではない……か」
「全く興味がないって言うと嘘になります。でも、どこか悲しそうで、その顔を見たくないんです」
ウィンリィは心強い仲間。
この世界に転生してきてから約六ヶ月。短くはない時間をずっと過ごしてきた者だ。
その間、彼女には手を引いてもらったこともあった、支えてもらうこともあった、背中を押してくれることもあった。
そんな者が最近は思い詰めているように表情が暗い。
だが、今のライトはそんな彼女に何も返せない。
ウィンリィには恩があるというのに何もできない。
そのことが悔しい。ただ、歯がゆい。
ライトが吐露するその想いを聞きながらパブロットは釣り竿を上げて魚を釣り上げた
その魚を水が入った木のバケツに放り込むと新たな餌をつけて海へと落とす。
ポチャンと落ちるのと同時にパブロットは諭すように口を開いた。
「秘密、というものは厄介なものでね。
人に話せば楽になるが、親密な者にほど話したくないものだ」
「理由を聞いても、いいですか?」
その投げかけにふっと口の端を釣り上げるパブロットは視線だけをライトへと向けた。
「単純さ、秘密とは自分の隠したい一面だからだよ」
秘密を打ち明けて楽になるのは当然のこと。
なぜなら、本当は見せたくない、隠していた自分をさらけ出した結果、偽る必要がなくなるからだ。
それは自分が過去にしたこと、生まれのこと、何かしらの能力や欠点。
ものは様々で人それぞれだ、が隠すのにはどれもそれ相応の理由がある。
打ち明けてそれが受け入れられれば良いが、自分に対する態度が変わるかもしれないという恐怖がある。
最悪の場合関係を壊すことになってしまうだろう。
もしかしたらそれを知ったことが原因で自分の問題や因縁に巻き込んでしまうかも知れない。
それゆえに今の関係を壊さないようにするために信頼し、頼れる者ほど話せなくなる。
「信用しているからこそ、大切に思っているからこそ話せないんだろうね。彼女は」
「なら、私がしようとしていることは、聞こうとしていることは間違っている、のでしょうか?」
パブロットの言う通りならばライトがしようとしていることはウィンリィの「今の関係を壊したくない。巻き込みたくない」という意に反するものではないのだろうか。
その懸念の元に出されたライトの問い。
しかし、パブロットは首を横に振った。
「君も彼女のことを大切に思っているからこそ、力になりたいという想いがあるのだろう?」
「……はい」
「なら、間違ってなどいないさ。君にだって秘密はあるだろう?」
ライトはそれに答えられなかった。
たしかに秘密はある。
しかも「自分はこの世界の人間ではない」という決して些細なものなどではない大きな秘密だ。
そのことのせいで彼女たちを何か面倒ごとに巻き込むかもしれない。
そんな危惧があるためため、ずっと話せていないでいる。
パブロットは無言の彼に何かを感じたようだが、特別突っ込むことはなく、言葉を続けた。
「そう悩む必要はないさ。君もそれを話してしまえばいい」
さらっと言われたその言葉にライトは一瞬意味がわからずに無言になった。
そして、すぐに彼の言わんとしていることを察し、驚愕の表情を浮かべた。
「それって……まさか、自分の秘密を教えるからお前の秘密を教えろって、ことですか?」
「察しがいいな」
さも当然のように肯定されたライトは返す言葉を失った。
パブロットは商人だ。
旅をしているライトでは思いつかない、口達者な商人らしい案が出ると思っていたが、出た答えはあまりにも直球過ぎるものだった。
「そんな強引な……」
「相手が自分の全てをさらけ出すんだ。自分もそうして当然とは思わないかい?」
「それは……そう、ですけど」
相手が話すのならば自分も話すのは道理だろう。
だが、パブロットの言うことはあまりにも相手のことを顧みておらず、強引過ぎるようにライトは感じた。
「それでもし、受け入れられなくて、関係が壊れたらどうするんですか?」
結局はそこだ。
悩んでいることを話して少しでもいいから楽になってほしいだけなのに、強引に出て関係が壊れてしまえば意味がない。
それではただ、ウィンリィを傷付るだけでしかない。
それではただ、ライト自身の「助けたい」という想いの押し付けでしかない。
「はは、それはな……」
パブロットは視線だけでなく顔をライトへと向けて意味深な笑みを浮かべた。
先程は直球で強引な答えだったが今度はどんな答えが出るのか、とライトは期待の眼差しを向けて生唾を飲む。
「ま、そん時はそん時だ」
「……はぁ!?」
三度目のあっさりとした言葉に反射的にそんな素っ頓狂な声が口から漏れた。
そんなライトにパブロットは笑み漏らし続ける。
「はははっ!
どうしようと相手の秘密に触れるんだ。互いに傷付かないなど無理だよ」
「それは、そうですけど」
尻すぼみしていく言葉を零しながらライトは海面へと視線を変えた。
よく考えなくても相手の秘密に触れるのだ。パブロットの言う通り傷付かない方が難しい。
ライトもその答えが浮かんだ。
だが、それ以外の方法があるかも知れない。そんな希望にすがってパブロットに聞いたが、答えは自身が思い至ったそれとさして変わらなかった。
それが期待外れで、しかも顔に出ていたらしくパブロットは肩をすくめる。
「君はその仲間のことも、君自身のことも少々見くびり過ぎだな」
「そんなことは!」
否定しようと言葉を続けようとしたがパブロットの力強い目がライトを射抜いた。
それを向けられた彼は言葉を止めるしかない。
「あるさ。私に聞いてきたのがその証拠」
ライトはバツが悪そうに顔をそらすと釣り竿を釣り上げる。
そのタイミングは遅れていたらしく、付けていた餌は無くなっていた。
新たに餌をつけて海面へと振るライトへとパブロットは告げる。
「君の仲間だろう?
君が信じなくてどうする。君自身も君が信じてやれ。他の誰よりもな」
ウィンリィとは昨日今日出会った中ではない。
少なくともライトにとってはこの世界で一番長く共にいる存在。この世界で一番信用できる人間であり仲間だ。
「仲間だからこそ多少強引に行くということもできるんじゃないのか?」
「でも、怖いですよ……」
ライトの言葉にパブロットは頷き、小さく笑みを浮かべた。
「だろうな。だがな、せっかくの仲間なんだ。
たまには真正面からぶつかってみる、というのも手だよ。
例え、そのせいで自分のことに巻き込むことになってもね」
「真正面からぶつかる」
「ああ。失敗した時はその時で『失敗した』と笑えばいい」
パブロットの言ったその言葉にライトはハッと気が付いた。
(ああ、そうか……)
失敗することを恐れない。
この世界で生きることを決めた時にそう思った。生きていこうと考えた。
なのに結局は足踏みをし、躊躇っている。
人を殺せるようになったのにそういうところは何一つ変わっていない。
この世界に来て変わったことはある。
だが、変わっていないこともたしかにあるのだ。
変わっていない方がいいのかどうかはわからない。
しかし、自分の全てが変えられるわけではないという事実はライトにとって安心するに十分だった。
「なぁに、そう悲観することでもないさ。
生きていればそういう失敗はある。その時はまた一から始めればいい」
パブロットは言うが、これからもライトは足踏みしてしまうだろう。
自分のために望むものに手を伸ばすことを恐れ続けるだろう。
それは相当なことがない限り変わらないこと。
だが、それは変えなくてもいいことなのかも知れない。
事実を受け入れてもらえるかはわからない。受け入れられるかもわからない。
どちらにせよそれは実際に話して聞いてみなければわからないことだ。
ならばすることは一つ––––
「……帰ったら、話します。仲間と」
「ああ、そうすると良い」
パブロットはライトの決意を感じ取ったのかふっと表情を和らげた。
「にしても、君の奴隷も仲間も良い人に出会えたと思うよ」
「そう、ですかね?」
「ああ、他人のことで必死に悩むことができる者は多くない。それは君の良さだ。大切にすると良い」
「はい」
パブロットの言葉に少し誇らしく思いながらライトは頷いた。