恐怖からの逃避
ライトたちが敵の真意を知ったタイミングで魔術で攻撃していた一人が声を張り上げた。
「まずい!」
「どうした!?」
「敵が洞窟内から出てきました!」
その報せを受け、バウラーが洞窟に意識を向ける。
そこには無数のゴブリンとオークがぞろぞろと出現、ライトたちの方向に向かっているところだった。
「チッ!攻撃部隊戦闘開始!!
支援部隊は下がれ!!予備部隊にもこのことを伝えろ!」
バウラーの指示が飛ぶと同時にそれぞれが行動を始めた。
ライトとウィンリィはバウラーの指示に従い戦闘を始める。
「いいな! 絶対に背後を取られるな!
とにかく正面に敵が来るように動け!」
「分かった!!」
答えるライトの前方から棍棒を高く掲げているゴブリンがいた。
すぐさまブロンズソードを鞘から抜き、飛びかかってきたゴブリンの腹を切り上げる。
それと同時に手に肉を斬り裂く感覚がライトの手から腕に、腕から全身へと伝わる。
切られたゴブリンは赤黒い血を腹から噴出、腹わたをぼとぼとと落としながら倒れた。
(な、ん……)
ライトは生きている動物を自分の手で斬ったのはこれが初めてだった。
切ると言うよりも重いもので叩き折るのに近い感覚だった。
刃が入った瞬間に感じる抵抗、ぐちゅと生々しい水っぽい音が耳に嫌に残る。
森の中では狼を殺してきたがそれは魔術を使っていたため、肉を切り裂く独特の感覚今まで味わうことはなかった。
肉を切る、生を切る感覚を知らなかった彼にとってはそれはあまりにも異質なものだった。
(これが、殺し合い……)
頭の中では男性たちの悲鳴と人間を砕く音が再生される。
下手をすれば先ほどの2人の男と同じようになることを、ゴブリンのようにあっさりと死ぬことを理解できた。
(俺も……ああ、なるのか?)
今度はゴブリンとオークが手に持った斧で攻撃しようとライトに向かう。
「……っ!!?」
ライトはゴブリンを肩から斜めに切り裂き、オークをその勢いのままに下から切り上げた。
それぞれ切られた瞬間に噴水のように赤黒い血と臓物を噴出、草原を汚しながら倒れた。
切り倒したものを見るとわずかな痙攣を繰り返している。
それが先ほどまで“生きていた”という事実を嫌々と表していた。
そんな姿が今まで見てきたものよりもずっとリアルで、そしてずっと近くにあった。
おかげでようやくライトは理解した。
ここはリアルなゲームの世界ではない。現実であるということを。
わかった瞬間、頭の中の何かがプツンと切れた。
「あ、あぁ……」
ライトはブロンズソードの柄を両手でしっかりと握り、眼前に迫る群れを見つめて首を横に振る。
(嫌だ……)
手には肉を斬り裂く感覚が蘇る。
調理用の肉を切る時とは似て異なる感覚。
「はぁはぁはぁ」
呼吸が浅く速くなり、心臓の早鐘を打っている音がうるさいぐらいによく頭に響く。
(嫌だ……)
蘇るのは男性の悲鳴と肉を切り裂き砕くような音とふっと鼻をくすぐる独特な血の臭い。
それらが頭の中に何度もフラッシュバックしていく。
「嫌だ……」
手に汗が滲む。
ブロンズソードを滑り落とさないようにまた力強く柄を握り直す。
(嫌だ……)
死を否定するたびに逆に死を強く意識してしまう。
幾度も再生される2人の男性の最後と血の匂い。
死の感覚。
それを駆り立てるように迫るゴブリンとオークの群れ。
「う、うわぁぁぁぁぁあ!!!」
その叫びはライトの心が限界を迎えたことを如実に表していた。
「ライト!!」
ウィンリィの制止を無視し、ライトは叫びながらゴブリンとオークが集まっている場所に突っ込む。
2体のゴブリンがライトの方を向くと同時にライトはその2つの首をブロンズソードで両断。
首から上が無くなり、血を勢いよく噴き出しながらゴブリンは倒れた。
それに少し遅れてゴブリンの切り飛ばされた頭が地面に転がる。
次の標的となったのは後ろを向いているオークだった。
ライトはオークに接近すると背中からブロンズソードを突き刺す。
突き刺したブロンズソードを荒々しく抜き取るとオークの頭を掴み、他のオークやゴブリンが集まっている場所に放り投げた。
投げ飛ばされたそれはゴブリンとオーク集団の真ん中に落下。
それと同時にエアカッターを放つ。
固まっていたオークとゴブリン。合わせて13体がまとめて風の刃で両断される。
ライトの顔は恐怖で歪んでいた。
「来るな! 来るなぁぁぁああ!!!」
「……ちっ、あの野郎」
「ウィン!!さっさとあの坊主を連れ戻してこい!!
じゃねぇと––––」
バウラーは3体のゴブリンを手にしているハルバードでまとめて切り裂きながら叫ぶ。
「分かってる!!」
ウィンリィはライトの方に向かう。
だが、まるでそれを阻むかのようにゴブリンとオークのそれぞれ3体、計6体が道を塞いた。
「邪魔すんなぁ!!」
ウィンリィは手にしている剣、シルバーズソードを振るう。
ゴブリンの2体は横薙ぎで、もう1体は斬り上げで殺し、オークはそこから斜め振り下ろし斬り裂く。
道が開かれると残ったオーク2体を無視してライトへと走る。
(くそっ、少しは予想してたが……)
走るウィンリィの目の前にはゴブリンやオークの屍を次々と積み上げ笑い声を上げるライトの姿がある。
「ライト!!」
ウィンリィの叫びはライトに届かない。
まだ、届くことはない––––
◇◇◇
「あぁ!! ぁぁぁああ!!!」
ライトは言葉にもならない声を上げながらブロンズソードとエアカッターを駆使しゴブリンとオークの屍を築く。
その数は既に50を軽く超えていた。
ゴブリンやオークはライトの危険度を理解出来ていないのか、次々とライトへ手に持っている武器を振るう。
1体のオークは長い槍を持っていた。
その槍で突き刺そうとそれはライトに突進。
なんのフェイントもないその攻撃をライトはひらりとかわし、オークの両腕に向けエアカッターを放つ。
風の刃に肘から先を斬り裂かれ、その切断部から血が噴出。その赤い血で緑の草原は赤く染められる。
間髪いれずそのオークの首を切り落とした。
「ーート!!」
そんな時、どこからか何かを叫ぶ声が聞こえた。
(なんだ? 誰だ?)
「ーーイト! ライーー!!」
(邪魔だな。殺さないと……じゃないと俺はーー)
2人の男性の悲鳴。
迫り来る無数のゴブリンとオークの群れ。
肉を斬り裂く感覚と噴出する血。
生臭い死の匂い。
戦場で感じたもの全てが死を象徴し、ライトに襲いかかり、さらに追い詰める。
「あっ、あぁぁぁぁぁぁああっ!!」
ライトは声がした方に向けてブロンズソードを我武者羅に振るった。
「ちっ」
声の主は舌打ちを1つして手にしている剣で斬撃を受け止める。
その声の主は今も何か言っているがライトには理解できない。
理解はできないがその声は酷く耳障りだった。
顔もモザイクがかかっているように見える。
そのため声の主が誰なのか、そもそも男なのか女なのかさえも全くわからない。
とにかく目の前のものを殺す。
そんな感情にライトは支配されていた。
(殺さなきゃ、殺さなきゃ。俺は––––)
ライトは後ろに飛び退くと今度は刺突で攻撃する。
声の主は剣でライトの刺突を剣の腹で受け流しながら右半身を引く。
刺突の勢いが残っているため、ライトはそのまま通り過ぎ、地面に倒れこむ。
そう声の主は思っていた。
「ッ!?」
息を飲んだのは紛れもなく声の主。
ライトは剣と足を地面に突き刺し、倒れないように無理やり動きを止めていたのだ。
そこからブロンズソードで下から切り上げるのと一緒に土の塊が宙を舞う。
声の主は歯を強く食いしばると持っている剣でブロンズソードの中ほどを狙い、上から叩きつけた。
不安定な姿勢と持ち方で無理矢理剣を振っていたため、その衝撃だけでライトの手からあっさりとブロンズソードが落ちる。
(あっ、俺の武器が––––)
ライトの目にはもはや声の主は写っていない。
ただ、地面に落ちる己の剣を見つめるだけだ。
(これがないと……。これがないと俺は––––)
再び再生される。
音、景色、匂い、感触、味。
死を纏う五感が一斉に再生される。
「あ、あぁ。あぁぁぁぁぁぁあっ!!!」
ライトが声の主からさらにゴブリンたちがいる場所に行こうとした瞬間、手首を誰かに掴まれた。
おそらく先ほどまで戦っていた声の主だろう。
男と比べて少し小さい手だった。
だが、それでも力強くライトの手首を掴んでいた。ライトはその手から腕、肩、顔へと視線を向ける。
ライトの手首を掴んだ者は––––
「へへっ、やっと捕まえたぜ。ライト」
その声を、言葉をようやく理解し、その者の名前を呼ぼうとした。
それとほぼ同時「すまん」と言う声が聞こえるとともに腹に強い衝撃を受けた。
(お、俺は、なにをーー)
意識が途切れる前に見たの短い赤い髪だった。
◇◇◇
「バウラー!!」
ウィンリィは気絶したライトを肩に担ぎながらバウラーの方に向かう。
「戻ったか。坊主はどうした?」
「壊れかけてたからちょっと眠らせた」
バウラーの顔に少し影が落ちたがすぐにそれを消す。
「……そうか。よし! 全員撤退!!
キャンプ地まで下がるぞ!!追撃してくる奴に油断するなよ!!」
バウラーがハルバートでゴブリンを肩から斜めに斬り裂くとキャンプ地がある方向に向かい走り出した。
他の者もそれに続きキャンプ地に向かい始める。
「…なぁ、バウラー」
「ああ、分かっている」
(あいつらはなぜ追ってこない?
この動き、まるで誰かに指揮されているような……。
いや、今は撤退する方を優先するべきだ)
バウラーは思考を無理やり断ち切りキャンプ地に向かう。
一方、その隣にいるウィンリィは肩に担いでいるライトを見る。
(……まだ“生きてる”よな?ライト)
ライトは意識が無いために何も言わない。ただ力無く担がれているだけだ。
(大丈夫だ。大丈夫。こいつはまだ戻れる。
名前にも反応したし最後の方は意識を取り戻しかけていた。だからーー)
「大丈夫……」
ウィンリィはそう自分に言い聞かせるがその不安が消えることは無かった。




