好敵手現る
アイルトンは同じパドック内で大人達による陰謀が企てられているとは露知らず、かほりと漫才を繰り広げていた。
「……オブリガード……素晴らしかったよ、かほり。父さんと同じマシンに乗れたんだ」
「だから! なんであたしに抱きつくのよ! は・な・れ・な・さ・い・よ」
かほりは赤い顔でアイルトンの抱擁から抜け出そうともがいていた。
「やあ、まだ元気いっぱいだな、坊主」
そこに、アイルトンの背後から小栗が声を掛けた。
かほりはアイルトンが小栗に気を取られた隙に、ようやく彼の抱擁から抜け出した。
「ああ、小栗さん。ありがとう御座います。今日は父さんに少し近づけたような気がします」
アイルトンは無邪気な笑顔を浮かべてそう言った。
「お疲れさん、と言いたいところだけど、まだF/Eのテストが残ってる事を忘れないでくれよ」
そう言って小栗はニコニコと笑った。
「おーい、石原、入ってこいよ」
小栗は背後を振り返って誰かを呼んだ。
すると、パドックの入り口から白いレーシングスーツを着た青年が入ってきた。
「こいつは君と同じテスト生の石原。今日、いっしょにテストを受けてもらう」
小栗はそう言うと石原の背を叩いてアイルトンの前に押し出した。
アイルトンはニコニコしながら握手の為に右手を差し出したが、石原はプイッとそっぽを向いて手を差し出さなかった。
「俺達はライバルなんだ。F/Eのシートを争って走るんだぜ? 俺は馴れ合いは好かん」
石原はアイルトンを横目で見下ろしながら言った。多少アイルトンよりも背が高い。
かほりは石原の不遜な態度にカチンと来ていた。『日本人にしてはイケメンの部類だけど、陰湿な奴! 絶対アイルトン君のほうが格好いいんだから!』と心の中で言いながら、アイルトンに石原が喋った内容を通訳する。
本人はアイルトン贔屓になっている事に全く気付いていない。
「わかってるさ、かほり。彼はライバルっていったろ? 僕も全く同感だ。ファースト・シートは僕が貰うよ。そう伝えてくれ」
アイルトンは口をへの字にして頷きながら言った。
かほりはアイルトンの言葉をあかんべーをしながら石原に伝える。すると、石原が鼻で笑いながらアイルトンを正面から睨んだ。アイルトンもにらみ返す。
「おいおい、二人ともそれじゃチンピラだろ? F1パイロットってものはもっとクールにしてなくちゃ駄目なんだぜ?」
背後から小栗が可笑しそうに言った。
小栗の一言で二人の睨み合いは終わった。
アイルトンはニヤッと笑って肩を竦めた。その姿は、在りし日のセナに生き写しだった。
「それじゃあ、二人とも隣のパドックに行こうか? マシンの説明をするからね」
そう言って歩き出す小栗の後ろを石原、アイルトン、かほりが付いて行った。
◇ ◇ ◇
「F/Eのマシーンは、今のところこのスパーク・ルノーSRT―01Eのワンメイクレースなんだ」
小栗は並べられたメタリック・ブルーのF/Eマシンを前にして言った。
「パワートレインとギアボックスも今はマクラーレンとヒューランドしかないから、実質僕らが出来る事は、カウルやウィングの自作とサスペンション位しかできないんだ」
小栗は困った顔で、頭をポリポリた掻きながら言った。
石原とアイルトンは小栗の話を神妙な顔で聞いている。
「アイルトンはF3の経験はあるんだよね?」
小栗はアイルトンに尋ねた。
「うん、2013年のヨーロッパ選手権を取りました」
アイルトンはサラッと言った。隣に居た石原は少しギョッとした顔でアイルトンを見詰める。
「え? 年齢が足りないだろう!?」
石原が怪訝な表情で言う。
「ああ、石原は知らないのか。世界カート選手権の優勝者は、年齢が規定に満たなくともヨーロパ・F3のスカラーシップでF3に参戦できるんだよ」
小栗はアイルトンの話をフォローする。
「まじかよ、羨ましすぎるぜ……」
石原は穿き捨てる様に言った。
「石原は去年のFJで総合2位だったか?」
小栗は石原に聞く。
「ええ、フル参戦させてもらえなかったんで、2位でした」
石原は悔しそうに言った。
「このF/Eマシンは市街地コースを使用するから最高速が225kmに押さえられているんだ。動力性能はF3マシン程度かな、アイルトンなら感覚的にすぐ慣れてくれそうだね。石原はFJよりもちょっとパワフルだと思っていた方がいい。」
小栗は二人にマシンの運転感覚の説明をした。
「だけどねぇ、時速0→100kmが3秒なんだけど……ガソリンエンジンとは相当違う感じとだけ言っておこうか」
小栗はちょっと困った顔で付け加えた。
「特に石原、森脇さんの処で開発している『あれ』と比較しない様にね?」
小栗は石原に眉を顰めながら言った。
かほりは『あら? 父の会社の車?』と思い、怪訝な表情になる。
「え? それって『幻雷』の事ですか?」
石原がポカンとした表情で聞いた。
「セニョール、イシカワ『幻雷』って何?」
アイルトンが首を傾げながら言う。
「『幻雷』ってのは、森脇レーシングが開発しているF1マシンだよ。つーか、俺は『イシハラ』だ!」
石原は目くじらを立てて言った。
「おお、それじゃイシカワは、そのマシンに乗った事があるの? いいなぁ、羨ましい」
アイルトンはきらきらした目で言った。彼は再び石原を間違った名前で呼ぶ。
「え!? お父さん、内緒でそんなもの開発していたの?」
かほりも驚いたように言った。
「ああ、凄いんだぜ? やっぱりガソリン・エンジンは迫力が違う。俺はテスト・ドライバーをすることになって、2回位乗せてもらったんだ」
石原はニヤッと笑って答えた。
それを聞いていた小栗が堪えきれなくなって、腹を抱えて大いに笑い始めた。石原・アイルトン・かほりは、ビックリした顔でそれを見ていた。
「ヒィヒィ……これは傑作だ。クックッ……石原っ、お前気付いてなかったのか? あれはF/Eマシンだよ。ウチが森脇さんの処で秘密に開発してもらっているんだ。まあ、F/Eマシンだとばれない様にサウンド・エフェクターでエンジンの音をワザと出しているんだけどね」
小栗は笑い顔で石原を指差して言った。
「……マジカヨ……」
石原は唖然としていた。
アイルトンとかほりは訳が分らない顔で小栗と石原を代わる代わる見ている。
「ま! いいか! 取り敢えずこの現行F/Eマシンを乗ってもらうかな? 詳しい話はその後で」
小栗は秘密めかしたウィンクをすると含み笑いを顔に留めたまま皆に言う。その顔はまるでブラック・ミッキーの様だった。
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