思いがけない車
投稿始めたばかりなのに、7人もの人が読んでくれました。
これはサービスです(他の人には内緒です)
3
僕はかほりと森脇さんと一緒に、富士スピード・ウェイに来ていた。秋晴れの空は青く綺麗で、その上初めて見る「フジヤマ」は信じられないくらい美しかった。
父さんもこの景色を見たんだなっと思ったらちょっとブルーになっちゃったよ。
僕らは富士スピード・ウェイのパドック裏に車を止めると、そこにはオグリ・レーシングのでっかいトレーラーが止まっていた。
そして、目の前にはミッキー〇ウスの様な背の高い痩せた小父さんが立っている。
「初めまして、僕は小栗正孝。オグリ・レーシングのチーム監督をしている」
彼がニコッと笑った顔はとってもチャーミングだ。
「宜しくお願いします。アイルトン・ティーツィです」
僕はそわそわしながら彼と握手をしたよ。
「僕は君のお父さんと同じ時期にF1パイロットだったんだよ。勿論彼にはまったく敵わなかったんだけどね」
隣のかほりが即時通訳をしてくれる。
そうかあ、あの歳で自分のことを『僕』っていう変な小父さんだけど、F1パイロットだと知ってちょっと尊敬しちゃうな。
「それじゃあ、小栗さん。早速アイルトンに乗ってもらいましょうか?」
森脇さんはニヤッと笑って小栗さんに話しかけた。
「う~ん、そうだね。乗ってみないと分んないしね」
そう言って小栗さんは僕に笑いかけたよ。
日本語あんまり分んないけど、彼の笑顔の意味は分るさ。僕が散々ヨーロッパのチームで見てきたものだからね。
何事も言葉で説明するより、『やってみせろ』って言う事さ。
「君はF1マシンはドライブしたことあるかい?」
小栗さんはそう聞いてきた。
「ありません」
僕は正直に答えた。有るわけ無いじゃないか、母さんの所為でF1のコンペティティションに参加できなかったんだから。
小栗さんはそんな僕のふくれっつらを見て、可笑しそうに微笑んだよ。
「今日は特別に、オンダ技研さんのご好意でマシンを用意してあるから、それに乗ってもらうよ?」
はて? 今日はF・Eマシンの試乗だけのはずなのに、他の車も乗るのかな? さっきから何か異様な緊張感がパドックを覆っていたのはこの事なのかな? 僕がそう思っていると、トランスポーターの影から頭をぼさぼさにしたもう一人の小父さんが出てきた。パドック・ジャンパーに『ONDA』って書いてあるからオンダ技研の関係者の人だと思う。目が鋭くて難しそうな顔をしているよ。
「よろしく、セナくん……いや、ティーツィ君か……失礼、私はオンダ技研の桜田というものだ」
彼の差し出した手はゴツゴツしてたけど、何故か凄く暖かく感じた。
「アイルトン・ティーツィです。宜しくお願いします」
僕がそう答えると、桜田さんは驚いた顔をして森脇さんと小栗さんの方を見たんだ。
「小栗……これは……」
「桜田さん、そっくりでしょう? なんか笑っちゃいますよね」
小栗さんはニヤニヤしながら得意げに桜田さんに答えていたよ。
オンダ技研は僕だって知ってるさ。お父さんが世界チャンプを取った時のエンジン・コンストラクターだ。だけどもう20年も前の話じゃないか? 何故こんなとこにオンダ技研の人がいるんだ?
「不思議そうな顔をしているね? 実はちょっと面白い事を考えていてね。君には今回、かつてセナが乗っていたのとまったく同じF1マシンに乗ってもらうことにしたんだ」
小栗さんがそう言った。
僕はかほりの通訳を聞いて、時間差でぶったまげたよ。父さんが乗ってたマシンなんだぜ? 20年も経っているクラシックカーだけど、憧れの父さんが乗ったマシンに僕も乗ってみたいと本気で思ったんだ。
僕はその時軽い気持ちで「ラッキー」とかって思っていたんだけど、ご免、僕はF1ってものも父さんの実力も甘く見てたんだ。
4
「……このマシンはマクラーレンMP4/4、1.5リッターV型12気筒ターボエンジンだ。馬力はベンチで700馬力は出ている。ミッションはクロスの6速マニュアル、1989年に富士でテスト走行をした時のギア比を採用しているが、その後の富士スピード・ウェイの改修には対応していない。エンジンのパワーバンドは18000回転から21000回転まで使える。この富士のストレートエンドでの最高速は約350キロ、追い風3メートルで366キロまで伸びるが、スピードメーターは付いてない……」
かほりは桜田の言っている言葉を苦労しながらポルトガル語に翻訳してアイルトンに伝えていた。
アイルトンはF2の時に使っていた青いレーシングスーツに身を包み、ヘッドセットから聞こえるかほりの言葉に頷いている。
アイルトンの真剣な表情を覗き込むかほりの頬は心持朱に染まっていた。
胸の中央に立ち上がったライオンのロゴマーク(アジップ石油)の付いたレーシングスーツを着る凛々しいアイルトンの姿に見惚れているのだ。
「ピットを出たら、最終コーナーまでにタイヤ表面を120度まで暖めるんだ。ブレーキのキャリパーも300度前後まで暖めて置いてくれ、この富士のストレートエンドではそれでも150度前後まで温度がドロップするだろう」
ファウゥン、ファオゥン、ファオン、ファオン……マシンをセットアップするメカニックの人がアクセルレバーを操作する度に、甲高いエンジン音がピットの中に木魂し、その轟音でヘッドセットを通してしか会話は成立しない。
生で聞くV型12気筒DOHC・ツインターボエンジンの音は、今日が今世紀最後の機会になるかもしれない。
アイルトンはマシンの傍らに立ち、過去からタイムスリップしてきたモンスター・マシンをキラキラした瞳で見詰めていた。
『これから決闘に出かける中世の騎士みたいだわ……』
かほりはさして自分より背の高くない少年を見てそう思った。
「燃料は8周分積んだ。タイム計測は2週目から計るから、1周目の最終コーナーから全力で立ち上がってくれ」
桜田はそう言うと、アイルトンに無線システムの付いた最新のヘルメットを手渡した。その中にはフェイスマスクと手袋が入っている。
彼は素早くそれらを身に着けると、メカニックに介助されてコックピットに潜り込んだ。彼の身体は、5点式のシートベルトで文字どうり縛り上げられてゆく。
桜田とかほりは、パイロット・シートに貼り付けになったアイルトンの左右に屈み込んだ。
「クラッチの踏み代は16ミリ、ブレーキは20ミリだ。君の身体に合わせている筈だが、大丈夫か?」
「問題ありません」
アイルトンはそう言って親指を立てた。
「それじゃ、思い切り走って来い」
桜田はそう言ってアイルトンのヘルメットを叩くとマシンから素早く離れた。かほりも慌ててマシンから離れる。
12気筒のエンジンが甲高いサウンドを奏で、ゴンッと鈍い音と共にクラッチが繋がるとマシンがパドックから滑り出た。
生暖かいアドバイス募集中です