前日譚:扉を開いて~片桐と糟屋~
腐れ縁。
僕と糟屋健の関係を一言で表すならば、その言葉に尽きる。
名前順に並べられた名簿番号。どんなにクラスが変わっても、僕の名前の上にはその名前があった。彼はニヤニヤしながら、決まって口にするのだ。
「……俺の背中はお前に任せたぜ?」
と。
「うるさいよ」
そうツッコむのもこれで3回目だ。つまり、高校生活の1年目もコイツと一緒のクラスになってしまったのだ。
まだクラスにも馴染めていない四月。入学式から数日経ったある日の話。
風の強い、春の日の話だ。
中学時代、僕こと片桐優馬は「粗探しマシーン」と呼ばれていた。教師の書き間違えなんかを徹底的に指摘したからだ。皮肉じみたモノが入ったそのあだ名を、実は少し気に入っていた。
間違いを正す。正義の味方のようじゃないか。
しかし、彼は言う。呆れたように、嬉しそうに。
「ソコはお前の良いトコでもあるけれど、同時に悪いトコでもあるんだって」
全くよー、とアイツはいつもそう言って笑うのだ。
逆に、僕はアイツの……糟屋健の何を知っているのだろうか?
いつも笑って、バカやって……そんな姿しか見ていない。
いや、アイツは僕にそんな姿しか見せないのだ。自分のことは全くと言って良いほど語らない。だが、僕には何となくわかる。
何かを抱えているのだ、と。
放課後の教室。僕と糟屋は駄弁っていた。内容はどうでもいいことばかり。高校生になったら、何かが変わるんじゃないか……なんて期待を抱いていたが、入学式から数日で中学の時のと同じように駄弁るようになってしまった。
僕は、何も変わっていない。そのことが嬉しくもあり……悲しくもあった。
『運命は、扉を叩いてやって来るものだ』
かの有名な曲に対して、作曲者のベートーベンはこう答えたという。
僕はこれに対して疑問を感じていた。運命はそんな親切なものじゃない。中学時代、僕があの日胸に感じた痛みは、突然やって来た。ノックをされる間も無く。一瞬で。
だから、僕はこう思うのだ。
『運命は、突然扉を開く』
『ピン、ポン、パン、ポーン!暫定生徒会七番会長、木下でーす!えーっと、迷子のお知らせを申し上げま~す!』
僕の持論を裏付けるかのように、その校内放送は唐突に流れた。
『生徒の中で……誰かの役に立ちたい、自分を変えたい、退屈したくない、みたいな悩みを抱えている方がおりましたら……暫定生徒会七番まで来てくださ~い!』
温かな声だった。声に形も色も、まして温度なんてあるはずがない。けれども、その時に僕は確かに温かいと感じた。
自分を変えたい。
『ピーン、ポーン、パーン、ポン!』
音が消えた後も、僕と糟屋はスピーカーを眺めていた。チラリ、と糟屋を見る。彼の表情は真面目だった。いつもなら茶化すようなネタだったのに。
おそらく……これは本当に僕の推測だが、糟屋は入りたいんじゃないか?
そして、そのことは糟屋から言い出せない。何故ならキャラじゃないからだ。何だかわからないが、アイツは学校ではおちゃらけたキャラを作っている……そんな気がする。根拠は僕の中学三年間の経験だ。
そして、何より僕も入りたい。糟屋を理由にするだけじゃない。僕だって、変わりたい。
「糟屋。……アレ、やらないか?」
スピーカーを指差し、尋ねる。それだけで伝わった。
「……おう!」
糟屋の返事はいつものようにシンプルだった。そして、いつものようにニッと笑う。
「……ありがとな」
いつもは言わない本気の感謝。……これには、聞こえなかったフリをしておこう。
古くさい青春ドラマのように、僕らは駆け出した。慣れない校内をウロウロしながら、見つけた教室。そこにあるのは「No.07」と書かれた扉だ。
後から合流してきた二人の女子と共に、誰が開けるかを相談した。……というか、相談したかった、のだが。
何故か、皆が僕の後ろに陣取り、ぐいぐいと押してくる。
「……ちょっ? 何で僕が先頭なんだよ! 押すなって!」
「良いじゃん、良いじゃ~ん! ほら行ってこいって~」
「頑張ってください!」
「……ファイト」
「えっと、あの……君たち二人は初対面だよね? 何でナチュラルに僕を押してんの?」
はぁ……。いつも僕ってこんな役だなぁ。
ノックをしようとして、ふと思う。
運命は、突然やって来る。ならば、僕は……。
上げていた拳を下げ、ドアノブを掴む。それを見てニッと笑い、糟屋が叫んだ。
「よし! せーの、で入ろうぜ?」
「「せーの!」」
力を込め、ドアノブを回す。僕の高校生活は、ここから始まるんだ。
「って何で僕だけ!?」
……やられた。
こうして、僕は扉を開く。




