手を引かれて
悲しくなかった、と言えば嘘になる。だが正直な所、期待はしていなかったため、それを見たときは思わずこう言った。
「……あぁ、だろうな」
暦の上では春だが、まだ寒い三月。俺は第一志望の高校に落ちた。四月から通うのはいわゆる滑り止め。
「天正高校、か……」
俺、石田政志は高校生活に何も魅力を感じずにいた。
「えー、新入生のみなさん、入学おめでとう。さて……」
入学式、である。周りを見渡すと、高揚や緊張、期待や不安を顔に出している。高校生と言う肩書きは、一種のステイタスのようなものだ。小説でも漫画でも、高校生が主人公というのはかなり多い。
しかし、正直言って、興味が欠片も無い。
そもそも、俺はここの高校のことを何も知らない。パンフレットは取り寄せていないし、ネットで検索することすらしなかった。
「……眠い」
だらだらとした話に飽き、目を閉じる。
高校では何もしない。俺が欲しいのは学歴だけ。
……俺はもう目立ちたくない。
「それでは入学式に続きまして、生徒会から……」
耳だけを働かせていると、そんな言葉が聞こえてきた。「生徒会」か……。どうせ当たり障りの無い挨拶と注意で終わるだろう。
俺はもう一度意識を沈めた。
歓声が聞こえ、違和を覚えた。
……歓声? 今は生徒会からの連絡じゃなかったか?
疑問に思い、目を開けようとして……やめた。どうせたいした話題じゃないはずだ。
教頭が式の終わりを告げるまで、結局俺は目を開けなかった。
入学式後、初のホームルームが始まった。自己紹介も終わり、係決めへ。
こういうのって大抵なかなか決まんないんだよな……。まぁ、余ったトコで良いや……。
担任が仕切り出す。
「じゃあ、まずは……クラス長やりたい人?」
「「はい!」」
……あれ?
「じゃあ、次は……」
「「はい!」」
次々と挙がる手。積極的? ……いや、そんなモンじゃない。何か脅迫観念じみた感じだぞ、コレは?
「はい、じゃあこれで係決めは終わりだ。皆、よろしく頼む」
……何だこの状況? 係・委員会に決まった者は喜び、枠には入れなかった数人はうつむく。
この違和感の正体、それはその日の放課後に明らかとなった。
「失礼しまーす!勧誘に来ました!」
教室内に響く、先輩らしき生徒の声。その声に、ある者は怯え、ある者は目をそらし、またある者は逃げようとした。
「君、生徒会に入らない?」
「すみません……僕、図書委員なんで……」
「あ!私、保険係です!」
「俺は……」
次々と弁解を始めるクラスメイト。なるほど。コレが嫌で積極的だったのか。苛立つ先輩たち。そして……。
「じゃあさ、逆に誰が無職なわけ?」
まずい! 本能的に俺は駆ける。こんなガラの悪い連中と生徒会?
冗談じゃない!
扉へ向かう。後ろからは大量の勧誘者。焦る身体を余所に、思考は別の方を向いている。
「アレが全員、生徒会の勧誘だって言うのか?」
どう考えても多い。
「「待てや、ごらぁ!」」
走り出してから気づいたことだが、今日は入学初日の放課後であり、俺は新入生である。さらに言えば、下調べが無い。つまり、ここに来たことも、見取り図を見たことすらない。
……どこに逃げればいいんだ?
「くそ……」
足が重い。運動なんて体育以外ではやらない俺と、屈強な先輩。体力の差は歴然だ。もうすぐ追いつかれるだろう。恐らく、あと数センチ……。
「……こっちよ」
ふと、手を引かれる。その手は先程掴まれそうになったゴツゴツした手とは対照的に、柔らかく、白い。
顔を上げるとそこに見えるのは黒く長い髪。ふと、シャンプーのCMを思い出した。
女子生徒は巧みなドリフトとショートカットで先輩たちを撒く。そして、ネームプレートの無い教室へと駆け込んだ。
そこは、埃っぽい空き教室ではなかった。長い机が中央に一つ。暗くて見えづらいが、奥の方には少し立派そうなデスクが置かれている。
はぁ、はぁ、と息を整える音が聞こえる。やがて落ち着いたのか、こちらに振り向いた。
「って、お前は確か……大谷だっけ?」
「……えぇ。そう言うあなたは、石田君よね?」
顔をはっきりと見て、気がついた。こいつは同じクラスにいた女子生徒、大谷千鶴。自己紹介がちょっと印象的だったので覚えていた。
平然とした顔で「……特に言うことはありません。よろしくお願いします。」と言ってのけるなんて普通じゃないだろ。
「暫定生徒会長。連れてきました」
大谷がパチッと電気のスイッチを入れると、奥にあるデスクの所に男子生徒が浮かび上がる。
「おう、大谷。りょーかい」
そう返事をした男子生徒は軽いノリで近づいてくる。組章の色が違うということは先輩か……?
「……えっと、大谷? この状況は……?」
俺の疑問に、大谷は腕に腕章を付けながら、淡々と答える。
「ようこそ。暫定生徒会、No.7へ」