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人に祈りを捧げた神子  作者: 霧島まるは


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7/10

汚れた力

「私は、これからただの騎士になります」


 瘴気の接続地点を前に、聖騎士ロウンが小さな声で呟く。


 既に暗い穴に足をかけている二人の人間ではなく、後ろにいるミルワナに言っているように聞こえた。


「分かっています」


 ロウンは、彼女のように神を身体の中に入れることが出来ない。


 神子と違って、器が小さすぎるのだ。


 必要な力を世界から受け取り、そのつど助けとなる契約神を呼ぶことは、聖騎士にも出来る。


 しかし、この先は、本当に新たな神力を得ることは出来ない。


 彼は、魔界では癒しの力も使えなくなるのだ。


 剣と盾を使い、物理的に戦うしか出来ないのだと、ミルワナにきちんと自覚させようとしたのだろう。


「本当に……分かっていますか?」


 困った視線が、肩越しに投げられた。


 彼には、これまで本当に迷惑をかけた。


 ロウンの助言に従わなかったことも多く、彼に余計な手間をかけさせまくった。


 だからこそ、こんな風に念を押されるのだ。


「分かっています……自重します」


 限りある力を、決して無駄に使わない。


 それがいま、ミルワナに求められていることであり、魔法使いハーニスの戦いを止めた理由でもあった。


「はぁ……やっぱり分かってませんね。まあ、いいです」


 聖騎士は肩を竦めて、前の二人が消える背中へと視線を戻した。


「行きましょう」


 ミルワナの方を向かないまま、彼が後ろへと手を差し出す。


「はい」


 彼女は、ためらうことなく、その手をしっかりと取った。


 そして彼らは──魔界に呑み込まれたのだ。



 ※



 そこからは、時間との勝負だった。


 ミルワナの力が尽きてしまう前に、魔王の元にたどり着かなければならなかったからだ。


 勿論、やり直しは出来る。


 いざとなれば、ミルワナが帰り道をこじ開けて、魔界から緊急脱出することは可能だった。


 しかし、そんなことなど誰も考えていない。


 ここで全てを片付けて、晴れて人の世界に帰るつもりなのだ。


 その証拠に、あのハーニスが暴走しないでいた。


 前よりもまた少し白くなった気のする手をぎゅっと握って、戦いをこらえてくれたのだ。


 ミルワナの恥ずかしい大声が、少しは役に立ったかと思っていた。


 だが、そうではなかった。


 そうではなかったのだ。


 ミルワナがそれを知ったのは、ついにたどりついた魔王との戦いの真っ最中だった。


 ここからは、ミルワナは見ているしか出来なかったし、そんな彼女を、聖騎士ロウンもまた守り続けていた。


 魔王を倒すほどの力があるのは、神の加護のない者。


 いま、その二人がおぞましい闇の塊と戦っている。


 戦いは、とても長かった。


 二人とも、疲れを知らない鬼神のごとく戦い続けていた。


 いつもであれば、とっくにハーニスの魔力は切れているはずなのに、彼女は何の苦痛を訴える様子もなく、頭がおかしくなったように執拗に魔法を撃ち続けている。


 その度に、少しずつ煤けていくのが分かった。


 ほんの少しだけ、白くなっていたはずの肌も髪も目も、再び深い闇の彼方へと引きずられているのが、明らかだったのだ。


「……!」


 ミルワナは、悲鳴をこらえた。


 分かってしまったのだ。


 彼女もまた、ミルワナと同じだったのである。


 ミルワナが、神のいるところで自然に力が供給されていたように、彼女もまた魔界にいるだけで、勝手に身体の中に魔力が供給されていたのだ。


 だから、これほど魔法を撃ち続けても、彼女の魔力は枯渇しないのである。


 減った器の中に、次々とこの地の汚れた力が流れ込んでいく。その度に、彼女はどんどん暗い闇に突き落とされる。


 これまで気づかなかったのは、ハーニスが魔界で魔法を使うのを自重していたから。


 美しい中性の力でいっぱいに埋められていた彼女の器には、さすがの魔の力も流れ込むことが出来なかったのだろう。


 ハーニスは、自分に再び汚れた力が流れ込むのが──嫌だったのだ。


 嫌だったのに。


「やめて、もう撃たないで、撃たないで」


 気がついたら、ミルワナは前にいたロウンの腕にしがみついて、そう呟き続けていた。


 戦士リューイ一人いれば、おそらく勝てる戦いだ。


 彼はまだ疲れてもおらず、着実に闇に苦痛を与え続けているのだから。


 そこにハーニスが入ることにより、苦痛の量は倍増し、より早く戦いは終わるのかもしれない。


 しかし、その前に、彼女の全てが真っ黒に塗りつぶされ、壊れてしまうのではないかと思った。


「大丈夫ですよ、神子ミルワナ」


 大きな盾を構えたまま、前から視線をわずかもぶらすことなく、聖騎士ロウンは轟音の響き渡る世界に、静かな声を一筋通した。


「魔法使いハーニスは、必ず戦士リューイが連れ帰りますから」


 それが、たとえどんな状態の彼女であろうとも。


 ここでもまた、ミルワナは戦士リューイに祈りを捧げなければならない、


 神ではなく、苦痛の人生を送ってきただろう、かの男に。


 魔王の闇の霧が、少しずつ晴れると共に、その中からいくつもの黒い腕が伸びてくる。


 その一本一本は、全て違う大きさや形をしていて、人に似たものもあれば、獣に似たものもあった。


 それらの腕を、二人は剣と魔法で引きちぎり続ける。


 何千、何万もの腕が落ちても落ちても、次の腕が現れる。


 このまま永遠に、終わらないのではないかと、ミルワナは震えながら、いまにも闇に溶けてなくなってしまいそうなハーニスを見つめていた。


 そんな時。


 戦士リューイは、ハーニスの元へと飛んだ。


 彼女という黒い闇の中に、リューイが飛び込んだように見えたのは、錯覚だったのか。


 ひとつの塊となった二人が、頭から魔王の闇の中へと飛び込んだのを見て、ミルワナは驚きの悲鳴をあげる。


 完全に、彼らは魔王に飲み込まれた──かのように見えた。


 次の刹那。


 闇は、内側から引きちぎられる。


 リューイの剣の切っ先が、外へと飛び出してきたのだ。


 人が、魔王の身体に入るなんて、普通ならば絶対に無理である。しかし、魔に限りなく近づいたハーニスならば、入れたのだ。


 彼女を隠れ蓑に、リューイは魔王の内側から破壊したのである。


 ミルワナには、決して思いつけない危険な行動だった。


 闇が、ばたばたと力を失って落ちていくのを、彼女はロウンの陰から見つめていた。


 その中から、出てこなければならないものがあるからだ。


 どろどろの黒いものを振り払いながら、戦士リューイが顔を出す。


 その手には。


 黒曜石の塊のような腕が、しっかりと握られていた。


 ああと。


 ミルワナが、歓喜の声をあげようとした時。


 黒曜石の腕が。


 どろりと形を失った。


 魔王の残骸に溶けるように、リューイの手から、彼女の形がなくなっていくのだ。



 刹那。



「ニビリデア! 私の枕元に常に座り給う死の神よ!」


 ミルワナは──その神を呼んだ。


 道の神でもなく、癒しの神でもなく、お守りとして入れていた、死の神を呼び寄せたのだった。




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