人に祈りを捧げた神子
今夜もまた、魔法使いハーニスは戦士リューイの部屋へ連れて行かれる。
ふしだらなことが行われるはずのその扉を、ミルワナは沈痛な面持ちで見つめていた。
そこに、愛はあるのだろうか。
彼女は、それを心配していたのだ。
いや、愛があればいい、あって欲しいと願っていた。
リューイもハーニスも、共に神の加護のない二人である。
お互いを慈しみ、愛し合ってくれているのならば、きっと幸せになるのではないかと思ったのだ。
「リューイはともかく……ハーニスは難しいでしょうね」
ミルワナの言葉は、聖騎士ロウンによって濁された。
そんな御伽噺のようにうまくはいかないのだと、彼の穏やかな言葉が突きつけてくるのだ。
彼女にも分かるが、ハーニスは自分を守る戦い方をしない。
毎回毎回、命を落す勢いで魔法を放つのだ。
後のことは、何ひとつ考えてはいない。
魔力切れを起こし、動けなくなった彼女を、戦士リューイが担いで宿まで帰ることもしょっちゅうだった。
いつ死んでもいいと、ハーニスは思っているのだ。
彼女を突き動かすのは、ただひたすらに魔族を憎いと思う気持ちだけ。
その痛々しい戦い方を、リューイもまたやめさせることはない。
ただ、全てが終わった時、ハーニスが倒れていたら、彼女を背負って帰るだけなのだ。
「彼女を背負う前に、戦士リューイはまず彼女に口付けます」
聖騎士ロウンの言葉には、もはやいやらしさのかけらもない。
自分の唾液を与えることで、ハーニスの破れた魔力の器の底に蓋をし、彼女の命をつなぐのだという。
その後、安全な場所で、ぼろぼろの彼女に魔力を注ぐ。翌日には、何事もなかったかのように、ハーニスは戦線に復帰している。
まともに聞いていられなくて、ミルワナは自分の震える身体を抱きしめた。
「早く……早く魔王を倒しましょう」
旅を始めて、何度泣いただろうか。
どれほど彼女が泣こうが、ハーニスが解放されることはないのだ。
人の世界と魔の世界を切り離し、しばらくの時間とは言え、魔族が人の世界に干渉しないようにさえなれば、少しは彼女の心が慰められるのではないか、そう思ったのである。
そのために、どれほど己の力を使うことも、厭うまいとミルワナは心に誓った。
彼女は、これまで神殿で、多くの神と契約をした。
人の助けになる神もいれば、何の役にも立たないような神もいた。
それらの全ての力を借りて、ハーニスが命を削る戦いをしなくていいよう、協力したかったのだ。
「あなたまで倒れてどうするんですか」
生まれて初めて神力を使い切るほど戦った日、彼女は聖騎士ロウンに背負われて町まで帰った。
横を見ると、やっぱりハーニスも戦士リューイに背負われていた。
「ごめんなさい……」
ハーニスと違い、口をきく力が残っているのを腹立たしく思いながらも、ミルワナは聖騎士の背中にそう詫びる。
彼に迷惑をかけているのは分かっていたが、それでも彼女を放ってはおけなかったのだ。
そんなミルワナの行動や視線に、さすがのハーニスも気づいたのだろう。
「放っておいてくれない?」
ある日、つっけんどんな口調で、彼女にそう言われてしまった。
そんな彼女の態度と言葉は、どれほどミルワナを喜ばせただろう。
ハーニスが、出会った日以来、まともに彼女を見てくれたのは、それが初めてだったのである。
目障りだっただけかもしれないが、その黒い瞳の中に、ちゃんと自分が映っていることが、嬉しくてたまらなかった。
「あなたの幸せを、祈っているの」
馬鹿みたいに頬を緩めながら、ミルワナはそう言ってしまった。
「祈る? どの神に?」
彼女は褐色の中でも赤いと分かる唇で、ミルワナの言葉を嘲笑う。
「神様じゃないわ」
その笑みさえも、いまの彼女には心地よい。
きちんと、ハーニスと会話が出来ている今を、本当に幸せだと思ったのだ。
「神様じゃなくて……戦士リューイに祈っているの」
神に祈るは、無駄なのだ。
神様は、ハーニスを決して幸せにすることは出来ない。
だからこそ、ミルワナはリューイに祈ることにしたのだ。
神の加護を得ていない彼も、これまでの人生は苦労と苦痛の連続だったはずである。
そんなリューイは、どれほどハーニスが酷い状況であっても、必ず生かして連れて帰って来た。
彼と出会ったことこそが、彼女の最大の幸運ではないのかと、ミルワナは思うようになったのだ。
だから、神ではなくリューイに祈るようにしたのである。
『どうか、彼女を幸せにしてください』と。
それを聞いた、戦士リューイと魔法使いハーニスは、驚きに目を大きく見開いていた。
「馬鹿なことを」
ハーニスには、一言で切り捨てられた。
「……」
リューイは、何も言葉を紡がなかった。
「神ではなく、人に祈るのですか? ……神子ミルワナらしいですね」
ロウンは──困ったように笑ってくれた。