魔法使いの意味
ミルワナは、魔法使いハーニスをまじまじと見つめた。
肉感的で美しい褐色の肢体を黒い衣服に包み、彼女は冷めた視線を横にそらし続けている。
神子は、『魔法使い』を知っている。
少なくともミルワナは、書物の上でそれを学んでいた。
魔族に、魔力を流し込まれてなお、それに適応して生き延びたもの──それが、『魔法使い』だ。
普通であれば、魔力を体内に流し込まれた時点で、即死である。
人の身体というものは、それを受け入れられる器としては、最低のものなのだ。
過去の書物でも、百年に一人出るか出ないかの、非常に特殊な例で、そのほとんどが、魔族側として人に害なすものとして登場していた。
要するに、魔法使いとは魔族の飼い犬となってしまった人間を指すのだ。
そんな人間が、今回味方側にいるということが、ミルワナには驚きだった。
神子である自分が触れても大丈夫だろうか。
それも分からないまま、彼女は手を差し出して、ハーニスの反応を待つのだ。
彼女は、それを拒むように二歩下がってしまったので、差し出した手は引っ込めなければならなかった。
この三人が、ミルワナを選んだ『彼ら』である。
目的は、魔王を倒すこと。
これは、神殿においても、人間界全体においても命題とされるべきものだった。
魔王というものは、常に存在している。
たとえ、魔王が倒されたとしても、次に強い魔物が魔王になるだけである。
しかし、魔王の在任期間が長ければ長いほど、魔族は統率され力をつけ、人の世界に瘴気という形で流れ出し始めるのである。
この瘴気が厄介なもので、瘴気が濃ければ濃いほど、魔界と人の世界がつながってしまうのだ。
瘴気によりつながった場所から、魔族は人の世界に現れ、本能に従い勝手気ままに振る舞い始める。
人よりも強い彼らは、弱肉強食通りに、人を虐げ、弄び、殺し、場合によっては家畜やペットにした。
罪悪感などないという。
人が牛を飼い、育て殺し食べるのと同じように、魔族は人をそうするのだ。
魔法使いとは、魔族のいわばペットである。
殺すつもりで流し込んだ魔力を受けてなお、生き延びた強く珍しい種を、彼らは犬のように飼う。
おそらく、ハーニスもその中の一人だった。
ただ、他の人と違うのは。
彼女には、神の加護がない、ということである。
実際の光景を見ていないというのに、頭でっかちのミルワナの頭の中では、飼育されている彼女の様子が目に浮かんだ。
魔力を受け、生き延びるごとに、ハーニスはどんどん黒に染められながらも、飼い主を凌駕するほどの力を手に入れていったのだと。
どう見ても、ミルワナとは真反対の人生を送っている女性だと、彼女は気づいた。
ミルワナは幸せだったが、彼女は不幸だった。
魔族に飼われるという、人の尊厳など何もない世界で、どれほどの年月を過ごしただろうか。
元の髪や目や肌の色は、決してこうではなかったはずだ。
けれど、汚れた魔力が、それを許してくれなかったのである。
「ううう……」
下がってしまったハーニスを見ていると、自然にミルワナの目には、涙が浮かんでいた。
同情しないのは、無理だった。
しかし、彼女の不幸を分かち合うのは、もっと無理だった。
どれほどハーニスをかわいそうだと思っても、本当のかわいそうさをミルワナが知ることは出来ない。
彼女が受けたつらさを、ほんのわずかも自分のものとして味わうことが出来ないのだ。
それが、幸福なミルワナの罪。
彼女の前では、幸福であることそのものが、罪なのだと思い知らされる。
「ほら、ハーニス……神子に握手くらいしろ」
戦士リューイが、表情を曇らせながら、下がってしまった彼女を促す。
ミルワナは泣きそうで、ハーニスは知らん顔という、女二人の間の微妙な空気を、彼なりに払拭しようとしてくれたのだろう。
「いい。魔女に触りたいなんて神子は、いやしないんだ」
顔を反らしたまま、褐色の肌の彼女はぼそりと呟く。
その声は、乾ききった音を冬風のように奏でる。
冷たくて、人を拒絶するもの。
違っ!
彼女の言葉に、ミルワナは思わず足を踏み出していた。
触りたくない理由は、彼女にはない。
共有することさえ出来ない、彼女の不幸に触れるのが、自分に許されるのかどうか、それが分からなかっただけだ。
「ううう」
神子にあるまじき涙目を振り切って、ミルワナはもっと彼女に向けて足を踏み出した。
神様、と。
どの神にも抱かれていないハーニスの手を、無理やりにぎゅっと握る。
痛みもない。しびれも伝わってこない。
魔の力が、本気でミルワナを害しようと思うのならば、それはとても簡単だ。
相反する力なのだから、ほんのちょっとの悪意で簡単に、彼女を苦しめることが出来るだろう。
しかし、ハーニスは自分に悪意を持っていない。
だからこそ、こうしてミルワナは彼女の手を握れるのだ。
神様、どうして誰も彼女をお抱きにならなかったのですか!
ぎゅうぎゅうと、両手でハーニスの手を握り締める。
ミルワナでは、決して彼女の不幸は拭えない。
それが分かっているというのに、ミルワナはその手を長い時間、離すことが出来なかった。