エースの誕生 その9
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「きたきた! 師匠! これですよ」
ゴーグルを外した光が、礼に興奮の眼差しを向ける。
「ちょっとこのままトイレに……いでっ!」
「武蔵離れてんだろ。続きはない」
デコピン後の指を見ながら、額をさする光。煙でも出てるんじゃないかと思うほどの勢いだった。
その証拠に立ち上がりかけた足が萎えて、ソファーに逆戻りだ。
「見ててくれたらよかったのに」
口を尖らせてそう言った。
「捕食映像になった可能性もあるから、お勧めしないが」
真顔で言う師匠に、光はゴクリと喉を鳴らして、静かにゴーグルを装着する。
***
翌日、俺はあの同級生が来るのを警戒して、屋上へ上がるのをやめた。教室にいればみんなが遠巻きにしているし、その俺に話しかけるのは自殺行為だ。
作戦が功を奏したのか、あの同級生とは会わずにすんだ。
そう、思っていた。
だけど、それはこの日だけじゃなかった。
俺は、あの同級生を2度と見ることはなかった。
学校に友人のいない俺には、他クラスの情報など入ってこない。だから安否確認もできないが、余慶と関わっていて見かけないとなると、生きているとは考えにくい。
「杉の木……」
俺はふと気になって杉の木に向かった。余慶が気づいた気配はなかったが、あの聖域にあいつはすんなり入っていた。呪われたばかりの俺は無理だったのに。
「うそ、だろ……」
杉の木に到着した俺は、そこがすでに聖域ではないことを知った。
あの白い塊はどこにもいない。少女が残した結界もすでに消えており、ただ静かに木が存在するだけだ。
最近はここを逃げ場にしていないから、聖域でなくなったことはなんとか納得しよう。だけど。あれがどうして消えてしまったのかが気がかりだ。
あの少女が持ち去ったのならまだしも、確かめる術がない。余慶に喰われて、あいつの糧になっていない事を祈るばかりだ。
聖域が消えた事は少なからずショックを覚えたが、俺は自分の力で黒い奴らを弾く感覚を身につけた。
少女の呪いが弾いていると思っていたから、今まで意識してこなかった。だけど自分でやっているのだと知った事で、どんな感覚でその力を扱っているのか気になり、意識するようになる。
意識して初めて、自分でそれを使っているのだと自覚した。
誰かの力に依存しないという事は、とても爽快だった。
いつかなくなるんじゃないかという不安もないし、アレンジも色々思いつく。
こっそりとはいえ、親に保護をかける事ができるなんて、自覚するまで予想できなかった。
これで寺に手伝いに行こうと自由だ。思う存分村のコミュニティーに溶け込んだらいい。
高校を卒業する日が来ても、あの同級生を見ることがなかった。はやり余慶に消されたのだろうか。
卒業証書の入った筒で肩を叩きながら帰宅する途中、その余慶と街中で遭遇した。
「卒業、ですか。おめでとうございます。よくその年まで生き延びましたね」
嫌味かと思って余慶を見たが、その表情は相変わらず微笑んでいて真意が見えない。
「これは卒業祝いですよ」
袖口から紅白饅頭を取り出した余慶は、赤い和紙でそれを包んで俺に手渡してくる。あったまってて不味そうだ。
それを手に持ったまま余慶を睨み付ける。
「同級生がお前の取り巻きにいたはずなんだが、卒業式に来てなかった。使える駒まで喰ったのかよ」
「君の同級生?」
誰のことを言われているのか分からないようだ。特徴を伝えると、ようやく思い出したように手を叩いた余慶。
「喰ったとは穏やかじゃないね。でも、興奮しすぎてつい、と言っておこうか」
「何がしたいんだよ」
眉を寄せてそう聞くと、余慶は少し考える風にしてから答えた。
「そうだねぇ。捕食の時と実験の時があるから、その問いは難しいね」
聞いてますます不快になった。実験ってなんだ。
「ここには神宝の連中もいないし、絶好の実験場なんだよ。君も協力してくれるってんなら、ご家族にも手を出さないと誓ってあげるけど、どうかな」
「は?」
和解のような、それでいて上から目線の不快な提案だった。
それにシンジュとか耳馴染みのない言葉もあったが……
「俺達はお前の実験体ってことか」
いずれにせよ、手駒を喰ってしまう奴をどうやって信じろと言うんだ。
「だから君は特別だって言っているだろう? 手厚い待遇でもてなすよ」
何を考えてそんなことを口走っているのだろう。
「飼い慣らして、都合が悪くなったら喰ったらいいってか? 素晴らしい労働環境だな」
吐き出すようにそう言うと、余慶はにんまり笑って言った。
「就職先、困ってるんじゃないのかい? 心配しているご両親のために、いがみ合いを止めて寺に来るのはどうかな」
俺は言葉に詰まった。進学して地元を離れるのは親が心配だったので、地元に残って働く選択をした。だがしかし、余慶の言う通り就職活動は全滅だったのだ。
「お前が、手を回していたのか」
睨みつけながら言うも、余慶はまったく気に止める様子なく、いやらしく笑う。
「何年この村にいると思ってるんだい? こんな時に使ってこその力だろう」
退路を断たれたようでこの上なく不快だった。
「さて、君には選択肢が多くない。諦めてわたしに協力するか、争って孤立するかのどちらかだよ」
「孤立……」
余慶は孤立を大変な事だと思っているのだろうか。人がいなければ捕食できないから?
それとも話せないと寂しいのか?
ま、こんなに対立している俺に話しかけてくるのだから、本当にそうかもしれないが。
だが俺はすでに孤立していて、助けを求める仲間もいない。
「協力はないな」
冷たくそう言い放つが、余慶は俺の答えがわかっていたかのように頷く。
「そうか。残念だよ」
それを合図に、俺達は互いに踵を返して離れた。
ポケットに手を突っ込もうとして、手に持っていたものを思い出し、赤い包みを開けて饅頭を見る。薄い何かに包んでいるのかと思ったが、剥き出しのまま紙に包んでいたようだ。
「何がめでたいんだ。こんなもの、食えるかよ」
くしゃっと包みごと握りしめてその辺に捨てた。
早足で歩く。手頃な小石を所構わず蹴ってしまいたい衝動を抑えながら、帰り道を急いでいた。
対等にやりあって別れたつもりでいたのに、自分でも驚くほどイライラしている。
社会的にあいつが圧倒的に上だと思い知らされたからだろうか。
信頼、信用、俺になくてあいつにあるものだ。
俺が何を言っても信じてもらえず、あいつの発言は真実として受けいれられる。
本当の事を知っているのは俺だけだ。
「俺……だけ」
俺が、間違っているのだろうか。
真実って、なんだ?
諦めてしまえば、楽になれるのかもしれない。
寺で世話になって、親も村のコミュニティーに溶け込んで、それで、それで……
「いつっ!」
何かにつまずいて転けそうになった。
足元を確認するが、どの小石に躓いたかわからない。
代わりに、先ほどの考えに疑問を感じた。
それで、なんだ。
諦めて何をどうしようと考えていたんだ?
なんで急にこんな弱気になったんだ、俺は!
思い出せ、あいつの背後にいたやつを。元々の余慶の意思か、あいつの意思かは分からない。
だが、この村をじわじわ喰っているのは事実だ。
この状態で逃げたら、どこで何をしてても思い出して後悔する。それが分かっていたから、今までここで踏ん張ってきたのに急になんだ?
頭の上の方がもやもやする。
俺はそれを振り払いたくて手を振った。
びりっ
紙が破れるような音が聞こえたような気がした。
すると、すっと頭の靄が消えていく。
直感的に余慶が何かをしたのだと思った。さっきの紅白饅頭か、包み紙か……紙?
ふと、学校の先生を思い出す。
あの時、紙を見て急に変な動きをした先生。
余慶の力だろうか?
紙を使って何か出来るようだ。よく分からないが、今ので破ったのだと思う。
気合いで弾ける程度のものならいいが、力に強弱があるのなら注意しないと。




