エースの誕生 その8
彼女の口を覆っているものは、干からびた手のようだった。そしてその下にも同じような手がある。なぜ分かったのかというと、その手が一瞬浮いたからだ。
虫の口みたいに、ふわっと浮いたその下に、僅かに小さいサイズの青い手。ミイラのようなカサカサしたそれが、何十にも重なって口を覆っていると思うと、ゾクっとした。
黒塗りの顔面を見て、青い手で覆われた口を見て、左目を見る。
「君は……」
人かと問いかけそうになって言葉を飲み込む。
そうだと返答されれば酷い事を聞いているし、違うと返答されることは恐怖でしかない。
「君に何があったんだ?」
我ながら無難な聞き方だったと思う。
しかし少女は俺の質問には答えず、肩から仰け反った怨霊も気に止めず、白い塊と俺の周辺にどんぐりの実を置いている。
不思議な事に、置かれていく実は全て直立していた。何をしているのだろうかと黙って見ていると、彼女がぼそりと何事か呟き、その直後どんぐりが赤く染まる。
薄く赤い膜が辺りを覆う。
閉じ込められたように感じた俺は、焦りを出さないよう注意しながら問いかける。
「これは、なんだ?」
「結界の一種。あなたの輝きを他から見えなくしました」
静かに答える少女に目を向ける。
「輝き?」
問い返す俺に、少女は木の根を指差す。ちょうど腰掛けるのに良い高さの根が、地面からアーチ状に突出している。
座れということだろうか。
しばらく固まっていたが、少女が動く気配を見せないので仕方なく座る。
ちょうど同じ顔の高さになったので、それで座れと言われたのかもしれない。
「あなたの輝きはちょっと特殊。とても綺麗で大きい」
少女は俺の頭頂から順に何かを見ている。近くで見る少女の口元は寒気がするほど気持ち悪くて、それが顔に出ないようかなり気をつける必要があった。時々浮く青い手は、確認できただけでも3層あった。その奥にまだあるような気がしたが、目では確認できない。
直感では5層あるような気がする。その1層1層が異なる呪いなのだろうかと、なんとなく想像した。
「魂には時々、怨霊が見る事のできる輝きを持った人がいます。その輝きを目指して、怨霊は寄ってきます。その輝きを持たない人には、怨霊を見る事もできない代わりに、見つかる心配も少ない」
「魂……?」
そんなの初耳だ。
つまり、その輝きのせいで怨霊が寄って来ているという事か。
「その輝きを隠さなければ、狙われやすくなります」
『排除じゃないなら、俺を喰いたいのか』
『あぁ、それは近いね。君の輝きは特別だから』
『輝き?』
『おや、それは知らないんだね』
余慶との会話を思い出す。
『実は君の友達だったあの子くらいの輝きは意外と多いんだよ』
太維の輝きと俺の輝きは、大きさが違うということか。能力の差なんて感じなかったから、心当たりはこの少女だけだ。
「君の呪いで、俺の輝きが大きくなったのか?」
少女は感情の籠らない目で俺を見返し、静かに首を横に振る。
「私の呪いは外に向けたもの。怨霊に対して牽制になるもので、内なる呪いではありません。あなたの輝きが大きくなったのなら、それはご自身の防衛本能でしょう。呪いへの耐性を無意識に行ったのだと思います。だから、直接ではありませんが、呪いが影響したとも言えます」
なるほど、相互作用って事か。俺は腕を組んで考えるようにして3度ほど頷いた。
「しかしもう、呪いは残っていません」
3度目の頷きの途中で、動きを止める。
呪いが残っていない? それなら、弾くようなアレはなんだ?
そう思って少女を見る。
干からびた手は、彼女の声に連動していない。そこだけ時間の流れが違うような、ゆっくりとした動きで揺れている。凪いだ感情のない声に、いつ解けたのか、何の呪いだったのか、などと質問できずにいた。
「こちらへ」
不意に彼女の声色が変わったような気がした。言われるまま立ち上がり少女に近づく。
少女の掲げた手から、白い膜が現れて木の上の塊を覆う。同じ色の膜で俺も覆われる。
ふと耳に土を踏み締める音が入って来て、同級生の存在を思い出した。
「静かに。音を出さなければ気が付かれません。時間がないので手短に言います。ここにはあなたと同じくらい強くて禍々しいものがいます。それがあなたを取り込もうとしているのなら、全力で抗わなければ死んでしまいます」
足音は1人じゃなかった。嫌な予感に音の方と少女を交互に見る。
青い手の前に人差し指を立てて、こちらに目を向ける少女。
「さらに研鑽を積んでください」
禍々しいもの。それが余慶である事は明白だ。
足音がさらに近づいて来た。
同級生だったら声をかけないわけにもいかない。目があったらどうするんだ? こんな誰もいないところで、無視なんてさすがにできないと思い、木の幹に身を寄せて隠れるようにした。
体を幹に押し付けてようやく、少女の言葉が蘇る。
音を出さなければ気が付かれないって、どの程度だろう?
見えないようにしてくれてるのか、意識が向かないようなまじないをかけてくれているのか。
音を出すまで見えないようにしてくれてるのか、ただ意識を逸らしているのか、それも確認しておきたかった。
「こっちこっち」
女の声が誰かを誘導している。
嫌な予感がして、それを少女に伝えようとした。しかし、俺の視界からいつの間にか少女は消えている。
周辺を見回すが、着物も、ギョロ目のあいつも、どこにも見当たらなかった。
それならここに止まる理由はないかと思ったが、なぜか俺の足は地に縫い付けられたように動かない。後になって思えば、この時の俺は動揺していて、判断出来なかったんだと思う。
だけど動けないのは、少女の結界や呪いの影響だと思い込んでいた。
「やあ、これはまた大きな木だね」
ピリリと電気が走るような不快感。余慶の声だ。
「それで、その白いのはどこにあるのかな」
仲良く腕を組んだ余慶と同級生が現れる。同級生は木の周辺で離れ、辺りをを見廻している。白いのを探しているのだろうが、木の上には目を向けていない。
「えっと、白いの、白いの……えーっと……」
これ以上顔を出したら見えそうだと思うと、大胆な動きはできない。そのせいであまり観察できなかったが、見当違いの場所を探しているように見えた。
「わたしが見てもないのだから、嘘をつかれたか、ないかのどちらかだね」
同級生は慌てたように余慶に近寄り、必死に言い訳を始める。
「嘘じゃないわ。あいつ、下着チラ見せしたらホイホイしゃべったんだから! やらしい顔で嬉しそうに教えてくれたのよ」
おい、と声を出しそうになったが、全否定できない。声も出せないとあって、グッと息を飲み込んだ。
表現は過剰だが、ここの事を迂闊に話したことは事実だ。あの怨霊憑きの少女が聞いたら激怒するかもしれない。
それは余慶と全面対決するより恐ろしい事に思えた。
「白いモノの存在は知っているが、見るのは難しいかもしれないね。ここが安全だと言っていたようだが、それも彼の思い込みかな。近頃はここに来ていないのだろう?」
余慶に近寄っていった同級生は、そのまま寄りかかるようにして頷いている。
「うん。呪われたからだって……」
同級生は腕を伸ばして、余慶の首に絡みつきながら続けた。
「ね、ここなら誰も来ないよね」
そう言うと、余慶の口に自分の唇を押し当てている。
「あの力が呪い? 誰に呪われたんだ?」
乱される衣服をそのままに問いかける余慶。向かいの彼女は少し手を止め、首を傾げると首を横に振った。
「聞いてないから知らない。明日、聞き出してみるね」
そう言うと、余慶の首筋に噛み付くように顔を埋める。
「頼んだよ、いい子だね」
彼女の後頭部を撫でながら、木の幹に背を預ける余慶。俺がそのすぐ背後にいるとも知らず、息を乱していく。
(腐れ坊主が)
心の中で罵った俺は、極力足音を立てないようにその場を離れた。




