エースの誕生 その7
高校の屋上で1人寝転びながら、ぼんやり空を見上げていた。
「いつもここだね」
空の一部が欠けて、同級生が俺を覗き込む。
「……」
名前も覚えていない。最近になって時々話しかけてくる、同じクラスの女だ。
「ねえ、そろそろ教えてよ」
「何を?」
「身の守り方よ」
華麗な回し蹴りを習いたいのだろうか?
仕方なく体を起こす。折った足を抱えるようにして屈み、尻をつけずに座り込んだ女は、こちらをじっと見ていた。
少し視線を下げるとパンツが見えそうだなと、ぼんやり思いながら相手の言葉を待つ。
「あの黒いの、しょっちゅう追っ払ってるでしょ」
黒いの……こいつも見えるのか。
「あんなに集られてる人も見ないけど、あんなにあっさり撃退する人も初めて見たわ」
そうなのか。
あっさりの基準は不明だが、太維と余慶意外に見える人と話すのは初めてだ。
「あいつらさ、時々寄ってくるじゃない? 引っ掻かれたらすっごく痛いし、体が重くなるし、逃げるしかないって思ってたの。何か対策あるなら、知りたいなって」
そう言って同級生は肩をすくめ、少しだけ首を傾げた。可愛らしく見えるような仕草をしているなと思ったが、それがわざとらしくても、まあ……教えても良いか、とも思う。
「呪いだ」
抱えた膝がぴくりと動いたが、同級生は微笑んだ顔のまま固まってしまう。
「俺があいつらに対抗できているのは、呪われたからだ」
あ、真顔になった。
「大きな杉の木知ってるか? 樹齢500年くらいの」
顔が真っ直ぐになった同級生は無言で頷く。膝を抱えている力が弱まったのか、少し足が開いた。
「あそこの白いのは?」
「白いの?」
再び首が傾く。心当たりがなさそうだった。
「あそこが安全だって事は?」
「え、知らない!」
首が真っ直ぐになって、ひゅっと伸びる。
「俺以外ならきっと近寄れる。呪われる前は、よくあそこに逃げ込んだ」
「知らなかった。でも逃げ込んでも待ち伏せられたら帰れなくない?」
さっきからずっと目が見開かれている。乾燥しそうだな。
「向こうが見失うから大丈夫だ」
「見失うってことは、見えなくなるの?」
膝の上に腕を組み、その上に顎を乗せて聞いてくる。
「そうなんじゃないか」
もはや頭1個分くらいの足の開きだ。薄紫の色彩が覗いているような気がするが……ま、黙っておこう。
「じゃあさ、じゃあさ、消すのはどうやるの?」
消すところも見られていたらしい。
「思いっきり踏むか投げつける」
「投げる? 触れないでしょ、痛くて」
「そこは気合いで」
「えぇ〜」
ガクッと手に乗せていた顎が外れ、頭が股の間に落ちる。
そこで丸見えに気がついたのか、慌てて立ち上がる同級生。
「強いて言うなら弾く感じかな」
「その弾き方どうやるのか教えてよ」
見上げて言う俺に、スカートを前から押さえるようにして問うてくる。
今更だなと思いながら、小さく息を吐き出した。
「体表の殻があるだろ? それを硬化させる感じって分かるか?」
「体表の……殻?」
「喰われると欠けるアレだよ」
「え?」
この反応。どうやら殻も見えていないらしい。
「ごめん、何言ってるか分かんない。それってどうやるの?」
「どうやるって言われてもイメージだしな」
「見せて見せて」
俺も立ち上がり、周りを見回した。
「黒い奴さえいれば見せるけど」
「いないね」
彼女の言う通り、周辺に黒い影はない。どうしたものか。
「私を黒いやつに見立ててやってみてよ」
自分を指差しながら言う同級生。俺はよく晴れた空に、ふっと顔を向ける。青が色鮮やかに濃く、その眩しさに少し目を細くする。
「できるかな……?」
できるできると無責任な声の後押し。
「できたとして、痛いんじゃないか?」
「そうなの?」
「体を守ってる殻に衝撃があったら痛いだろう」
う〜ん、と彼女は首を傾げながら唸る。
「殻ってのがどんなモノか何となく分かったけど、それってみんな持ってるの?」
無言で肯定した。
「そっか」
彼女がそう言った直後、予鈴が鳴り始める。
「午後も張り切って勉強しますか」
腰に腕を回して背中を向けた彼女は、顔をこちらに向けて笑う。
「今日、行ってみるね、杉の木」
俺の返答も待たずに彼女は屋上を後にする。
「久しぶりに、俺も行ってみようかな……」
今日はやけに眩しい空を仰ぎ見てから、屋上を後にした。
放課後、部活も何もない俺は杉の木がある近くまで来ていた。
「どこまで近寄れたっけ」
木から離れたところで、その大木を見上げる。
遠目にも白い塊が見えており、昔と変わった様子はなかった。
辺りを見回すも、同級生は来ていない。
「ま、別に何かを期待した訳じゃないしな」
杉の木自体は変化がないが、太維と来ていた頃より、周辺は欝蒼としていた。
「新しい木まである」
俺の背くらいの木が見えて、杉の木を迂回して近づく。
「ここまでは大丈夫なんだな」
近づいて観察してみると、桜のようだった。ほんのり桜餅の匂いがする。
「大島桜かな?」
自宅の庭に生えている木にそっくりだ。
さわさわとまだ少ない葉が風に揺れる。
穏やかな時間を感じ、この場所で安らぎを得ていた過去に想いを馳せる。
太維と木に登って黒い蛇から逃げた。
着いてきた黒い人が消えるまで、じっと耐えていた日もあった。
今にして思えば、1人じゃなかったから気づいた事もたくさんある。
過去を思い出していると、無性に投げ出したい気持ちになった。
考えを放棄して余慶に身を任せてしまったら、楽になるかもしれない。
それをやってしまったら太維と再会した時に呆れられるだろうか。
いや、怒られるかもな。
立場が逆なら俺だって怒るだろうから。そんな事をして死んでしまったら2度と再会できないし。
「……」
俺は改めて杉の木に目を向ける。どこまで近づけるのかやってみようと思った。
1歩、また1歩と警戒しながら近づく。
前に体が重くなった地点はすでに過ぎたように思う。体に負荷は感じない。
「ひょっとしていける?」
進むスピードを早めようとした時だった。
何かに躓いて下を向く。
「危なっ」
前のめりになったが、手をつくことなく体制を立て直す。再び杉の木を見ようとして固まった。
ギョロ目が忙しなく動く、頭部が異様に大きな怨霊。その下に小さな頭。少女がいつの間にかそこに立っている。
静かにこちらを見ているのはあの子だ。
だが、昔見た姿とは様変わりしていた。
ギョロ目は相変わらず肩の上に陣取っていたが、足が根を張ったみたいに食い込んでいる。もう、肩から落ちることはなさそうだ。余慶の背中を思い出さずにはおれない。
だが、それよりも、もっと異常に感じたのは、彼女の右半身だ。
俺には、何か怖いものがくっついているように感じた。見た目は黒塗りされた感じだが、その黒い部分から恐ろしい雰囲気が漂っており、口は青く干からびた何かで覆われている。
あまりに異様な姿に動けないでいた。
「前より輝きが増している」
口が動いているかも分からない状態であるにも関わらず、はっきりとした声が耳に届く。
確認するように彼女を見ると、ギョロ目がこちらを見てそわそわしている。今にも飛び掛からんとしているようだったが、根付いた状態でもそんな事ができるのだろうか。
ふっと肩の怨霊が屈伸する。今にもこちらに飛びかかりそうな動きは、彼女の手によって止められた。
それはほんの僅かな時間、手を翳しただけに見えた。それなのにギョロ目の怨霊は、彼女の背後にのけぞるようにして気を失う。
驚きで言葉が出なかったが、目からの情報は忙しなく更新される。




