エースの誕生 その6
「やめるんだ、中原」
背後から、腕を掴まれる。
はっとして見上げると、先生が俺を睨んでいた。
「何をしているんだ!」
痛いほど腕を掴まれて動けない。いつの間に正気に戻ったんだろう。
混乱して考えが纏まらなかった。この状況をどう説明したら納得してくれる?
「先生、ありがとうございます。武蔵くんは少し正気を失っていただけですよ。もう大丈夫」
余慶が立ち上がりながらそう言った。先生に押さえつけられたままの俺に、余慶が1歩近寄った。先生には柔和な笑みに見えているだろう。俺には悪魔の微笑みだ。
「除霊が必要かもしれません。先生、一緒に寺までご足労願えますでしょうか」
「ええ、もちろんです」
腕を抑えられているだけじゃなく、背後から両足で挟まれて逃げ場がない。ここで喚いても余慶の言葉を肯定する事になりそうだと思うと、何も言い出せなかった。
「じゃあ武蔵くん」
余慶は俺の顔を覗き込んでにたりと笑う。全身が泡立つような不快さ。
全力でその存在を否定したかった。
「ふふふ、そんな顔してもダメだよ」
余慶は小さくそう言った後、何かに気づいたように動きを止めて、俺の首を凝視していた。
「なんだ、これは……?」
そんな呟きの直後、ちりりと痛みが全身を駆け巡る。
バチッと光が走ったように見えたあと、左目を押さえた余慶がひっくり返った。
「中原。何をした?」
先生の怒ったような声が頭上から降るが、俺自身も何が起きたのか分からない。
両手を拘束されていたし、自分で何かをした感覚さえなかった。ただ、否定の意味をこめて大きく首を横に振った。
余慶は地に手をついて呻いている。戸惑うような気配の後、先生は俺の腕を開放した。
「大丈夫ですか」
余慶に駆け寄り、助け起こそうと手を差し伸べる先生を見て、しまったと思ったがしっかり触れられていた。
だがしかし、余慶に動きがない。
この場にいる全員が訝しげな顔をしていた。
「やれやれ、これはどういうことか」
余慶は面倒そうに言いながら立ち上がる。先生は何事かとその顔を見ているようだ。
「それでは先生、これを」
懐から紙を出した余慶は、それを先生に渡してすぐに確認するよう言った。
頷いて紙を広げた先生はしばらく固まっていたが、ややして無言のうちにその場を離れる。
「先生に何をしたんだ」
「やあ、これは効いてよかった」
言葉のわりには訝しげな顔をしている。不調である事は明白だった。
左目の瞼は降りたままだが、余慶はこちらを向きにんまり笑う。
「わたしがここに来たのは、きっと武蔵くんと出会うためだったんだね」
気持ち悪い事を、気持ち悪い顔で言う余慶。俺は全力で睨みつけた。
「ふふふ、その力ごとわたしの役にたってもらいたいものだね」
俺が嫌いなあの、ぞっとする笑みを浮かべいた。舌なめずりでもしていそうな目で、俺を物欲しそうに見ている。
「さて、今日は武蔵くんの勇気に免じて引くとしようか」
さっさと背を向けて北に向かう余慶に、俺は何も言えずただその背を見ていた。
その月の最後だった。
先生が亡くなったと聞いたのは。
高校に入った俺の周りには、生きた人間がほとんどいない。その代わりに黒い人間が数多く寄ってくる。
無意識なら弾かれるだけ。攻撃的なイメージを持って対峙していれば、消し飛ぶような奴もいた。
見知らぬグロテスクな奴なら消し飛んでもなんとも思わないが、先生のような顔見知りだとさすがに消す事に抵抗がある。
ただ弾くだけと消してしまう時の力の使い方には、微妙な調節が必要だった。だが、その練習に困らないほど、俺の周りには黒い塊が蠢いていた。どこから湧いてくるのか、今日も朝から3体も俺の後ろを着いてくる。
(先生……)
余慶と一緒にいたのが、先生を見た最後だった。亡くなったと聞くよりも前に、俺はこの場所で黒くなった先生を見た。
だから、亡くなったと聞いて納得した。
横を通る瞬間、小さく黙礼する。しかし先生は怒りの形相でこちらを見て、ふいに手を伸ばしてくる。バチッと電気が爆ぜるような音がして、先生は尻餅をついて唖然としている。
もう、何回繰り返しただろう。しかし先生はいつも驚いた顔をして、尻餅のまま俺を見上げている。なぜだ、どうしてこうなる、そんな顔をしながら。
『先生は美味しかった』と余慶は言う。
俺を怒らせたいだけなのか、自分の行為に酔っているのか、あるいは素直な感想なのかは不明だ。
いずれにせよ、俺以外に同じモノを見ている人間がいない。
だから俺の前では、そっち方面で多弁なんだろうと思う。
あんなに健康的だった先生は、精神的に病んで自殺したと聞いた。
余慶が何をどうやったのかは分からない。過去の小さな過ちをくすぐったとだけ俺に教えて、あとはいかに自分が貪り喰ったのかを意気揚々と語っていた。
村での地位を得ている余慶は、手足となる人間も周りに配置している。
いじめを先導するなんて、あいつにとっては簡単な事だ。
逃げ場を失い、心を病んで自殺する人が一時増えた。これはおかしい、原因の調査が必要だと村役場で決まってすぐ、流行りが過ぎたようになくなった。
噂を警戒した余慶が自殺に見せかけるのを止めただけの事だ。
この村には原因不明の死が溢れている。
あの殻が体を守っているのだとしたら、もぎ取られて欠けたら弱るのは当然だ。
風邪を拗らせて肺炎だとか、高熱が出てそのまま亡くなるケースもあった。フラフラと彷徨い出て溜池に落ちる。崖から転落する。川で溺れる。
手を替え品を替え、余慶は目をつけた鴨を確実に喰っている。
俺がまだ喰われていないのは、呪いのおかげか、あいつに泳がされているだけかのどっちかだ。
唯一の救いは、家族も一応無事だという事。
父は遠方に働きに行っているし、母は孤立している感はあるものの、まだ心に余裕がある。寺に行くことも多いが、殻が欠けることなく帰ってくる。
俺自身も中学の時は少しいじめられた。言葉から始まったそのイジメは、ちょっとしたきっかけで行動に出る者を出した。
最初は仕草だけだった。臭そうにされ、俺が通るとその場でくるくる回って”巻き込まれる”と言って尻餅をつく。菌が移ると言われたり、手で振り払うような仕草を何度もされた。
やがて行動はエスカレートしていき、俺の所持品が消え、落書きされて戻ってくる事が増える。
その行動を冷静に観察している自分がいた。
これは余慶の指示だろうか。それとも、余慶と対立しているのを察したこいつらが自発的にやっている事だろうか。
このまま耐えるのか賢いのか、それともやり返すのが賢いのか。
どうしようかと考えていたある日、机から落ちた消しゴムを拾おうとして、右手を蹴られた。
1人が手を蹴ったのを見て、4人がそれに続いて俺を囲み、右腕を楽しそうに蹴り始める。
様子を見ながらだったから、アザができるほどの強さではなかったと思う。だが、これが俺の迷いを吹き飛ばした。
俺自身が冷静さを失い、立ち上がって蹴ってきた奴全員を見回す。
数に物をいわせて楽しんでいた5人が、にやけ顔のまま固まっている。
その顔が引き攣りに変わらないうちに、体が勝手に動いていた。
あれは自分でも驚くほどの動きで、自画自賛できるほど華麗な回し蹴りだった。
そのたった1回の反撃で、いじめはぱったりとなくなった。
だからといってそこから友達ができるはずもなく、余慶との確執は有名だったので、今はみんな遠巻きに見ている。
手を出せないって感じだったが、それは徐々に関わりたくないに変わっていった。




