エースの誕生 その5
自宅への道をゆっくり歩きながら、さっきの出来事を考える。
現実離れしていて、不思議な少女だった。過ぎ去ってみれば、現実だったのか怪しいとさえ思う。
「あれは何だったんだろう……」
幼い少女も、ギョロ目の怨霊も謎だし、白い塊が俺のせいで苦しんでいるのも意味がわからない。
「俺は何もしてないのに」
深く考えすぎていたせいで、俺はいつものあの黒い影が近づいている事に気が付かなかった。
「やばい!」
よく見る、蛇状のものだった。顔に飛びかかって来たものを、咄嗟に腕を出して防御する。
「いって!」
腕にちくっとした痛みが走り、思わずそいつを手で掴んで引き剥がす。そのまま地面に叩きつけるようにすると、そいつはパァッと細かくなって地表で消えた。
「え……?」
驚いた。
こんなことは初めてだ。
俺は噛み付かれた腕をまくって、その痕を見る。もしかすると、さっきの淡い光が守ってくれたのかもしれないと思った。
「なんとも、ない……」
痕もなければ痣もない。もちろん発赤もない。
そして淡い光もなく、ただいつもの腕がそこにはあるだけだ。
痛みを感じたのが、錯覚のような気さえしてきた。
「でも、これは!」
守られているのか、自分の力なのか不明だが、初めてあの黒いものを消した。今まで消せるとも思っていなかったのに。
俺は急いで踵を返し、先ほどの場所に戻った。今なら、あの怨霊も消せるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いたからだ。
「はぁ、はぁ……い、いない?」
駆け足で戻ったそこには、すでに何の影も形も、穢れすら残っていなかった。
木の上を見ると白い塊は変わらずそこにある。
「……?」
木に近づくと、思わぬ負荷に顔を顰めた。
「何だこれ?」
急に空気が重くなり、近づくのが酷く億劫だ。
まるで、神聖な場所に踏み込めない怨霊のように。
「俺が怨霊?」
そう呟いてハッとする。
「これが、呪い?」
呪われているからこの清浄な場所が不快なのかもしれない。
余慶と同じような存在になったようで嫌だった。
それでも、さっきの出来事が夢ではないと実感する。
俺はずっと逃げてきた杉の木を見上げ、最後に白い塊を見て、その場を後にした。
その日を境に、俺は黒い塊に遭遇しやすくなった。蛇状のものだけではなく、人の形をした物も含め、黒いモノが俺に群がってくる。だが、撃退できるのであれば、逃げる必要はない。
俺は噛み付かれても自分を守るための力の流れを自覚していた。もしかするとあの光の効果なのかもしれないが、もう高熱を出すこともないし、人を助けることができる。
助けられた方は無自覚だし、俺が近寄る事で不快感を表す者もいた。しかし倒れられて嫌な気分になるよりはマシだと割り切って、可能な限り助けることにしている。
これが呪われている状態なら、悪くないかと思い始めた頃だった。
下校中の事。
田畑が続く人気のない場所を歩いていると、行く先に余慶が立っているのを発見した。
何をしているのだろうと目を凝らしながら足を進めていると、その足元に学校の先生が蹲っている。
「ふふ、先生。ダメですよ、そんな事じゃ」
余慶の微笑みは相変わらず不気味だ。体格の良い体育教師だった。
膝立ちでぼんやりと余慶を見上げ、言葉を発する事なくただ静かに揺れている。
先生の殻が弱っているように淡く波打ち、体と同調するように揺れているのが見えた。
まずい、余慶に喰われる。
そう思った俺は、駆け出していた。
「待て!」
「おや、武蔵くん」
余慶は人影がない事を確認するためか、周囲を見廻すとにったり笑う。
悪寒の走るような笑みだった。
「久しぶりのご馳走なんです。邪魔してないで頂けるとありがたいですね」
「俺がお前の言う事を聞くはずないだろ。先生から離れろ」
先生を引っ張って下がらせるより、余慶にタックルでもした方が早く引き剥がせそうか?
余慶が殻からもぎ取るにどれくらい時間がかかるのは不明だ。一瞬かもしれないし、しばらく静止する必要があるかもしれない。
「…………」
余慶は何も言わずにこちらを見ている。
すぐにやらないって事は、一瞬では無理なんだな。
引きずった方が良さそうだと判断した俺は、素早く2人に近づいて先生の腕を掴んだ。勢いよく先生の腕を引っ張ったつもりだったが、脱力している大人の体重に負けて手が抜けた。
後ろに蹈鞴を踏んだ俺は地に尻を着き、先生と並んで余慶を見上げる形になってしまう。
「先生、先生! しっかりしろよ」
地に尻をつけたまま先生の腕を再び引く。そのまま盛大に揺すってみたが、反応はすこぶる鈍い。
「何したんだよ、先生に」
俺は体を起こしながら余慶を睨む。
「知識は人を助けるね。無知な君にはできない事だ」
そう言って笑うだけの余慶。教える気はないのか、それ以上なにも言わなかった。
睨み合いが続くかと思ったその時、余慶の背後から黒い蛇。
余慶が呼んだのだろうか。俺に向かってまっすぐ進んでくる。
「うん?」
足元を過ぎてようやく、その存在に気づいたみたいに余慶の顔が動く。
余慶が呼んだんじゃないんだと頭の端の方で思ったが、今は蛇の方が優先だ。先生の横をすり抜けた瞬間、蛇は俺を目がけて跳躍した。
手刀でそれを叩き落とし、足で勢いよく踏む。黒い蛇は蒸発するような音を立てて塵のようになり広がった。
「へえ、そんな事まで出来るようになったんだね」
パチパチと小さく手を叩きながら言う余慶。
「そうか。大きくなったからより狙われやすくなったんだね。色々かわすうちに処世術を身につけたってところか」
そう言うと余慶はうっすら浮かべていた笑みを消して、じっとこちらを見ながら思案している。
「これ以上は厄介かもしれないな。今のうち喰っておくか?」
自問自答だろうか、恐ろしい事を呟いている。
俺は先生を見て、背後の退路を確認した。障害物はないので、あとは先生をどうするかだけだ。
「それじゃ武蔵くん」
余慶の顔にうすら笑いが戻っている。
ターゲットは完全に俺に切り替わっている。だからといって、このまま逃げてしまえば、先生はその後何かされるにきまっていた。
畢竟動けないでいる俺に、余慶はじわじわ近寄ってくる。
「いい子だね」
余慶は俺に手を伸ばして腕を掴んだ。ぐっと力を入れかけ……
「痛! ……なんだ、これは」
余慶は弾かれた腕を押さえ、俺から1歩離れた。
何事かと驚いていると、再び俺に寄ってきて腕に触れようとする。まるで、何かを確認しようとしているみたいに。
近寄るな!
動けないまま、心の中でそう叫んでいた。今、こいつの腕を弾いた瞬間を思い出しながら。
余慶は指先で俺に触れる。ちりっと微小な刺激が体表を走った。
「お前、何をした」
いつもとは違う低音が余慶から発せられる。一瞬、誰の声か分からなかったほど低い声だった。
『それなら私があなたを呪ってあげる』
少女の言葉を思い出すと同時に、自分の力ではないことを悟った。
黒い影を呼び寄せる代わりに、余慶から遠ざけてくれるのが呪い?
そんな呪いなら大歓迎だ。
恐怖が薄れた俺は反撃してやろうと、先生を背にして余慶の前に立った。
こちらから触れてやるとばかりに、手をその顔に向けて伸ばす。
避けようとした余慶は、少しだけ窪んだ地表に足を取られてよろける。そのまま尻餅をつくと、頭を抱えて恐怖の叫びをあげる。
「武蔵くん、やめてくれ。わたしが何をしたというんだ」
何をしたかだなんて愚問だ。
「武蔵くん、武蔵くん! 正気を取り戻してくれ」
こいつ、何を言っているんだ?
俺は訝しげな顔のまま余慶に近寄る。頭を抱えたままの腕に手をかけようと、大きく手を振り上げたその瞬間。




