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エースの誕生 その4

太維(だい)がいなくなって、3年。

俺は中学生になっていた。

余慶(よけい)はまだこの村に居座っている。

今やお寺の住職は余慶だ。修行はもういいのかと思ったが、誰もそれを疑問に思っていない。

当たり前のように寺の顔になり、当たり前のように弱った人から殻をもぎ取っている。

そして、その背中に腕はもうない。

だけど腕があった頃より、もぎ取る力は大きくなっていて、怖さも増している。

それに反するように、にこにこと胡散臭い笑みは絶やさない奴だった。

すぐに死んだのは太維じいちゃんだけだったが、じわじわ死に向かっている人を何人も見た。

ただでさえ人口の少ないこの村で、あいつは何をしたいんだろう。

余慶に歯向かう俺は、じわじわ村での居場所を失っていた。

学校で俺に話しかけて来る奴なんていない。







「ふぅ…………」

俺は1人、学生服のまま太維の家だった場所に来ていた。

住む人のいなくなったこの家は、ちょっと痛んだように見える。

俺のせいで母は村の人から注意を受けることが多くなり、泣きながらヒステリックに怒る事が日課のようになっていた。今日もそんな母の怒りから逃げてきて、気がついたらここにいたんだ。

俺のせいで両親が喧嘩になるのは申し訳ないと思ったが、つい先日、引っ越しを父が提案していた。その話題に飛びついて賛成し、引っ越してくれるならもっと良い子になると子供っぽくおねだりまでしたのだ。

もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせる。

「ここにいたんだ」

背後から優しい声音(こわね)。俺はビクッとして振り返る。

「またお母さんを怒らせたんだね」

余慶がにこやかに歩み寄ってくる。

「なんで知ってるんだ」

「今、お寺に謝りに来ているからね。それでだ、君のために提案がある」

俺は警戒を顔に出しつつ、余慶の言葉を待った。

「和解しないかい? 君のお母さんに泣きつかれちゃってね」

「俺になんのメリットがあるんだよ」

「まあそう言わずに。村の調和を守るのがわたしの役目なんだよ。武蔵くんさえ大人しくしてくれれば、君のお母さんには決して手を出さないと約束しよう」

胡散臭い笑みでそう言う余慶に、俺は目を細めて口を開く。

「嫌だね、断る」

そう言うと、余慶はふふっと笑う。

「断って良いのかな? 弱っているお母さんをわたしの手元に残したままで」

「弱ってなんかないから大丈夫だ」

本当は弱ってるけど、余慶に悟られないよう、聞かれたらそう答えようと用意していた台詞だ。

俺には見えるものが、どうやら余慶には見えていないと気づいたのは、太維がいなくなってからだ。太維が余慶の腕を見る事がなかったように、俺には見えているけど、余慶には見えていない事もあるって気がついた。太維がいなくなってからそれを実感するなんておかしいだろうけど。

「これから弱るんだよ。わたしが追い詰めるからね」

細めていた目を見開いて余慶を見た。

今まで見た中で、一番醜悪な顔をしている。

「お前の目的はなんだ」

「嫌だな。村の調和だよ。言っているだろう?」

絶対に嘘だと思ったが、どう嘘なのか説明できるはずもなく、ただぎゅっと口を引き結んだまま余慶の横に並んで、歩きながら寺の方に誘導される。

余慶は過剰とも思えるほど、道ゆく人に声をかけた。まるで俺と一緒にいるのをアピールするように。

「引っ越しなんてさせないよ」

寺に着く直前、余慶はボソリとそう言った。

俺は唇を噛んで言葉を飲み込んだ。なぜそれを知っているのか分からないが、親を村から孤立させても無意味だと言われているように感じた。

「なんで、俺にかまうんだ。見える人間は邪魔だろ? 引っ越しに賛成してくれたら、何も言わずにここを出ていくのに」

「誤解があるようだね。わたしは君を排除したいなんて思っていないよ」

余慶はそう言うと、俺の肩に手を乗せてきた。肩まで組んでたら、ことさら仲良く見えるじゃないか。

「排除じゃないなら、俺を喰いたいのか」

「あぁ、それは近いね。君の輝きは特別だから」

「輝き?」

「おや、それは知らないんだね」

ふふふと嬉しそうに笑う余慶に、ムカムカが止まらない。

「実は君の友達だったあの子くらいの輝きは意外と多いんだよ」

だから何だって言うんだ。

輝きってなんだ?

「でも君は特別。だから手元に置いておきたい」

そう言って見下ろしてくる余慶の目は、獲物を狩る蛇と同じだ。

ただ側に置く?

それだけでは絶対にない目をしている。

すぐにでもその手を振り払って逃げ出したいのを、懸命に堪えて歩く。

ぐっと拳を握りしめ、余慶を見ないように前を見ていたが、肩に乗っている手には全神経を使って弾くイメージを繰り返していた。

「太維のじいちゃんはどうなんだよ」

「あぁ、猪田(いだ)さんのおじいさん。あの人はちょっと強めでおいしかったよ」

オイシイ?

やっぱり喰ったって事か?

「あの頃、君達は2人で協力して家族を寺に近づけないようにしていただろう? おじいさんを狙っていたわたしとしては、少々焦ったよ。頂く前に死んでしまったら、霧散してしまう可能性もあるからね」

「むさん?」

「運が良ければ抜け出るだろうけど、精霊のようになられたら見つけられないし、やっぱり死ぬ前になんとしても手に入れたかったんだよね」

俺にはない知識が余慶にはあるんだろう。だから言っている事は、あまりよく分からなかったが、太維のじいちゃんを殺したって事だけは分かった。

腹に溜め込んでいた怒りが、爆発しそうになって、肩に乗っている余慶の手を意識すると、吐き気がするくらい疎ましく感じる。

「つっ!」

ばちっと大きな音がして、肩に衝撃を感じた。

驚いて横を見ると、余慶が腕を抱えて驚愕の眼差しを俺に向けている。

その顔を見た瞬間、頭で考えるより先に足が動き、勢いよく駆け出していた。








無意識に足を動かしていたが、あの杉に向かっていることに気が付く。

走って走って、ようやく辿り着くと……。

「あ……」

そこには先客がいた。

俺は足の力が抜け、へたりとその場に座り込でしまった。

聖域だと思っていた場所に、禍々しい得体の知れないものが居座っている。

杉の木の下には黒い着物の少女。肩下まで伸びたその髪を風に靡かせて、悲しげに木を見上げている。

抜けるように白い肌は色彩が乏しく、血の気を感じないぶん、着物の色がよりいっそう鮮明だった。大人びた表情をしているが、頬の丸みはまだ幼く、背格好だけを見ると10歳くらいに見える。それが余計に人間離れしていて怖い。

そして、その肩にはギョロ目の怨霊。少女がほとんど動かないかわりに、そのギョロ目が忙しなく動いていた。その禍々しさに腰を抜かしたのだ。

「!」

その目が俺で止まる。

爛々と見開いた目に捉えられて、恐ろしくて動くことができない。

あんなモノが杉の木に近づけるなんて、俺の聖域理論が間違っていたのか?

肩の怨霊が俺に手を伸ばす。まだ届く距離じゃない。逃げるなら今のうちだ。

それなのに、恐怖で体が動かない。

怨霊は少女の肩を蹴って、こちらにジャンプしようとした。

俺は恐怖で目をぎゅっと閉じ、体を硬らせて衝撃に備える。

「………………」

しばらくじっとしていたが、何も変化がない。

恐る恐る目を開けると、目の前には少女が立っていた。怨霊は地に這うように落ちて気を失っている。それを気にも止めず、俺を見下ろした少女が口を開く。

「あなたのマーキングが、あの子を苦しめている」

何を言われたのか分からないでいると、少女は木の上の白い塊を指差す。

「もう、ここには来ないで」

その声音に幼さを残す少女の顔は、無機質で無表情だった。俺はその言葉に焦りを感じた。もう、ここしか残されていないんだ。

「ここを取り上げられたら、逃げ場がなくなる」

恐る恐るそう言うと、少女はじっと俺の顔を見つめる。ややしてその小さい唇を開いた。

「あなたなら大丈夫」

大丈夫?

「何だよそれ……」

言われた意味がよくわからなかった俺は、何とかこの場所に来る許可をこの少女から得ようとしていた。後になって考えてみれば、どうしてこの少女に対して必死だったのか分からないほどに。

あれこれ言い訳するが、少女は眉ひとつ動かさずにそれを聞いていた。

ややして何も思いつかなくなった頃、少女の口が薄く開かれる。

「それなら私があなたを呪ってあげる」

そう言った少女の雰囲気がゾロリと変わる。

俺は目を見開いて恐怖のまま固まった。

さっきの怨霊に感じた恐怖の比じゃない。

その何百倍も恐ろしく感じた。

恐ろしいのに動けない。逃げることもできずに固まっている。

後に思った事だが、俺の感情は畏怖に近かったと思う。

だけどそんな事、この時の俺に理解できるはずもなく、ただ状況に身を任せるしかなかった。

「あなたは私のもの。そう刻んでいくわ」

動けない俺の顔を、少女の小さな手が包む。

白磁の顔が近づいてきて、何もできない俺の首に噛み付いた。

ちくっと痛みが走り、そこから物凄いスピードで全身が何かに覆われるような気がした。

同時に硬直が解け、俺は自分の手を持ち上げて見る。

手は淡い光に包まれていた。白濁した薄い膜で覆われているようにも見える。膜は徐々に体表に密着し、吸収されるように消え失せる。

これは一体なんだと問おうとして、すでに少女の姿が消えている事に気が付いた。

幻覚でも見たのかと思ったが、少女が残していった怨霊が地面に転がっていて、現実の事だと思い知る。

この怨霊はこのままで大丈夫なのだろうか。

余慶があの蛇の怨霊を踏み潰したように、消すことはできない?

「……俺には無理だな」

蛇の怨霊ですら俺には消せない。そもそも退治できるなら逃げていない。

それに目の前のこいつは踏み潰すには大きすぎる。

「あ、封印とか? いや、やり方がわからないから無理か……」

それなら、こいつが目を覚ます前に逃げておかなければと思い立ち、その場から離れることにした。


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