エースの誕生 その2
1年が経った。
余慶はまだ修行僧として寺に居座っている。
「武蔵! いい加減になさい」
母のヒステリックな声が境内に響く。
村の行事では必ず寺が関わり、手伝いなども当番制で回ってくる。この閉鎖されたコミュニティーで、参加しないなんて選択肢はなく、非協力的な者がいる家は仲間外れにされて虐められるかもしれない。
母がそう言って嘆くので仕方なく、お寺の手伝いをしたのに。
余慶は俺を気に入ってる風を装って、やたらと近づいてくる。
俺はその真意が分かっているから、近寄らせないように行動しているだけだ。
でも、村の行事には参加して尚且つ余慶と関わらない事が、こんなに難しいなんて。
「本当にごめんなさい、余慶さん。大丈夫ですか? いつもお世話になっているのに、本当にあの子ったら」
「いたたた……反抗期でしょうか」
俺の倒した板の下から助け出されているのを、振り返って確認しながら、その場を駆け足で離れた。
さっき余慶は手伝いに来てる、太維の家のじいちゃんに手を伸ばしかけていたから、思わず立てかけてあった板を倒したのだった。
余慶を助けている母は、弱ってないから大丈夫だ。じいちゃんは太維のお父さんが来てたから、すぐに連れて帰るだろう。
「なぁ、武蔵。なんで余慶さんを嫌うんだ?」
太維からそう聞かれたのは、板を倒した数日後だった。
俺の逃げ場である樹齢500年の杉の木。
その太い幹の3メートルくらいのところに、白い不思議な塊があった。まだ俺がうんと小さかった頃、黒い塊に追いかけられてここに辿り着いた事がある。その時、始めて見る白い塊を不思議に思ったが、この場所に包まれて守られているような気がしてしばらく留まっていた。黒いのは俺を見失ったみたいにウロウロして、この木に近寄る事なくどこかへいった。
その時は杉に力があるのかと思ったが、おそらくは白い塊の影響だ。何度か同じ経験をしていた俺は、太維にもそれを教えた。どうやらここにいると、俺達の存在が消えるようだと気がついたのは太維だ。
太維は俺みたいに包まれている感覚はないと言うが、黒いのから身を守れるという意味では安堵感はあると言う。
黒い奴から追いかけられる事の多い俺達は、ゆっくり話をする場所としていつもここを使う。
幹が太いから風も避けれるし、外気はどうしようもないが、少し寒さもましな気がする。
これについては気のせいだと太維は言うが。
「あんなに良い人そうなのに」
目前の友達が余慶に懐いている事を知っていた俺は、少し迷ったが全てを打ち明ける事にした。
「あいつはお前のじいちゃんを殺すかもしれない」
どこから話そうか考えていたら、結論だけがこぼれ出て、そのせいで、太維の口がポカンと開いた。
「正確には余慶じゃなくて、あいつを操ってる奴が、だけどさ」
慌てて言い添えたが、太維はまだ口を閉じない。俺は違和感を感じて太維に質問した。
「余慶の背中の腕って、見えてる?」
無言で横に振られる首を確認し、なるほどと納得した。
あれが見えないのなら、余慶はただ親切な寺の修行僧だ。その差し伸ばされる手をありがたく掴む事が出来る。
「今は腕しか見えないけど、この村に来た時はもっと怖いのが見えてたんだ」
太維は難しい顔で俺を見ている。
「それがどうしてじいちゃんを殺すになるんだ?」
まだ事情が飲み込めていないみたいだ。俺は1つ頷いて口を開く。
「あいつは弱ってる人から何かを奪ってる。あの黒い蛇みたいに危ないんだ」
「痛いのか?」
それは、と言葉に詰まる。
痛みにのたうち回る人を見たことがない。
「痛くないように、調整してるのかも」
奪ってるのは間違いない。何かが湯気みたいになって移動し、吸収されて体の一部になると、あいつは強化されるみたいに一瞬輝くんだ。
光が馴染むと余慶が少し元気になったように見える。ただこれは俺の感覚だから、具体的に説明する事ができない。
「何のためにそんな事するんだよ」
太維の疑問はもっともだが、何のためにしているのかなんて、こっちが知りたいくらいだ。ただ、自分の感覚に素直に従うとするなら……
「食事、じゃないかな」
余慶からエネルギーを摂取しているのか、共有しているのか、それとも別々なのかは不明だ。でも自分の存在を留めるために必要な行為なんじゃないかと思う。
「んー、なんかよく分からないけどさ。武蔵が言うのならそうなんだろうな。余慶さんの事は嫌いじゃないけど、中に何かいて、そいつが悪さをしてる。それはなんとなく分かる気がする。あいつらに詳しいのも強いのも、そのせいかもしれないな」
よかった。
信じてもらえそうだ。思わず安堵の息が漏れる。
「でもなんて説明したらいいんだろ。大人は信じないだろ?」
指摘されて頷く。
「俺もずっと考えてる。今はまだ何も思いつかないけど……」
そう、自分は非力で何も出来ないただのガキだ。
「でもいつか、正体を暴いてやる。それまで注意してくれ。特に年寄りや病気の人は狙われやすい」
「わかった」
神妙に頷く太維の表情を見て、1つ心配がなくなったと思った。
でもその事が余慶の行動を助長することになるなんて、この時の俺には予想できなかったんだ。
太維に余慶の事を伝えてさらに2年が過ぎた冬のある日。
あの杉の木がある山は、山頂の方が白くなっていた。
修行がいつ終わるのか知らないが、あいつはまだこの村に居座っている。
太維と視界の違いについて話ながら下校していた俺達は、田んぼの真ん中に作られた畦道を歩いていた。
地面に垂れるほどだった余慶の背中の腕は、今や肘の少し上くらいまで入り込んでいる。まるで千手観音みたいに、背後から放射線を描くように見えている今の状態を、太維に説明している時だった。
「おじいさんは元気? 最近見かけないけど、体調でも崩しているのかな?」
畦道の真ん中を通過したところで、背後から急に声をかけられた。
俺も太維も飛び上がって驚き、左右を見て、背後を見て、お互い顔を見合わせた。
余慶が俺達の背後に静かに立っている。
後ろにも気配を感じていなかったから、余慶がどこから現れたのか不明だった。もちろん前にも人はいなかったし、左右は田んぼだ。
水は張ってないから横切れないこともないけど、全然気づかないなんて事あるのか?
いやいや、そんなはずない。
憑いてるものはともかく、余慶は人間だ。田んぼに屈んでて気が付かなかっただけだ、きっと。
「どうしたの、2人とも」
余慶は俺達の反応を楽しんでいるように見えた。怖がるってわかっててやってるんだ。
つまりこれは、戦線布告だ。太維も巻き込むぞって脅してるんだ。
「じいちゃん元気だよ。お寺にも行ってると思うけど、見てない?」
引き攣った顔で太維が答える。
「そうなんだ。最近見てないと思ったけど、気のせいだったのかな」
「うん、気のせいだよ、きっと!」
焦って言う太維に、余慶は静かに頷いて懐から三つ折りの紙を出した。それを俺と太維に渡す。
「住職からだよ。年始のお焚き上げ当番は武蔵くんの家と太維くんの家だそうだ。ご両親に伝言頼むね」
言い終わると踵を返す余慶。畦道を真っ直ぐ戻って行った。その背中には、まだ腕が見えている。
あれが完全に入っちゃったら、どうなるんだろう。
俺も太維も紙を持ったまま、しばらく動けないでいた。余慶が完全に視界から消えて、ようやく太維が口を開いた。
「余慶さんって、あんな怖かったっけ」
太維がそれを感じ取っていた事に驚いた。それだけ、雰囲気が変わってきているって事なのかもしれない。
「今まで、ただ武蔵を信じてみんなを遠ざけていたけど……」
手に持った紙をぎゅっと握りしめた太維は、恐ろしげにこちらを見て続ける。
「オレ、今日からは本気でみんなを遠ざけるよ。あれは、なんだか分からないけどヤバい。得体の知れない、怖いものだ」
俺はその言葉に深く頷いた。
「そうやって警戒の輪が広がっていけば、いなくなるかな、あいつ」
「修行が終われば、いなくなるんだろ? いつまでか知らないけど、早まるといいな」
ようやく表情を緩めた太維に、俺は頷いて同調した。
「そうだな……」
不安は残っているが、俺は1人じゃない。
それだけが救いのように思った。




