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エースの誕生 その1

払暁(ふつぎょう)の空を見上げ、武蔵(むさし)は震えを堪えていた。冬の冷気が刺すように通り過ぎ、手に持った金属が冷たく、まるで手に張り付くようだ。

あの山は霧で覆われて見えない。

幼い頃、杉の木に登って見た、霧氷が煌めく景色を思い出す。そしてすぐにその木がすでに焼失している事実を思い出し、ぎゅっと金属を握り込んだ。

脳裏に響く村人の声。

「武蔵のやつ、また住職に楯突いたらしいぞ」

「どうしてそんな事するのかねぇ」

「まったく、どうしようもないな」

次々に投げつけられる非難の声。

みんなはあいつの正体を知らない。だから、盲目的に信じて疑わないのだと武蔵は考える。

でも、武蔵はあいつの事をよく知ってる。

邪悪だということを。




◆◇




俺が初めてあいつを見たのは、6歳の頃だった。村の最北にある寺の、住職の隣に立つ若い見知らぬ僧侶の服を着ている男。

でも住職と違って、ちゃんと髪がある。

肩につきそうな長さの黒髪で、ほっそりとしてひょろひょろ高くて、女みたいな綺麗な顔をしていた。

……その背後に取り憑いていたのが初見だった。

腕が異様に長く、地面に手の甲がだらりと垂れている。体に掴まっているわけじゃないのに、そいつの身体は固定されたようにくっついていて、足は見えない。

腰から下が、若い僧侶服の男の中に入り込んでいるように見えて、ぞくっと背筋に嫌な感触が這う。俺の目線に気がついたあいつは、上体を逸らして腕まで地面につけ、コチラを睨めつけてくる。小さかった俺は恐怖で硬直し、母の影に隠れるので精一杯だった。

視界からあいつが消えても、恐怖が消えない。うなじがチリチリして不快だ。

「あら、見習いさん?」

どちらに聞いたのか分からないが、のんびりした口調の母が2人にそう声をかける。

「本部から修行に参りました、余慶(よけい)と申します。短い間ですが、こちらでお世話になりますので、今後ともよろしくお願い致します」

住職にはあいつが見えていない。隣の若いのも、くっつかれているのに見えていないようだった。

俺は目があってから恐怖で動けないのに、それにも気がついた様子がなく……いや、人見知りと勘違いしているようだ。

誰にも守ってもらえないことが怖くて動けないのに、あいつはまるで品定めをするみたいに俺をじろじろ見て、おもむろに手を伸ばしてきた。

俺は母の静止を振り切って、その場から駆け出す。6歳の全速力なんてしれていただろうが、夢中で走って、走って走って、逃げ場の樹齢500年の杉の木上方にある、白色を見てようやく安心できた。

俺の恐怖体験は、ここからスタートしたんだ。









小学2年の秋。

学校の帰り道で友達の太維(だい)と歩いていた時だ。

空は茜色に染まりつつあり、俺たちは帰り道をのんびり歩いてた。ところが畦道から突然現れたそいつに阻まれて、家とは逆の方に駆ける事になった。

「急げ武蔵!」

太維がチラチラ振り返りながら叫ぶ。

「わかってる、けど、これ以上、無理!」

地を這うように近寄ってくる、黒いモヤ。

1度噛まれた事がある、蛇みたいなヤツだ。

前にそれがするりと近寄ってきた時、よく分からなくて放置していた。

足の周りを這うようにしてしばらく、足首に触れたように見えたその瞬間、激痛に見舞われた。口が見えるわけじゃないが、噛まれたと感じたのだ。

激痛は熱を伴って5日も続いたし、噛まれたところは赤かったのに、医者に診せても異常なしと言われ、何かのアレルギーって事で片付けられた。

足に傷らしいものもなく、赤いところを指さしても首を傾げる医者に、俺もどう説明すればいいのか分からない。医者が問題ないと言うのだから、きっと問題ないだろうと思う事にしたが、1ヶ月くらい鈍い痛みが続いた。

一緒に逃げている太維は、この村で俺と同じものを見れる友達だ。やっぱり同じように噛まれた経験があった。

「武蔵、こっち!」

寺の門が開いており、一緒に逃げていた太維が迷いなく入るのを見て戸惑った。確かにそこが安全圏のように見える。

でも、そこにはあいつが……

「早く!」

素早く門を潜った太維が振り返り手を差し出す。無意識でその手を取ると、ものすごい勢いで引かれた。

体が少し浮いたくらいだ。

視界が急激に流れて、自分の体を見失う。

世界が反転しているようで、目の前がチカチカする。

「大丈夫かい?」

がばっと上体を起こして、膝をついたまま見上げたそこに若い坊主。俺を見下ろしているのかと思ったが、その視線は自身の足元を見ていた。

「余慶さんすげぇ!」

太維の声がして、俺も地面を見る。

踏まれて逃げようともがく蛇のごとく、黒いモヤはジタバタとうねっている。

余慶がぐっと力を入れるようにして足を地表へ擦り付けると、蒸発するみたいにして消えた。

「余慶さん、すげぇ……」

太維の声があっけに取られたように聞こえる。でも俺は、どうして助けてくれたのか不思議でならない。

俺がこの人に好かれているはずないから。

「頭を打ったりしてないよね?」

優しく微笑むこの男の背後に、あの顔はもう見えない。

そう、見えないのだ。いなくなったのではなく、単純に見えないだけだ。

だって、あいつの腕だけは男の背中から生えていて、今も地面にだらりと垂れ下がっている。

この村に来た時に見えていたあいつの上半身は、余慶さんの中にどんどん入っていった。それと同時に余慶さんの雰囲気が変わっていったけど、誰もそれに気が付かない。

親も友達も近所のお年寄りも、みんな、みんな。

俺は余慶が弱ってる人から、アレをもぎ取ってるのを知っていた。弱ってるってのは、体だけじゃない。

心が弱ってる人もその対象だ。

人の体表には透明な殻がある。目を凝らして色々ピントを合わせないと見えないが、それが体を守っている。その殻は病気したりショックな事があると、強度が落ちる。

そして余慶は弱っている人を見つけるのが得意だ。親切そうな顔をして近づき、殻の一部をもぎ取っていく。

そうすると、もぎ取られた人はますます弱る。

弱ると、寝込む人もいる。そのまま病気が悪化して死んでしまう人だって……いるかもしれない。まだ見てないけど。

俺は余慶の事をなるべく避けていたし、寺にだって近寄らないようにしてた。

本当はここの住職が大好きだったが、余慶が修行で滞在している間は避けるべきだ。

「おや、強く引きすぎてどこか打ったかな?」

目の前で屈みながら優しく問いかける余慶に、俺は何も返すことができなかった。

また雰囲気が変わったように思う。

背後から腕が覗いているからかもしれないが、前よりも怖い。

それこそ、さっきの黒い蛇よりも。

「さっきのやつ、死んだ?」

太維が側までやってきて、俺の腕を持って起こしてくれた。

「死んだよ。もう出てこない」

「すっげ! あいつ退治できたんだ」

余慶と太維は楽しそうに会話している。俺は無表情のままそれを見ていたが、正直言うとすぐにでも逃げ出したかった。

「顔色がよくないね。大丈夫かな」

余慶が俺に近寄ろうとしている。逃げたいのに、足が地に縫い止められているように動かせない。触れられたくない!

余慶の足元が俺のすぐ前にある。顔を背けたのはまずかったかもしれない。

俺に手を伸ばす余慶の影を、半ば諦めの境地で見守っている。

「おや、武蔵くん」

ふいに住職の声が聞こえてきた。

当然のように余慶は手を引き、振り返って住職を確認する。

「ちょうどよかった。お母さんに渡して欲しいものがあったんだよ」

柔和な笑みを湛えた住職が、余慶のすぐ横に移動してきた。

俺はようやく足を動かすことが出来たので、余慶から反対側に回り、住職を見上げて手を出した。

「そのファイルを渡したらいいんだよね。何かの当番? あ、祭りだ!」

そう問うと住職は嬉しそうに微笑んだ。

「さすがは武蔵くんだ。賢いね」

「すぐ渡すよ!」

俺は言い終わらないうちに駆け出していた。

「あ、おい。武蔵!」

太維が慌てて後を追ってくる。

「転ばないように気をつけて」

住職の声が背後から追いかけてきて、俺は振り返って手を挙げた。ついでに太維がちゃんと着いてきているかを確かめる。その背後に立つ余慶の表情が目に飛び込んで来てぞっとした。

獲物を狙う蛇の目って、きっとあんなのだ。


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